Eight ninth |
街中でペルシャを見かけてペルシャと叫んだら最初ペルシャに嫌な顔をされたのだけれども、考えてみればあたりまえのことだ。ふたりとも、もう大人というやつになってしまっている。僕はきっちりとスーツを着てネクタイにゆるみなんかなかったし、ペルシャは昔と違ってスラリとして大人の女性になっていた。そしてペルシャの腕の中には目元がペルシャそっくりの小さな物体が抱かれている。そんなペルシャにペルシャなんて昔どおりのあだ名で叫んで呼びかけてしまっては、大人のペルシャのメンツは台無しだろう。過ぎ行く人がクスクス笑いながら去っていく。 「あのねえ、どうでもいいけどいいかげんペルシャって呼ぶの、卒業できない?」 十年ぶりの再会で、感動の抱擁もなく(当たり前だ。そんなことをしたらペルシャを愛してやまない旦那さんが激怒する)、のっけから渋面で説教だ。やれやれ、こいつはちっとも変わらない。いつもアネキぶって。いつもちょっとばかり僕を子ども扱いする。まあいつもペルシャは先に行ってしまって、僕は気づけば取り残されて、そう思われるのも無理はないのかもしれないけれど。 ほら今も。懐かしいなあって顔をほころばしっぱなしの僕の笑顔の無防備さに呆れている。そういうことは簡単にわかってしまう。ペルシャは昔どおり、ペルシャ猫みたいに気位が高くてツンとしてクールで表情を簡単に外には出さないけれど、ペルシャだってまだまだ未熟だった頃の付き合いがあったせいか、多少抑えたくらいじゃわかっちまう。そっちばかりが単純さを見抜いているわけでもないんだぜ。 「子供が生まれたの、オフクロから聞いてたんだ。男の子だったよね」 ペルシャの腕の中の赤ちゃんにあいさつをする。やあ、僕はもしかしたらキミのママのおムコさんになっていたかもしれなかった男だよはじめましてこんにちわ。 「馬鹿なこと言わないでよね。もう、まったく」 ぶつぶつそう怒りながらも、ペルシャは僕に尋ねてきた。「お母さんや妹さん、元気?」 僕はペルシャの赤ん坊を見つめながら苦笑する。オフクロは見てのとおり、何年か前に大病してからうんと老け込んじまった。妹は結婚して離婚して実家でぽつんとしているね。 「時間っていうのは無残なもんさ。昔のままじゃいてくれない。いろんなことがあって、いろんなことが過ぎていって、いつか口説いてやろうと思ってたペルシャはさっさと結婚しちまって子供までこさえちまった」 馬鹿ね、ペルシャはかすかに笑った。 そしてためらいがちに聞く。このあたり、ちっとも変わってないな。 「あなたは、まだ?」 そうだね。まださ。 「ペルシャが忘れられなくてね」 「何いってんだか」 「はは、いい相手がいなくてさ」 「誰からも相手にされないんでしょ」 「そうとも言う」
僕らは小さな街に生まれて育って、幼馴染ではなかったけれど、家もそんなに遠くなくて、小学校で一緒のクラスになった。 一年生。二年生。僕らよりも先に僕らの親たちが顔見知りになり、仲良くなる。 三年生でクラス替え。また一緒。三年生。四年生。 五年生でクラス替え。また一緒。五年生。六年生。 いつもペルシャがいた。別に一緒に遊んだこともないし、どこかに出かけたことだってない。だけれど僕らは、さすがにここまで一緒だったから仲が良かったし、ケンカもしたけれどもすぐに仲直りもした。同じクラスのガキ大将やペルシャにベッタリの友達が僕らの仲のよさをからかったこともあったけど、ペルシャは僕にとっては近くにいるのが当たり前の存在で、子供っぽい恋を感じる相手じゃなかった。僕はそのころ、ひとつ年上の女の子に憧れていたものだ。 平凡な街。小さな街。私立の中学なんてない。みんな当たり前のように近くの中学に通う。 僕、十三歳。ペルシャ、十三歳。 僕らにとって九分の八のうちの、例外の一年がやってきた。
中学二年ともなれば、大体みんな色気づく。 どいつが可愛いとか、どいつが綺麗とか。男同士であればもうちょっと卑猥な品定めも口にされる。 「なあなあユウイチロー。オマエさ、ミヤモリってかわいいとおもわね?」 僕は僕でちゃんと好きな女の子ぐらいいたし、やっぱりこいつらと一緒で女の子のことばかり考えていたものだけれど、でもミヤモリっていう名前にビクっと反応して、ちょっとムッとした。 不機嫌さを感じたまま、僕はぶっきらぼうに答える。ああ、ミヤモリかわいいんじゃねえの。 「なんだよオマエ、その態度。オマエってミヤモリと仲いいだろ。ペルシャとか呼んでさ。なあなあお前らデキてんの?」 ちがうっつうの、バカタレ。 「そうじゃねえんならさ、なあ、紹介しろよ。ミヤモリいいじゃん。何かさ、胸とかでかそうだし」 僕だって聖人君主じゃないから女の子にそんなことを感じることもあるけれど、ペルシャがそういう対象にされるのは不愉快だった。どういうわけだかわからない。ペルシャのことを好きかっていうとそうじゃなくて、僕は隣のクラスのヒロちゃんがお気に入りだったんだけど、でもペルシャを狙っているバカどもを見ると不愉快になる。 中学二年、僕はまたペルシャと同じクラスになった。 一年ぶりに、また同じクラス。 去年、はじめて中学生活がはじまったせいでもあると思うのだけれど、何となく落ち着かなかった。僕らの街ではふたつの小学校が寄り集まって一つの中学に進学することになっていたから、クラスの半分はこれまで六年間で見たこともない知らない顔ばかりだった。慣れるといえば時間と共に慣れたけど、違和感は消えなかった。つまらないこと、どうでもいいことで、よく誤解されたのには閉口した。同じ小学校だったやつらならやらなくても良かった、心配しなくても良かったことに気を使わなければならなくもなった。ペルシャだったら何でもかんでも一々言わなくてもわかってくれるのになあと、ちらっと思ったことがある。クラスが別になってから、ペルシャと顔をあわせることは極端に減った。たかが数十メートル離れた教室で授業を受けているだけなのに、僕はその距離を超えることができなかったし、越えようとも思わなかった。 そして僕は何の努力もしないままに、またペルシャと同じ空間を与えられた。 だけれどもペルシャは離れているうちに少し変わっていた。昔は、ちょっとうるさいくらい活発だったのに、今はどちらかといえば無口になったし、いつも一緒にいる友達以外ともあまり口をきこうともしない。 「おいどうしたんだよペルシャ。オマエ暗いよ」 僕がそうからかうと、うるさいって怒鳴った。その辺り、昔のままでちょっと嬉しかったし安心した。 だけれどもやっぱり、ペルシャはちょっと変わってしまっていた。でもそれは、もしかしたら、その時はわからなかったのけれど、ペルシャが変わったというよりも、ペルシャの周りが変わってしまったからペルシャも自分を変えずにはいられなかったのかもしれない。 いいことなのか、悪いことなのか、女の子じゃない僕はわからない。だけれどもどちらにせよ、ペルシャは可愛らしかった。愚かなことに僕はペルシャと一緒にいたときちっともそれに気づかなかったけれど、ペルシャは中学に入ったくらいから、急に顔つきが大人っぽくなった。小学生のころにはふっくらとしていた容姿が急に引き締まって、ただ大きな瞳ばかりがそのままで、本当に可愛らしかったのだ。ペルシャを良く知らない、隣の小学校の男たちや、中学の先輩たちは、だからたちまちペルシャに目をつけ出した。そして僕はそのペルシャ人気で、クラスメートのバカにペルシャとの仲を詮索されたり、見ず知らずの先輩に呼び出しをくらってペルシャの下着を盗んでこいとか、ムチャクチャな要望を叩きつけられた。もちろんそんなバカなことやりはしなかったが。 クラスの中のお調子者のヒロオカが、ペルシャの側によっていく。 「ねえねえミヤモリさん。午後から体育でプールでしょ。水着に着替えるとき、どんな風にするの?」 いやらしい視線でいやらしいことをわざとペルシャに尋ねて、反応をうかがって喜んでいる。たまりかねて僕はペルシャのところに行った。「おいペルシャ」 ペルシャはヒロオカから僕のほうに視線を移す。「なに?」 「おまえ、いいかげんに金返せよ」 「は?」 「小五のときおまえに貸した金返せっつうの」 「は?」 「しらばっくれるなよ」 「痴呆?」 「お前がな」 「あんたでしょ」 しばらくふたりで本気になって言いあいをしたもんだから、ヒロオカは唖然としてその場を離れた。 その日の夕方、部活が終わってカバンを取りに教室に戻ったら、やっぱり部活帰りのペルシャと出くわした。ヒロオカの会話をさえぎるためにとはいえ、ろくでもないことでケンカをしたからバツが悪かった。ちょっと視線を外しながら、とりあえず謝っておこうと思ったら、ペルシャのほうが先に声をかけてきた。 「あのさ」 「ん?」 「ありがとね」 クルッとターンしてダッシュでペルシャは帰って行った。へんなやつ、僕はそう思った。 ペルシャは、ニタニタしながら近寄ってくる見ず知らずの男という男をほぼ嫌悪していた。というより男そのものを嫌悪していたかもしれない。今にして思えば、それはそうだろう。男の目の色が違うんだから。そして思春期の女の子にとって男はそんなものだとわりきるのはとても難しいことだろう。僕は夢想する。あのころもうちょっと大人だったらなあと。ペルシャをもうちょっと楽にしてあげることができたかなあ。そして、あの空白の一年がなかったらなあと。
ペルシャはその空白の一年に、恋をしたらしい。 同じクラスの男で、隣の小学校のやつ。カッコいいやつで、ずいぶんマセていやがった。 すぐにつきあいだしたらしい。 ペルシャも十分可愛らしかったから、お似合いのカップルというやつだったのかもしれない。 でも空白のそのトンネルを抜けた後、ペルシャはその男のことを口にしなくなった。 たった一度だけ、僕は聞いたことがある。憎悪以外の何ものでもないちいさなうめきを。男の名前と共にささやいていたペルシャのことばを。ペルシャは窓に映る大きな大きな夕日に、大きな瞳を鋭く悲しげに向けながらつぶやいた。僕には何の力もなかった。癒すこともできなかった。忘れさせることもできなかった。ペルシャの痛みをわかってやることもできなかった。何もできなかった。そして何もしなかった。 何があったのか憶測することはできたし、それに関するうわさが広まっていなくもなかったけれど、僕はそのことについて考えるのをやめた。そして、ペルシャの大きな瞳に映る僕があいかわらずの僕のままであったから、僕は相変わらずの応対でペルシャに接し、ペルシャもまた僕相手では別段構えた様子も見せずに昔のままだった。
僕とペルシャの噂というのは、僕らが学級委員長とかいう役目をふたりして押し付けられた時からまたはじまった。 それを聞きつけたペルシャは、変な人と噂になったと友人にぼやいていた。悪いことに僕はそれを遠くから聞いていた。腹が立ったから大きな声で「おいペルシャ聞こえてるぞ。もっとコソコソ話せよ」って怒鳴ってやると、ペルシャは「地獄耳」とぶつぶつ僕に文句を言った。こういう会話を横でニヤニヤしながら聞いていて「夫婦ゲンカ」とか言い出すヤツを、僕らは上手い具合に無視するようになった。だから僕は「どうしてミヤモリのことなれなれしくペルシャなんて呼ぶんだよ」って聞いてくる連中に、さあねととぼけていたし、ペルシャはペルシャで僕のことをユウイチロウならぬユーチロー(昔はちゃんと君がついていた。敬称はいつの間にか撤去された)と呼んでいることを女子に何度も尋ねられたらしいけど知らん振りしていた。たまにペルシャは機嫌がいいと、 「アレはね、漢字で書くとね、留置牢になるの。蔑称なのよ」 そういういやらしいことを言って横目で僕を見ながら喜んでいた。
しかしなあ。 午後の公園で木漏れ日に包まれながら大きく伸びをし、ベンチで傍らに腰かけるペルシャと、その腕の中の彼女の赤ちゃんを交互に眺めながら、僕はつぶやいた。 「今さあ、仕事でコンビを組んでるおねえちゃんがいるんだけどね。去年の採用の」 「ふうん、いいじゃない。若い女の子と一緒に仕事なんて。可愛いの?」 「まあまあね」 「ふうん、よかったじゃない」 「よくないっつうの」 「どうして?」 「アホでさあ。仕事ができない。っていうか、やる気がないんだな。目先のことしかやらない。今すぐには役立たなくても、これも勉強なんだから、今のうちにやっておけっていっていることをちっともやらない。残業もしない。この前ちっと説教したら涙ぐんでやがった。だけれども反省しない。翌日からまた同じように小言をいってもやらない。最低限のことだけをやってあとはさよなら」 「グチっぽい。大体、入ったばっかりなんて男の子も女の子もそんなもんでしょ」 「違うさ。年齢とか勤続年数なんて関係ないよ。要はしっかりと考えているかどうかってことだ。だってペルシャなんか、優秀だったもんなあ」 「あたし?」 「オレ、バカ話だけどさ、これまで仕事だの大学のゼミだのでいろんなやつと、男とも女ともコンビを組んで仕事や研究やったけど、一番楽ちんなコンビって、ペルシャとやった学級委員長だったぜ。いやマジでさ」
生徒会だの教師の学年会だのから出た課題を、学級会にかけて討議の司会進行をやるのは僕の役割。 書記をして黒板を書いて、集票をやって書類にまとめて上手な文章と綺麗な字でもって提出するのはペルシャの役割。 大まかな路線を決めてしまうのは僕の係。細密な部分を調整して形にするのはペルシャの係。 僕らは、それぞれの役割分担について話し合ったことは一度もない。まごついた覚えもない。何となく、ペルシャは人前で司会進行をやったり、場を仕切ったりするのが苦手だろうなと僕は思っていたから、ペルシャが苦手なことはこっちでやってやろうという気持ちになっていた。ペルシャは僕が、字が汚くてアバウトで、コマメで緻密で根気の要る仕事にはてんて向いていないということをわかりきっていたから、僕の苦手な部分をやってくれたのだろう。 それはとても心地よいことだった。立板に水を通すというのだろうか。何もかもがスラスラと分業されていく。そして僕は僕なりに自分の請け負った部分を一生懸命やったし、ペルシャはペルシャで自分のパートに決して手を抜かない生真面目さを見せる。どちらが楽だとかいいだとかという不毛な自己主張の繰り返しは、僕らの中には全く存在しなかった。 学級委員長なんて、普通は面倒ばっかりで、楽しいことなんて何もない。だけれども僕はペルシャと一緒にやるそんな仕事が楽しくて仕方がなかった。ペルシャも楽しそうな様子だった。だって、9分の1から抜け出してきたペルシャは笑顔を忘れていたけれど、段々とこの仕事を一緒にやっているうちに、まるで雲間から日が差すように、笑顔を取り戻しだしたのだから。 そして僕らは三年生になり受験生になる。 ペルシャも僕も、お互いの進路のことは何故か話さなかった。 僕は親の希望、というよりほとんど強制で、県下一番と言われる高校の受験を決めてしまっていた。そこは男子生徒は詰襟だったけれど女子は私服だったから、担任や他人には「私服のじょしこーせーがわんさといるなんて、例え難関でもオイシイよねえ」なんて嘯いて呆れさせていたが、そうでもしないと親のくだらない見得のために押しつぶされそうだったのだ。結論を言えば、めでたくその高校には入れなくて、私立の一般入試に雪崩れ込んだのだが。 ペルシャは女子高に進学することを決めていた。やっぱり男がいやなのかなとちらと思った。 受験が近づいていくのは、別段特別な感慨もなかったけれど、卒業すること、見知らぬ世界に行くこと、というより追い出されてしまうこと、ペルシャのいない、今度は数十メートルどころか数十キロも離れた世界に行ってしまうことに、僕は少しばかりクラクラとした。想像もできないことだった。そばには当たり前の顔をして当たり前にペルシャがいて、バカな子供っぽいいい争いをして、ああこいつはいつまでたってもガキだと呆れ顔をしたペルシャに見つめられて、それでもふたりして投げ与えられた仕事にふたりしてそれぞれのパートで処理をして、それが本当に、本当に当たり前で自然で。何かを構える必要も、偽る必要もなくて。自分の性格の悪さ、欠点、そんなものを隠す必要なんて全然なくて、隠すまでもなく全部ペルシャは知っていて。それで、それで。 夢想したことがあった。 そのころ好きな女の子がいた。ペルシャではなかった。同じクラスの子だったけれど、ほとんど妄想だ、地面が真っ二つに割れている。裂け目の下ではマグマがボコボコと音を立てている。堕ちれば間違いなく死ぬ。その崖に両手をかけてギリギリで堕ちずにいる女の子がいる。僕の好きな女の子だ。だけれども人影はもう一つある。そうペルシャだ。僕は崖の上にいる。さあどうする。お前は一体どちらを助けるんだ。僕はそんな空想を抱き、自分に回答を求める。 自分で自分を疑い、愕然とした。 何度も考えた。だけれども答えは何度やっても一緒だった。僕が助けるのはペルシャだった。空想の中で、僕が助けてもペルシャは絶対に素直にお礼なんていわない。空想の世界の中だってペルシャはペルシャ猫みたいに身勝手でクールで、ツンとして僕の手元からさっと逃げ去って気侭でいる。空想が現実になったらペルシャのペルシャっぷりは更にひどい。これでも僕は空想の中でちゃんとペルシャをオブラートに包んであげているのだ。それでもペルシャはペルシャだ。僕の隙なのは別の女の子だ。 それなのに。
最後の日がやってきた。 最後の校歌。 最後の下校。 そして、 最後のあいさつを、僕はしたかった。 だけれども、僕には僕のバカタレな仲間がいて、ペルシャにはペルシャにベタつく仲のいい友達がいて、僕らはふたりで話しをすることもできなかった。 人垣の合間と合間で、たった一度、視線が合った。 さよなら、ペルシャ。がんばれよ。 それは、僕らがいつまでも、あたりまえにあったように、あたりまえに、ペルシャに届いただろうか。 そして、 さよなら、ユーチロー、がんばれ。 ペルシャは、僕らの空気が、本当に空気と同じくらいあたりまえであったように、僕の呼びかけにそう答えてくれただろうか。
かみさまは、そんな僕に罰を下す。 離れ離れになって、ようやく教えてくれたのだ。僕にとって、どれだけペルシャが大切で、僕がどれだけペルシャを好きでいたのかを。 そう気づいた時、もうペルシャには会えなかった。いや、距離を飛び越えれば会えたんだ。ペルシャが欲しくて欲しくて、どうにもならないくらい愛しくて、気が狂いそうになって、そんな気持ちでムチャを知りつつ、飛び越えれば会えたんだ。もちろん、会ったからといって、ペルシャがそれを受け入れるかどうかは次元が違う話だけれども。 僕はそれをしなかった。そこまでペルシャを好きじゃなかったんだよねっていわれれば、とても悲しいことだけれど、やっぱりイエスと答えるしかないのかな。 そんな宙ぶらりんなままで、高校生活も終わりに近くなって、僕にも彼女というやつができて、長続きしなかったけどデートというやつを何回か経験した。その子のことは多分好きだったけれど、でもあの時の空想、女の子とペルシャが地の裂け目に堕ちていくやつ、あれをやったら、どっちを助けるんだろうなあ。 悪いことにデートしていたら遠くからやっぱり男の子を連れたペルシャと出くわしたことがあった。 気まずくて、うつむいて、何もいわなくて通り過ぎた。
それから程なく、僕もペルシャもそれぞれの志望校に合格した。昔は大学の合格者は新聞に名前が載ったのだ。ペルシャの名前を県外の某大学の看護学科の中に見つけた僕は、ペルシャに手紙を書いた。文面はもう忘れた。名前見つけた、がんばれ、そんなものだったと思う。お前のこと好きだったとか、そういうことは書いていなかったと思う。 数日して、ペルシャから返事がやってきた。 前記日程で不合格だった学部に性懲りもなく後期日程で再チャレンジして、それでのこのこ合格してしまうのは、いかにもユーチローらしいって書いてあった。 自分らしい。 大学時代は辛いこと、孤独なこと、道を忘れて迷走したことばかりで、楽しい思い出はあまりなかったけれど、ギリギリのところで僕を支えていたのは、ペルシャの手紙だったのじゃないかと思う。そう、ペルシャは。やっぱり空気みたいで、あたりまえのような顔をして僕に一番大切なものをくれたのだ。 そして僕も、他人に随分と遅れながら、ようやく就職も果たして、社会人というやつになった。そうしているうちにペルシャが結婚したことを風の便りで聞いて、それはまだ何とか堪えることができたのだけれど、ペルシャが男の子を産んだときいた時にはさすがに動揺した。たった一年だった時とは違う、もうほとんど永遠の空白。ペルシャは、やっぱり僕より先に、遠いところに行ってしまう。 でも、 僕もちょっとばかりは大人になっていた。 ペルシャの人生が、愛情が、生活が、いろんな想いやいろんなしがらみが、どういうものであるか、皆目わからない。だけれども、ペルシャ、幸せ? ペルシャ、元気? そうだよね。幸せだし元気だよね。男の子、可愛いだろうなあ。ペルシャいいママになれよ。子供いっぱいいっぱい可愛がれよ。 そう自然に思うことができる自分を、ちょっとだけ褒めてやりたくなる。 そのせいかねえ。 ちょっとばかり、かみさまはごほうびをくれる。 「ペルシャ? おい、ペルシャじゃないかよ」
小さな公園の、陽射をさえぎるベンチで、たくさんのことを話したかったけれど、ほんの少しだけの会話。でも、やっぱり、不思議なことに、流れる空気はあたりまえのような自然さ。 そして僕は、それを振り払わなければならない時がやってきたのを自覚していた。僕は僕の居場所に戻らなければならない。そこは決して自然じゃない。いびつで、時々とげとげしくて、孤独で、虚しくて、だけれどもそこで僕は精一杯がんばらなければならない。そういう居場所。僕は立ち上がった。 「あのさペルシャ」 「……なに」 「現世ではムリでも、来世では愛し合わない?」 「馬鹿じゃない? ホントにこの人は全くもう」 笑いながら僕は勢いよくベンチから立ち上がり、何歩か進み、立ち止まって、それからペルシャのほうに振り返った。 「じゃあなペルシャ」 ぶんぶんと手を大きく振り回す。 はいはい、ペルシャは呆れ顔だ。 「さっさと相手を見つけて結婚して子供でも作りなさいよ。いつまでも若いわけじゃないんだから。わかった? ユーチロー」 「こうしようぜ。オレはがんばって女の子をこさえるからさ、そうしたらペルシャの子供と結婚させよう。親の夢を、子供にかなえさせるっていう」 「さっさと仕事に戻りなさい! ユーチロー!」 僕は笑いながらさっときびすを返して、軽く走り出した。笑っていないと涙が出そうでイヤだったのだ。別に悲しいわけじゃない。別に寂しいわけじゃない。ただユーチローと昔のままに怒鳴るペルシャが今でもこの世にいてくれること、時間が残酷でたくさんの大切なものを押し流してかき消していっても、その荒波の中でペルシャがペルシャでいつづけていること、そのことが、どうしようもなく嬉しかったのだ。
僕はそのことを知らない。 ペルシャがユーチローと怒鳴った後、彼女の息子が彼女の腕の中で少しばかり手足をばたつかせたことを。 そして、 ペルシャが母親の穏やかな笑顔を子供に向けて、 「あなたのことじゃないのよ、ユウイチロウ」 そう自分の息子に呼びかけていたことを。 |