Ataturk

第一章 細き海は地中海へと至れり

 





   名も知らぬ、あの日の青年に。






 記憶とは常に曖昧な部分を残す。あの日が晴天であったか、曇りであったか、今では覚えていない。海沿いにあった「その場所」も既に閉鎖されてしまったことを耳にした。だからあの日の青年は、確実にそこにはいないし、追憶の中の彼の姿もおぼろげである。
 ただし彼の瞳を忘れることはないだろう。あの時の、どことなく青ずんだ灰色の瞳は、憎しみも威嚇もなく、ただひたすらに、鍛え抜かれた刀剣のように鋭いものだった。
 彼の名前も知らない。ただ彼は「その場所」にいた。
 そこは3セクのテーマパークで、私はものめずらしさで顔を出した来訪者、彼はおそらくそこの従業員だったろう。もしかしたら留学生で、アルバイトでそこにいたのかもしれない。彼はまだ若く、学生であるといわれれば十分にそうであるように見えたのだ。ただし、非礼な言い回しにはなるが、私は外国人の容貌を見てその年齢を確定させる自信はあまりない。いかに彼がユーラシアの西と東に分かれた同胞の亜細亜人種だとしても良くわからない。もしかしたら私の想像以上に年上だったかもしれず、若かったかもしれない。
 彼は疲れ果てている様子だった。テーマパークの傍らで施設の中を説明する彼の役割をいささかも損なっているわけではないにせよ、彼の疲労は顔に表れていた。彼の動作はきびきびとしていたし、彼の背筋はまっすぐ伸びていたから、肉体的な多忙さが彼に疲労の重みを伸しかけてきているようではなかった。
 私はこの意味を考え、数年かしてようやくその理由がわかった気がした。私の一人合点であるかもしれないが、おそらく彼は、失望していたのだ。憧憬に裏切られたのかもしれない。彼は母国からやってきた。勇んできたのかもしれない。ただでさえの異国、それも、美しき佳き国に行くという昂揚感があったろう。美しき人と触れ合うという大きな希望があったろう。だが彼の思う日本は、おそらく訪れる人間の何処にも見出せなかったのではないだろうか。我々の国は、美しくなくなってから、おそらくもう随分時が流れたことだろう。かつての美談のような振る舞いをできるような人間は、もういくらも残っていないだろう。彼はそれを知ってしまったのだ。
 私と青年とは話をした。
 どちらが話を持ちかけたのか、覚えていない。ただその時私は、二言三言話した後につぶやいたのだ。
「知っているのですか? 知ってますか?」
 記憶がよみがえってくる。あの瞳だ。強い瞳。まるで私に噛み付いてくるような強靭な瞳の色だった。彼は私に食ってかかるかのように知っていますか?と見事な日本語で尋ねてきた。
 私はそれにたじろいだ。そんな反応をされるとは思わなかったのだ。それは私の浅慮以外の何物でもなかった。私が口走った人名は、彼の国にとっては絶対的な存在である。無条件の敬意をささげるべき相手なのだ。そのことを、或いは私は理屈では理解していたかもしれない。だが実感としてはそれは所詮空虚な認識で、この青年の対処を肌で感じるまでは夢想もしない反応が返ってきて狼狽したのだ。
「ええ。高校でね、習ったんです」
 そう答えるのが精一杯の私に、青年は私の辟易とした様子を十分に嗅ぎ取ったのだろう。そうですかとつぶやいて、さりげなく私の側から立ち去って行った。
 その人、アタテュルクは、眼光鋭い人だったと伝えられる。威厳そのもの、決して後に引かぬ不屈の、剛毅な意思を宿した険しい視線。確かに、彼の残した事績は、目の光の強さが何の所以もないわけではないことを物語る。
彼は言った。ふたりのケマル・アタテュルクがいると。
「ひとりはこの私、いずれ死に、肉体の朽ちる私自身だ。そしてもうひとりのアタテュルクとは、君たち自身のことだ」
 そう青年たちに呼びかけたといわれるアタテュルクの眼光は、このトルコ人の青年の瞳となって私の前に現れたのかもしれない。
 そんな思いがくすぶりつづけ、いま拙い筆を取る。













 その海は、細い。
 最狭部において、「対岸」までの距離、およそ二キロメートル。そして対岸とは欧羅巴である。
 此方を、大雑把に指し示せば、小亜細亜ということになる。その細き海は欧州と亜細亜との境界線としてしばしば用いられる。
 その細き海は地上を南北に穿つ。即ち、黒海を南下して進むボスフォラス海峡、マルマラ内海を経て更に南進するダーダネルス海峡、それが地中海へと注ぐ。
 言うまでもなく、その海は要衝であった。海路を使用すれば世界の船舶が露西亜の穀倉地帯まで行くことができ、また東西の流通を思うまま遮蔽することを可能とする。自然の気まぐれが生んだ人類社会の大動脈といっても過言ではない。
 第一次世界大戦中、この動脈を伝って独逸に莫大な食料その他の物資が供給された。英仏の連合国はこの動脈を奪取して独逸の裏口を押さえると共に、物資供給を遮断して独逸国民を飢えさせることを企図した。即ち、世界最強の海軍力を用い、この細き海を地中海から黒海へと突破し、支配権を確立すると共に、この海のほとりにある敵国の首都に盛んな砲撃を浴びせ、敵国のひとつそれ自体を屈服させるというものである。
 その都市の名前は、一千年の王城イスタンブール。その国、英仏にとっての敵国の名はトルコ。六百年の長きに渡るオスマン帝国がなお主権者として、老醜をさらしていた時代である。
「一体、エンウィル・パシャは何を考えているのだ。露西亜くんだりに軍の精鋭を投入して、しかもはかばかしい成果も挙げられん。英仏が強引にダーダネルス海峡の侵入と対岸、つまり我が小亜細亜への上陸作戦を企図することなど、わかりきったことではないか」
 文字どおり唾棄せんばかりの勢い、陸軍大臣代理のハキ・パシャはその粗野な物言いに内心でうんざりとしつつも、自分の頭目の名誉は補ってやらねばならぬと考えた。
「いや、貴官の言は正しくない。エンウィル・パシャとて英仏の侵入はちゃんと想定されておる」
 眼光鋭い灰色の瞳が途端にハキ・パシャを打ち据える。
「想定? 想定してこれか」
「口を慎みたまえ。ムスタファ・ケマル大佐」
 ハキ・パシャは英気に富みすぎるこの男を叱責せずにはいられなくなった。もっとも、くどくどしくそうする気は毛頭ない。とにかくこの男には対英仏戦に加わってもらわなければならないのである。釘はさしておかねばならないが、へそを曲げられては大いに困る。
 ハキ・パシャは、ダーダネルス海峡周辺の地理に熟知し、また中小の叛乱勢力の鎮圧に圧倒的な戦歴を有する眼前のムスタファ・ケマルという男を抜擢しようとしていた。もっとも、そのことに狂喜し、はいつくばって礼を言うような男の精神構造から、ケマルは対極に位置する。
「自分以外に一体誰がそれをなしえるか」
 口数を要しないときには徹底して無口となるその口ではなく、鋭い眼光がそう物語る。
 ケマルは、オスマン帝国を牛耳る青年トルコ党の一員ということになっており、つまり思想の点でハキ・パシャなどと同類で、かつ青年トルコ党の頭目であるエンウィル・パシャを熱狂的に支持してもいいはずの立場にありながらも、党内の異端児として知れ渡っていた。何せかつてテッサロニキでエンウィル・パシャと邂逅したケマルは、心酔者を数多はべらし世俗的な各の違いすぎるエンウィルに対して、真正面から論戦を挑み、エンウィルの主張する汎トゥラニズムを散々に打擲したのである。
 汎トゥラニズムとは、昔日のオスマン帝国下の諸民族諸国の再結集と大同団結を説く思想であり、オスマン帝国の栄光を誇りとし心の支えにするトルコ人にとって血の滾る、また自己の優越を甘美にくすぐる浪漫でもあった。その熱狂の赴くところトルコは暴走し、青年トルコ党はクーデターを起こして政権を奪い、ついに独墺に加わって英仏露などと戦う第一次大戦に突入してしまった。この構図は、第二次大戦における日本の立場にある部分は似ている。日本の場合、神州日本の根拠のない優越感と大東亜共栄圏という壮大で空虚なスローガンが、英米への圧迫感の裏返しとしての熱狂を生み、ついに国論としての暴発が巻き起こったわけである。
 そして、あの災禍と時代性から連想するに、その「浪漫」を真っ向から否定し、現実論を声高に主張するというのは、異様なまでの勇気と信念を必要とするだろうことに行き当たる。日本の場合、結果論として戦後敗戦の責を弾劾しまた嘲笑する者は腐るほどいても、開戦に先立ってはっきりとその無謀さを指摘し、世論の暴走を沈静させるのに表立って尽力した人間があまりに少なかったことを歴史が物語る。
 第一次大戦直前までにおけるムスタファ・ケマルは、その地位は決して高くなく、その声望は決して大きくなく、その影響力は未だ乏しすぎた。それでも彼は大いなる世論の渦の中心にいるエンウィルという青年トルコ党の頭目に、胸倉つかみかからん勢いで論戦を挑み、無謀な戦いを否定したのである。徒手空拳、ながら剛毅な意思は群を抜く。このような人物がやがて一刻の趨勢を担う地位に着くのは、歴史的必然というものであるかも知れず、また彼に多くを委託した数多くのトルコ人の眼力にも畏敬の念を持つべきであろう。
 ともあれそういうケマルをハキ・パシャは知っていた。思わず好意を抱いてしまう可愛げがある人物には到底見えない。だが不屈の闘志で心臓が止まるまで戦い続ける戦士であることに疑いようはない。
 その男が、英仏相手に戦うことを決意してくれるかどうか……。
ついにハキ・パシャは口を開いた。
「貴官にはダーダネルス周辺に赴いてもらいたい」
 ムスタファ・ケマルはどう返答するか、ハキ・パシャは互いの沈黙に耐えながらそれをあれこれ思い悩む過程を経る必要がまるでなかった。ケマルの返答はあっさりとし、またあっけなかった。
「行きます」
 簡潔すぎる答えに、むしろハキ・パシャは不安になるほどだった。
「ケマル大佐、勝算があるのかね?」
「勝算?」
 ケマルは鼻先で皮肉そうに笑った。これだけ事態を混迷させ、国家を塗炭の苦しみに押しやった上での戦に、勝算もへったくれもあったものかとその眼光が物語る。「微力を尽くします」口に出してはそう言った。
 退出しようとするケマルの後ろ背に、ハキ・パシャは声をかけた。
「…………ケマル大佐」
「…………」
「この作戦の総指揮は、リーマン・フォン・ザンデルス将軍が執られる。貴官にはその一翼を担ってもらう」
 ケマルはくるりと振り返った。その形相は険しく、四散寸前の溶岩を思わせた。
「ザンデルス将軍? 独逸の押しかけ将軍に指揮を?」
「彼は独逸人だが優秀な軍人だ」
 ケマルは物言わずきびすを返し、乱暴にドアを閉めた。
 廊下から猛烈な音が聞こえてきた。おそらくケマルが、退出するや否や程近くの、何の罪も無い廊下の壁を渾身の力で蹴りつけた音だろう。ハキ・パシャは深い溜息をついた。





 ムスタファ・ケマルは、この年、即ち一九一五年において三十四歳であった。
 痩身、端整な美男であるがまるで笑みを知らぬような風貌。
 灰色をした鋭い瞳。
 それが炯々と光り輝く。
 後にカリフとなり、ケマルの政敵として再三彼に煮え湯を飲ませ、結果的に彼によって国外に放逐されることになるメフメット6世は、彼に対する恐怖や憎悪の感情も手伝ってであろうが、出目のわからない人物、或いはセルビア人であろうかと語っている。確かに彼の容貌は、亜細亜人の特性を見出すより早く、欧州人と近似である連想を思い浮かばせる。
 もっとも、トルコという国は亜細亜の終着地であり、欧羅巴への玄関でもある。東西それぞれの人種たちは人類の歴史の発祥から今に至るまで、気の遠くなるような長い時間、戦争というコミュニケーションも含んだ様々な交錯を繰り返してきたし、度々その交錯地点となったトルコでは双方の血統が交わりあい、その人種的特性から亜細亜色が随分抜け落ちている。故にケマルばかりが毛色の違う風貌をぶら下げていたわけではない。
 或いはケマルの欧州人風な姿というのは、彼の勉学の結果もたらされた余波かもしれない。この人物はごく幼少の頃、コーランの暗誦を強いるイスラムの初等教育学校に堪えかねて、堂々と、或いはぬけぬけと、両親に対して登校拒否を高らかに宣言し、西洋風のカリキュラムの組まれた私学で学んだのである。もっとも、家庭的な事情でその学校に通う時期は短かったが。
 ケマルは本来、その名をムスタファといった。
 日本人には判別がつかないが、それはありふれた、凡庸な名前であるという。
 姓はない。
 彼だけ特別なのではない。氏、西洋圏のfamily nameに該当するものを、元来トルコは保持していなかった。日本における江戸期の農民や工商人と同じだが、日本には公称できずともひそかに有する隠し姓というものがあった。
 イスラム圏、或いは遊牧社会においては、この形式がまま見受けられる。○○部族の○○の子の○○の子の何某という呼ばれ方をすることはあっても、姓はない。
 誕生したのは一八八一年であるから、日本では西南戦争も終結し、武によってではなく言論にとって国論を定めるべく、国会開設の運動が盛んになり、板垣の自由党が結成されたりした頃である。
 が、彼の誕生日は不明であった。
 別段出生に秘密があったわけではない。父は税関の下級役人のアリ・ルザ、母は農民出身で信仰心の篤いズベイデ、上に姉がいたが男の子の長男である。つまりは当時、西洋風の誕生日を重視するという考え方はなかったし、そもそも暦からして西洋の太陽暦を使用しているわけではなかったのだ。
 そのケマルは、早くに父親を失い、学校を退学し、幼くして厳しい農作業に従事するなど苦労があったようである。母や親類はそのような中にあっても、この子をイスラムの聖職者にしようと、そのような学校に進ませようとしたが、彼はそこを飛び出し、やがて別の学校を自ら選択し、誰にも相談せず勝手に受験し、あっけなく合格してしまった。
 その学校は、陸軍幼年学校。軍隊の士官を要請するための初頭教育機関である。
 本来彼はその学校に合格するはずがなかった。何故ならば受験資格を有する年齢に未だ達せずに入試に挑んだからである。ムスタファこの時、わずかに十歳。
 当時の戸籍がいいかげんだったので年齢を詐称できたというが、試験官たちは彼の顔を見ればそんなものを見抜いてしまっただろう。彼らが絶句したのは彼の答案だった。極めて優秀。しかも数学に至っては満点で、これは幼年学校開闢以来空前絶後のことであったらしい。ムスタファはほんの十歳で、しかもそれまで彼は数学なんぞ独学以外で学んだことがなかった。試験官たちはこの小さな少年のささやかな偽証をついに黙認し、素通りさせてしまったのである。或いは彼らの、歴史的英断であったかもしれない。規則規則と騒ぎ立てては、後のアタテュルクが登場し得なかった可能性が、大いにある。
 しかし可能性といって、後の天才的軍人が自己の天稟を十歳の段階で悟っていた、というのは、英雄崇拝も甚だしいだろう。ひたすらにコーランの暗誦をさせ続ける凡庸な学校と、その学校を踏み台にし自分を聖職者に仕立て上げようとする母や親類から、彼は敢然と独歩しようとしたのではないだろうか。
 ただし可能性というならば、軍事云々よりもっと根源的な、反抗という勝算のない戦いを延々と続け周囲の大人の手を焼かせる陰湿さなどはなく、必要なものを自ら学び、誰にも告げず決断し、その決断をひたすら貫徹する意思の強さ、大人たちからすれば強情さ、その辺りに、後のアタテュルクが見え隠れする。長じて彼はスルタンだろうとイスラムだろうと、英仏列強だろうと、宿敵ギリシャだろうと、決して屈服することをしなかった。それも、いたずらに反逆し、いたずらに戦いを繰り広げたのではない。極めて冷徹に勝利への責務を積み上げ、極めて冷徹に勝算を押し広げ、気の遠くなるような意志の強固さの持続によってそれらを最後まで成し遂げたのである。軍事指導者としての彼の現実的な勝ち負けの計算と、革命家あがりの政治指導者としての全く直線的な理想への推進力の兼備の萌芽は、既にこの年代から備わっているといえよう。
 ちなみに彼自身は、後にその所以をこう答えている。「士官学校の制服に憧れたのだ」
 が、そのきわめて優秀で強情なムスタファ少年は、幼年学校から士官学校へと学び進める中で、一方では教師にその知性を高く評価され、ケマル、即ち完全なという意味の新たな名前をつけられた反面、しばしば孤立を余儀なくされた。利口過ぎて性根が座っているというのであれば、大の大人であっても敬遠したくなるものだ。まして同年輩の少年たちからすれば、ムスタファ・ケマルを憎悪するようなことはなくとも、近寄るのは億劫だっただろう。ましてケマルは、雄弁でしかも十分な知性が備わっていたから、理路整然とした議論でしばしば級友たちを閉口させたという。
 排斥されるわけではないにせよ、ケマルは孤独であったろう。強すぎるというのもまた、孤独を生み出す立派な理由となるのだった。そしてそれは、彼にとって単に一過性の、学校という特殊な環境においてのみ生じることではなかった。士官に任官した後も周囲から十分に有能で剛毅であると高く認められつつも、しばしば孤立を余儀なくされた。殊に時代性が徐々に危うく、トルコを世界の戦乱の渦の中に叩き込むことに熱狂し始める人間が増してくると、彼のような、利口過ぎまた現実の厳しさを熟知しているリアリストは、その良心を捨てるか歪めるか、或いは孤高にならざるを得なかったし、ケマルはその性格からして自分をごまかして体裁を取り繕うような真似が決してできない人間であったから、孤高以外に選択肢はなかっただろう。
 かくてケマルの口は、友人らと談笑したり、甘美で実のない夢を語り合ったりするのではなく、己の腹中で己を焼く強烈な思いを鎮める強い酒を受け入れることにしばしば用いられるようになった。といって、酔って暴れたり、乱れるようなこともない。豪酒、乱酒ながら、翌朝になれば、平然と早起きしたりなどしている。要は豪傑ではあるが、その点に関しても他人の笑みを誘うような人間的可愛げを持たない彼であるのだった。





 
 その、可愛げのないケマル(完璧)な彼が、愛想のない顔をぶら下げて、ダーダネルス海峡付近の要塞に着任したのは一九一五年の二月末のことである。既にエジプトはアレキサンドリア港に、連合国の莫大な艦船が集結しつつある時期だった。
 そこには既にザンデルス将軍がいた。
 リーマン・フォン・ザンデルス将軍は、青年トルコ党の頭目にしてオスマン帝国の実験を掌握するエンウィル・パシャが独逸より招聘した軍事顧問団の長で、トルコ陸軍の総監の地位にあった。四方の国家を敵に回す独逸としては、同盟国のトルコの中枢に自国の軍人を送り込むことにより、その紐帯を確かなものにする狙いが、当然存在する。また所謂「独逸熱」に侵され、オスマントルコ帝国の輝ける再現と自身の英雄的活躍に陶酔するエンウィル以下の過激な青年トルコ党員にしてみれば、列強の中で後進ながらも躍進を続ける独逸の軍人として、護符のようにあがめたい心境があった。
「愚かしい。あんなものを招いて独逸と組んでいくさをして、国を滅亡に導こうとしている」
 ケマルは奥歯を噛み締め憤った。
 第一次大戦において、トルコは北方より露西亜の圧迫を受け、南東のアラブでも英仏軍や彼らに後押しされたアラブ人らのゲリラ活動に悩まされている。しかも英仏は、独逸戦の趨勢にもよるのだが、潜在的に西方、つまりバルカン半島から、一路トルコ首都イスタンブールに押し迫るカードを握り締め続けている。つまりは陸地のつながっているところには全てに敵がいて、それぞれからトルコを押しつぶそうとしているのである。
 こんなことは、戦う前からわかりきったことだった。
 露西亜とは長年来の宿敵で、しかもトルコは、西欧列強の後押しを受けたクリミア戦争以外、近代に入ってロシアに勝利したことがない。暖かき土地、凍らぬ港を求めて南進に南進を続ける露西亜と戦う都度、オスマントルコはその北の領土を失っていった。露西亜が第一次大戦でトルコ領内奥深く侵攻してこないのは、西方の独逸の重圧と、国内の帝権の弱体化によるものであり、更に黒海のロシア艦隊がかつての威風を喪失して久しくなっているせいでもあった。言うまでもなくその原因は、日露戦争におけるバルチック艦隊の全滅によるものである。
 その露西亜に、長年にわたる領土割譲の屈辱を晴らすべく、エンウィル・パシャは精鋭軍団を向かわせたのだが、これが逆に押し返される始末だった。エンウィルとしては、かつてオスマン帝国の下にあった諸民族が、トルコ軍の露西亜侵入に呼応して立ち上がり、トルコ軍に協力してロシアを打破するという甘い目論見があったのだが、諸民族にしてみればかつて自分たちを支配していた帝国のために戦う酔狂さなどあるわけがない。
 中東でのアラブ諸民族も似たり寄ったりであった。またここには英国より派遣された名だたるT・E・ロレンス中尉がいた。アラビアのロレンスである。彼は情報将校ながら天性のゲリラ戦指揮官で、大海とも見まがう砂漠の中をラクダを頼りに縦横に動き回り、トルコの強きを避け、脆弱な部分に奇襲をかけては甚大な被害を与え続けた。ここでもエンウィルらの楽観論を悲観的現実が裏切り続けていた。
 ケマルとすれば、せずともいい戦争を始めて、招かずともいい滅亡に頬や首筋を撫でられているようなものであった。先が見えない、もしくは先を見ようともしないエンウィル以下の無謀さにも腹が立つが、彼らと手に手をとってのこのこ独逸からやってきたザンデルス将軍のような男にも憤りを感じる。
 一方ザンデルスはザンデルスで、トルコ軍の甘い見通しとふがいなさに歯噛みしていた。エンウィルなどは口では景気のいいことを言うが、ろくに勝ったためしもない。彼の目にはトルコの軍人などは、みな無能にしか見えないのだった。
 そのエンウィルの一派とされるムスタファ・ケマル大佐が着任するということに、ザンデルスは当初ほとんど興味も関心も示さなかった。例によって使い物にならないトルコ人が一人やってくるというだけだろうとたかをくくっていたのである。
 蓋を開けて、驚いた。
 階級上一大佐である男が将軍の地位にある自分に向かって、ろくに敬意も示さぬ横柄な態度。ダーダネルスやエーゲ海といった近郊の地図に握りこぶしを叩きつけながら激しく様々な作戦を提案し、また論評する粗野な口調。斬りつけてくるような視線は、少しでも弱みを見せたり魯鈍さを示したりしたら、途端に海に投げ捨てらるかのような圧迫感を露にする。
 だが、
 ザンデルスはおやと思った。目の前のトルコ人は確かに無礼で腹立たしい。だけれども、その言は、間違ってはいない。いやむしろ的確すぎるほど的確なのである。
 ザンデルスはテストのつもりで、北方の露西亜戦線、東方のメソポタミア戦線、南西部のアラブ戦線についてケマルに質問した。ケマルは同僚の指揮官らの無能ぶりを痛罵しながらも、その趨勢を巧みに分析し、その補強点を的確に示し、全般的に、膠着している戦線が突如として崩壊することは今しばらくはないだろうという見解を示した。
「我らは後ろから撃たれることはない。目の前の英仏の艦隊と、その突破を支援するであろう上陸軍を阻止することだけを考える」
 烈火の気迫と冷徹で精緻な計算とがその瞳に宿っていた。
 ザンデルス将軍は大きくうなずいた。自分の観測と合致していたのである。この将軍にはひとつ美徳があった。他人の調書に対して虚心でありまた率直であることだった。或いはトルコにおいて、二言三言放せば戦局をたやすく理解する有能な指揮官と接することに甚だ飢えていたのかもしれない。ケマルの中にそれを見出した彼は、積極的に彼を評価しようとし、英仏防衛軍の中枢にケマルを置こうとさえし始めた。
 後年彼は、ケマル、即ちアタテュルクの中に不世出の軍事的天才を見出したと、度々賞賛している。
 ザンデルスの時を置かぬこの豹変ぶりに、流石にケマルも苦笑したが、同時にザンデルスの将才を虚心に認めるようにもなった。優れた軍事指揮官は、不必要な先入観をたやすく捨て、ただ事実を数理的に把握する能力を有する。怨恨や過去の因縁、いきさつといったものに関わり続け敗北することは、少なくとも幾千幾万の将兵とそれに幾百倍する国民への背反行為に他ならない。故に短絡的に変節とはいえないのであるが、少なくともケマルはケマルだった。リアリストの顔でザンデルスを評価し、感情的な、反対のための反対など決してしはしなかったが、自分が正しいと判断すればどこまでもザンデルスに喰らいついた。後のことになるが、いざ英軍との決戦となったとき、ケマルはあろうことかザンデルスの指示を待たず独断専行し、それが勝利の起因となったことがあった。それでも互いの相手に対する敬意は失われなかった。幸運な出会いであったとも言える。ザンデルスは、ケマルの海峡防衛案をほぼ全面的に支持した。
 が、いよいよ英仏の艦艇が迫る頃になって、意外な伏兵がケマルとザンデルスに襲い掛かってきた。
 それは、敵ではなかった。陸軍大臣エンウィル・パシャである。
 通信文の彼の命令は、ケマルを海峡防衛部隊の中枢から放逐し、ガリポリ半島に駐屯する一軍団の司令官に任ずるというものであった。
 いきり立ったのはザンデルス将軍の方だった。
「馬鹿な。彼の能力はトルコ軍において突出している。彼が我が軍の中枢におらずして、どうやって戦うというのか」
 ザンデルスには腹案があった。トルコ軍の部隊をドイツ人の自分が率いるにも自ずから限界が生じる。無論見捨てるつもりはないのだが、トルコ人の将領にこれを率いさせ、自身はその支援者、後見役に回るほうがいいのではないだろうか。
 ザンデルスは、ケマルならばそれを成し得ると思っていた。その矢先である。
「いいのだ、将軍」
 ケマルは常の彼らしくもなく、ザンデルスをなだめるように話しかけた。
「いいということはないだろう。待っていろ。私は抗議する。必ず撤回させる」
「その必要はない」
 ケマルはそういいながら、地図上のガリポリ半島を指で指した。
「ガリポリ、いい場所じゃないか」
 ガリポリは、美しきエーゲ海に突出した感のある極めて細長い半島である。トラキアより南下するそれは地勢上、ダーダネルス海峡の防波堤に相当し、対岸の小亜細亜には古戦場として名高きトロイがある。
「ガリポリは、ダーダネルス海峡侵入を阻止するための、最大の要衝だ。ここを突破されれば、イスタンブールまで、いや黒海までの海路で彼らをさえぎることはできない。将軍、エンウィルはここを重視していないようだが、私はこの作戦における最大の山場がこの細い半島にあると思う。だから本望だ」
「……何故、エンウィルはここを重視していないと思うのかね? 彼は貴官をここに配置したのだぞ」
「彼が私をここに配置したから、彼がここを重視していないということが良くわかる」
 ケマルはそういって笑った。地位も名望もかけ離れているくせにケマルはエンウィルと対立し、その甘い幻想を強く論破していたし、エンウィルはそんな小ざかしいケマルに功績を立てられるような華々しいポストを与えたがらないのだった。
「彼の思惑は裏目に出てしまう。英仏の思惑もそうだが」
 ザンデルスはうなった。「それで……、貴官がそこに赴くとして、勝算はあるのか」
 ケマルは顎に手をやり、何度かなでた。
「必ず勝つとはいえない。ただ、負けないようにすることはやれるだろう。まあ、負けないように戦うしかないということだが」
「どうやって戦うんだ」
「ここを押さえる」
 ケマルは地図上の一点を指で叩いた。
 ガリポリ半島の細い土地柄の中央に盛られたような高地。
 ケマルはそこを押さえるという。
「この高地を押さえられると、ガリポリのほかの部分は全て陥落する。高地に大砲を担ぎ上げられて、頭の上から砲弾が降ってきてはおしまいだ。そう、ロシアも、それでやられた」
 ザンデルスはケマルを見やって微笑した。
「ジャポンヤの栄光かね、ムスタファ・ケマル」
 ケマルは炯々と輝く眼光をいささかも曇らせず、片頬だけを吊り上げる笑みで将軍に答えた。
「そのとおりだ。あやかりたいものだと思う。極東の日出ずる国に」







 一九〇五年、ケマルは未だ若かった。陸軍大学を卒業したての二十四の頃である。彼ですら狂喜していた。そうなる前はその報せを何度も何度も疑った。トルコ中の誰もがそうだった。利己主義者で自己保身のためにトルコを滅亡の極みに迫らせた赤い皇帝(クズル・スルタン)アブドゥル・ハミット二世からして立ち上がって「アッラーは偉大なり」と叫んだ。
 ありえないことが起こった。世界の海から露西亜の海軍が消えてなくなったのだ。トルコに蓋をする黒海艦隊はその最新鋭の主力艦が見えなくなった。バルト海を根拠地にする艦隊と旅順の艦隊は根こそぎ消滅してしまった。
 それを消し去ったのは、アブドゥル・ハミット二世はアッラーに感謝しはしたが、天意ではなく人為だった。ただそれを耳にした人々はその人為を不可思議で神秘的だと、熱狂と共に感じただろう。
 世界の東の端にある、日出ずる国。その旭日が燦然と輝いた。まばゆい光に目を細めながらも誰もが熱狂してその国を凝視した。ケマルもまた例外ではなかった。それが日露戦争の意義であった。
 所謂バルチック艦隊が極東に到着する前に、露西亜の旅順艦隊やウラジオストック艦隊を無力化した日本海軍は、日本海海戦において東郷平八郎長官、秋山真之主席参謀のコンビにより、世界の海戦史上類のないパーフェクトゲームを演出した。露西亜海軍の海戦参加艦艇のうち、撃沈一九隻、自沈二隻、捕獲した艦艇数七隻。これに対して日本海軍の損失は、小さな水雷艇三隻に過ぎなかった。この戦果からして奇跡と見まがえるものだった。
 宿敵露西亜がその海軍力を大幅に低下させたことは、トルコにとっては単に痛快な事柄というにとどまらなかった。露西亜海軍の威圧は、そのまま南進、つまりトルコ領内へ攻め入ってくる脅威となっていた。それが消失したのである。脅威がなくなった。
 熱狂、例えば興奮のあまり、生まれた子供にトーゴーと名づけるような、そんな嵐がある程度鎮静化すると、トルコの進歩的な知識人たちは、こぞってこの小さな国の研究に勤しんだ。
一局面の戦闘における勝利の所以。
 それは、古ならばともかく、機械文明が発達した時代、ことに機械力の固まりでありその総体同士の決戦となる海軍力の場合、勝敗の分岐点には、それは偶発性も存在し、指揮官の技量、兵士たちの能力も関わってくる。また士気(モラール)の差異もある。だがそれ以上に、そもそもその機械力の保持、結集を行いうる後背の国力というものに多大なウェイトが置かれるはずである。
その国には必ず何かの秘密が隠されているはずだった。ただでさえ四海により世界から隔絶され、その上ついこの間まで鎖国を国是として諸外国の文化文物の流入を拒み続けてきた閉鎖的な後進国家が、開国と革命後僅々三十年程度で、大国露西亜の海軍を壊滅させ、陸軍を極東から放逐してしまったのである。それだけの国力を有してしまっているのである。
 西欧列強と、彼らに蚕食され続ける後進の国家との実力差は、ともすれば絶対的のように見え、弱き国々は永劫彼らの鼻息をうかがって生きるしか他に方法がないと思われていた時代であった。その渦中における日本の勝利は、列強の圧迫にあえぎ続ける諸国にとっては大いなる勇気と希望を感じずにはいられないものだった。日本を模倣すれば、列強と戦って勝てるかもしれない。毅然として独歩し、屈することなく、何処の国とも対等に付き合っていけるかもしれない。
 日本に何があるのか。露西亜の脅威をくじくだけの国力を短期間でつけたその原因とはいったいなんであるのか。
 その回答を短絡的に行うのであれば、それは西洋化の一言に尽きる。つまり列強と肩を並べるには、最も単純な意味において、列強と同じ武器を携え列強と同じ国家体制を構築すればいいということになる。
 生存するために、敵の武器、敵の文物を身にまとう。これをものの見事になしえたのが日本という国だった。
 これは一見簡単な行為のように見える。
 彼我の力の差異、それも武力という最も短絡的な力の違いというものを数理的に把握し、劣勢であればより高度な力を生み出すただそれだけに尽力する。
 しかしこの尽力というものには、様々な複雑なファクターが存在する。例えば敵国と同等か、それ以上の大砲を備えるとする。そのための手段としては、それを販売する外国から「購入」するか、自前で鋳造するしかないのだが、「購入」するには外貨を獲得しなければならず、つまりは自国の何かを「販売」せねばならない。「販売」には産業とそれを庇護するための法整備が必要であるし、それを作る教育を備えた人材も必要となる。そしてそれらが円滑に運用されるという信用がなければこのような経済行為は最終的に成立しない。武力を買い求めるにしても自国の近代産業国家としての基盤が完全に整備される必要がある。
 自国での鋳造、開発にせよ、基礎科学、冶金学、火薬の生成、砲弾の吟味という科学技術。それを実際に作り出す、それも大量、安価、高品質でそうする重工業基盤。更に作り上げられたものを運用する人的資源、組織学。背景に必須とされるものは実に多岐にわたる。
 近代国家というものがあらゆるものの国家結集にその本質があるとするならば、近代国家を成立させるという行為は、国民の一人一人、国土の砂礫ひとつ、それら全てを揺るぎなく近代化させねばならないということになる。
 日本海海戦の日本海軍の勝利は、それら蓄積の頂程度、氷山の一角でしかない。優秀な艦隊、優秀な機械力、優秀な人材をただひとつの目的のために結集すること、つまりそれを支える日本の人間のひとりひとりが日本の「国民」としてそもそも結合していること、それこそが本来の驚異であるのだった。
 無論当時の日本に厳密な意味における「国民」が存在したか否かは議論の分かれるところだろう。ただ日本の人間が様々な領域に参画し、ひとつの国家の有機的な構成員になっていたことについては疑う余地がない。
 若い頃のケマルは、トルコはどうだろうかと考えた。
 トルコに「国民」は存在しなかった。主権は国民一人一人になど存在せず、オスマン帝国のスルタンにあった。トルコ人はオスマン皇帝の臣民であり、それ以上ではなかったのだ。
 トルコの知識人たちは、この国家体制を改め、オスマン皇帝を立憲君主とする新体制の構築こそ、日本の模倣と考えた。即ち国家の中核に憲法をすえ、スルタンですらそれに拘束されるという国家である。
 だがケマルはそれには同調しなかった。彼の考えでは、それでは全く不十分だったのである。彼はトルコの近代化を阻害する最も巨大な抵抗は、オスマン帝国の体制より別に存在し、より深刻で、より絶望的な驚異であると思っていた。
 イスラムである。
 オスマン帝国は皇帝、即ちスルタンが世俗の長として、国政を行う。その一方、この国はイスラム教国家でもあった。国民のほぼ全てがイスラム教を信仰し、またその宗教上の最高指導者であるカリフを、スルタン自身が兼務する体制であった。スルタン=カリフ制と呼ばれるそれは、聖俗の両面から国内を統治しうる極めて強固な体制ではあったが、近代以降はそれがためにまるで身動きが取れないものとなった。つまり国政の全てが宗教上の制約を受けるのである。
 例えばこんな話がある。
 前出したアブドゥル・ハミット二世が電信機の導入を神学者(ウレマ)たちに諮った。シャリーア(イスラム聖法)という宗教法に違反していないかを調べさせるためであり、皇帝といえどもこのような宗教上の判断を無視して裁断することはできなかった。
 神学者たちの答えは否であった。無からことばがやってくるというなど、悪魔の作り出した禍々しい品に違いないというのである。
 これは日本人としては馬鹿馬鹿しい限りの発想だが、人間としてはこれを嘲笑することができない。我々の父祖も僅か百数十年前には、切腹だの打ち首だのといって大騒ぎしていたのである。彼らもまた同じようにそれを異様と思うだろうし、また嘲笑したくもなるだろう。
 アブドゥル・ハミット二世は一計を思いつき、ついに神学者たちをこの件については納得させた。それは電信機にコーランの一節を受信させるというもので、悪魔が関与しているならば聖句を運べるわけがないと主張したのである。
 たかだか便利な機械をひとつ入れるということに対してすら、宗教勢力との不毛な対立を覚悟しなければならないのだった。そして宗教的に拘束されているのは何もスルタンばかりでなく、地方にも神学者(ウレマ)や導師(イマーム)という人間たちがいて、民衆の生活にも聖俗の分け隔てなど存在しなかったのである。
 それが道義上、また文化上、誤ったことであるか正しいことなのかについては、それは我々は考え込まねばならない。どちらが愚かでどちらが優れているか、容易に定められる問題であるとは思えぬものも多々存在する。だが少なくとも、近代化という観点からすればそれは明らかな阻害要因だった。信教は個人の良心に委ねられ、俗の面で共に国家を形成するのが近代化であるのだから。
 あらゆる人間を拘束する宗教性を、俗的な国家運営から完全に切り離すこと、つまり政教分離を成立させること、それがケマルの洞察した日本の急速な近代化の秘密であり、ケマルの目指す結論になった。しかし絶対的な拘束性を有する宗教の乏しい日本には、それを容易になしうるアドバンテージが存在したが、イスラムという強固な宗教が横たわるトルコにあってその道は甚だ困難であった。
 さて、そろそろ物語に回帰すべき頃合だが、その前にもうひとつだけ話を付け加えたい。人類の近代史以降、こと科学文明にとってイスラムは旧弊な抵抗勢力となることがしばしばあったが、本来イスラムは極めて科学指向のある宗教であった。既存の科学用語の多くの基はイスラムに端を発しているし、また科学方面における西洋のルネサンスに決定的な影響を齎したのはイスラム圏の科学知識だった。ゆえにこの宗教は人類史の中で大勢力を築きえたのだともいえるだろう。ただその体力、精神的な新鮮さ、溌剌さが、ついに近代に及ばなかった事例が目立つだけである。
 一九一五年、三十四歳のケマルは、ザンデルス将軍の好意的な笑顔を受けながら内心でひそかに嘯いた。国内のイスラムに比べたら、英仏など大した敵ではないと。困難な敵、困難な情勢、おまけに味方からも足を引っ張られる彼ではあったが、より困難な「敵」に対してさえ絶望はしていない。





 ところで英国である。
 ダーダネルス海峡突破作戦の遂行のため、英国は弩級戦艦四隻を含む十四隻の戦艦を集め、これに更に仏軍の戦艦四隻が加わっていた。
 この作戦を推進した人物として、我々は良く知る名を目にする。
 ウィンストン・チャーチル。第二次大戦時の英国首相である。
 チャーチルはケマルより七歳年長であるから、この年四十一歳。マールボロ公爵家に基を発する毛並みの良さも手伝って、この若年で既に海相にあった。
 チャーチルの作戦は海上戦力によりトルコ首都イスタンブールを陥落させるだけでなく、そのまま艦隊を黒海に進め、トルコから独逸への食糧供給を寸断することにあった。更に独逸墺太利の裏口ともいえるこの方面を押さえ、独逸に圧迫感を与えると共にそのただでさえ過少な兵力を更に散開分散させる効用も期待できる。強引で投機性は強い。だが積極的で、成功すればその影響は巨大な作戦だといえた。
 チャーチル自身は勝利を疑わなかった。相手がトルコである。ただでさえ微弱なトルコ海軍は、弱体化した露西亜黒海艦隊を牽制することすら精一杯という実力で、到底南下して英国艦隊と決戦を挑むことができない。まして行くは世界最強の英国艦隊なのである。
 増長、というのは酷でありすぎるかもしれない。また彼一人に全てを起因させることも誤っているだろう。(後にこの作戦の後始末は政治家たちの責任の押し付け合いとなり、結局チャーチル一人が全ての責任をかぶる形で海相の地位を退いた) が油断は確実にあった。事前に予定戦域の地形やトルコ軍の展開状況を細密に調査せず、ダーダネルス海峡突破作戦それ自体についても隠匿の労を一切払っていない。さしたる阻害も受けずにトルコ軍がこの作戦を察知し、そのための備えを着々と進めていたのに、チャーチルと彼の国家は気に病んでもいなかった。無論、この後幾度も彼の国家に煮え湯を飲ませることとなる一人の鉄人のことについても、彼らはまるで洞察していない。
 三月中旬、ついに英仏連合艦隊が動き出す。二月にはギリシャレムノス島に集結していたこの艦隊は、悠然とダーダネルス海峡突破をもくろんだのである。
 主力艦はクイーン・エリザベス。最新鋭の超弩級戦艦で、この年一月に就航したばかりである。十五インチの主砲と二十三ノット強の速力は文字通り世界最強の戦艦と呼ぶに相応しい威容であり、第二次大戦においてもなお主力艦として活躍した。
 このクィーン・エリザベスら連合艦隊が、幅二乃至三キロメートルのダーダネルス海峡に殺到するのである。
 対するにトルコは沿岸に重砲を配置し、これを以ってした。口径100ミリ前後であったというから、これは現代の戦車の主砲よりも小さなものである。しかも弾薬がなかった。一門辺り数十発という程度で、それはあっけないほどに早く打ち尽くされた。
 波間を埋め尽くすように、艦隊が進む。朦々と黒煙を上げ、機関を炊き上げ、砲塔を左右に展開して轟音と共に主砲を発射する。海峡両端のトルコ軍砲台も打ち返すが、砲弾の数が違う。水面より吹き出る水柱より、沿岸の土煙が勝る。海よりも大地が揺さぶられる。
 だがトルコ軍は、火力が劣勢なだけに必死だった。敵艦船の砲撃に怯える心を抑え、歯を食いしばって耐え、虎の子の砲弾を込めて左右の着弾をこらえながらも慎重に狙いを定め、自身の怒号と共に発射した。
「どうだっ」
 岩場から兵士たちが顔を出して細き海を見つめる。
 火柱と黒煙が軍艦から上がる。兵士たちは叫んで、握りこぶしで岩場を叩いて喜び合う。
「沈没してしまえ。沈め」
 だが、沈まない。砲弾が小さすぎた。軍艦の鐘楼であったりとか砲塔、煙突といった上部構造を破壊することはできても、船それ自体を沈めるような打撃は与えられなかった。
 兵士たちは唇をかんだ。だが、
「一発で駄目ならば二度三度と続けばいい。装填用意」
 悪鬼の形相で叫ぶと共に気を取り直す。
「お前らも続け!」
 やや離れた砲兵の一団にそう怒鳴ったが、次の瞬間、敵艦の艦砲射撃が着弾し、彼らの肉体はいくつかに千切れて飛んだ。
「くそったれ」
 兵士たちには、仲間の死に慟哭する暇すら与えてもらえない。
一方で連合国の艦隊たちといえば、彼らもまた優美なるエーゲ海からのクルージングを満喫していたわけではなかった。
 ダーダネルス海峡内の複雑な潮流、そもそもこの海峡の狭さ。僚艦との距離の短さが衝突の危機を絶えずもたらす。ただでさえそれらに神経を使うというのに、海峡の両岸からは砲弾が飛び交う。
 右へ、左へ。
 舵を切り、また搭載している主砲で砲撃する。砲撃の威力により艦はひっきりなしに揺さぶられる。
 着弾。轟音。悲鳴と火災。小刻みに揺さぶられる艦。砲弾に抉り取られた鋼鉄のアーマープレート。動かなくなった水兵。
 突然、彼らは床から突き上げられるような衝撃を受けた。持ち場である各船室の壁に嫌というほど叩きつけられる。
「いかん。触雷した。被害状況を、被害状況を直ちに報告しろ」
 狭い海峡の中に、トルコ軍は機雷を敷設していたのである。
 機雷は、言わば海上の地雷であるといえる。地味で安価な兵器であるが、接触すれば鋼鉄の塊の戦艦ですら撃沈させることができる。殊にダーダネルス海峡のような狭く船舶側に航行の自由がない海上において、機雷は著しい効果をもたらす。
 英仏軍もそのことはそれなりに理解していた。そのためこの前哨戦となる数日間の決戦では、機雷を除去する掃海艇を出撃させ、進入航路の安全性の確保を企図したのだった。しかしこれはトルコ軍の砲撃によって阻まれた。この地味だが深刻な攻防戦に焦れた英仏軍は、戦艦ら大艦を強引に海峡内に侵入させたのだった。
 結果、
 仏軍戦艦ブーベ、英軍戦艦イリジスタブル、オーシャン、これらの戦艦が轟沈または操舵不能となり、戦闘能力を喪失した。英軍戦艦インフレキシブルもまた触雷した戦艦のひとつだったが、艦艇に大穴を空けながらもどうにか浸水を食い止め、自力で戦線を離脱することに成功した。
 英仏連合軍は被害に驚いた。そして、やはり陸兵によって海峡の両端を占拠し、トルコ砲台群を無力化した上で機雷を一掃し、ようやく大艦を進めるという手順が最も懸命だとの認識に達した。
 チャーチルは反対した。被害は甚大であり、更なる作戦の継続は更なる被害を出すだろう。だが、それでも強引に突破しうる。そう彼は主張したのである。
 彼の案が採用され、あくまで英仏群は揺るがぬ決意で海軍力による海峡突破を貫徹しようとすれば、或いは成功に至ったかもしれない。この時既に、トルコ軍の砲弾は枯渇していた。砲弾の一発であっても自国で生産のできないトルコは、備蓄分を使い果たすと後はルーマニア経由で遠く独逸からの供給を待つ以外に術がなかった。
 しかし英仏軍は、そんなトルコの内情など知りもしなかった。彼らは一度引き返し、上陸作戦のための準備に取り掛かった。これにより、彼らはトルコ軍に、再編成の時間的余裕を与えてしまうことになった。
 ケマルは、引き上げていく英仏の艦隊を、ダーダネルス海峡を臨む岩場の上から見つめていた。連合艦隊は圧倒的戦力を有しながらも、どう戦ってよいのか右往左往している様子に見えた。戦う前に、最小限の被害で最大限の効果をもたらす作戦を設定し、戦いの最中にはひとつひとつの瑣末の勝ち負けに引きずられることなく、当初の目的を貫徹し続ける。善悪とは別の次元においてそれが理想的な戦争というものであったが、連合国軍にはそれが欠けていた。
 彼らは何のために戦っているのか。
 複雑に絡み合う国際社会の利害関係の中での緊張と弛緩とが、一発の銃弾で暴発したのが第一次大戦であった。彼らはトルコを思想上否定しているわけでもなく、また今更十字軍を気取ってイスラム勢力の駆逐のために戦争を仕掛けたわけでもない。またトルコにしても独逸に絶対的正義を見出してそれに強調しているわけではない。
 連合国の政治屋やオスマンの王族らからすれば、これは壮大で愚劣な陣取り合戦、チェスなのだろう。駒を取る取られるという発想での戦いなのだろう。
「そんなもののためにトルコが踏みにじられるのか」
 ケマルは拳を握り締めた。
「断じてさせん。私は、トルコは、トルコの国土と人民のために戦うのだ」
 ケマルは思った。苦闘は続くと。火力、武器は圧倒的に劣弱であると。だが引かない。怯まない。退かない。劣勢であっても、劣勢であっても、逃げ出さず、したたかに戦い、粘り、敵の攻撃に耐え続ければ、鉄の意思などなく利害、それも火事場泥棒としてやってくる輩などは、必ず引き上げるのだ。
 ケマルは覚悟を定めた。




 四月二十五日の未明、ただ海上の艦隊の艦砲射撃が雷光に見まがえる輝きを発し、例によってトルコの沿岸砲台を狙う。
 それは牽制であった。黎明に至らぬ濃い闇を縫って、連合国は四万の陸兵をふたつの海岸線から上陸させたのである。
 この報は直ちにケマルの率いる第十九師団にもたらされた。
 すぐさまケマルは部隊を召集した。
 兵士たちの顔には不安が宿っている。轟音轟くのは十分すぎるほどに届いていたし、そのひとつひとつが死をもたらす災厄であることを彼らは熟知していたのだ。
 ケマルは語りかけた。
「諸君。英仏の兵士たちは、彼らの政治屋どものチェスゲームのために、見ず知らずの異国にやってきて戦おうとしている。彼らの武器は協力だ。だが彼らの戦う意味はない。少なくとも彼らが死に至るまで戦い続ける彼らの正義などはない。我々の持つ武器は弱い。だが我々には断固として戦い抜かねばならない意味がある。それは、我らの父母や妻子、恋人、大切な人々を守るということだ。諸君。これはトルコという国家に対する英仏の侵略である。我々はトルコ人であり、トルコ人として、例え強大な敵であっても、その侵略を許すわけにはいかない。全てのトルコ人のために諸君は灰色の狼たれ。私自身、まず身をもって灰色の狼たらん」
 ケマルは行動を開始した。まず誰よりも彼自身が真っ先に動き出した。慌てた彼の補佐役たちがケマルの耳にささやいた。
「敵は二ヶ所から上陸してきました。我々も分散して対処しますか?」
「愚作だ。敵のひとつは陽動。もうひとつは本命だ。我らはその本命部隊に対して、機先を制して海岸線に釘付けにする」
「どちらが、本命なのでしょう」
「決まっている。西南だ。急げ。急いで西南へ」
 幕僚の一人が慌ててケマルに尋ねた。
「ケマル大佐、部隊の移動にはザンデルス将軍のご裁可が必要です。進発は今しばらくお待ちください」
 ケマルは叫んだ。
「駄目だ。一刻を争う」
「しかし……」
「かまわん。一切の責任は私が取る。……今トルコが、滅亡するか、何とか地力で立ち上がっていられるか、その瀬戸際が私には見えているのだ。だから躊躇している暇はない。一切を顧慮せず、私の命令に従え。集められるだけの部隊を全て投入せよ」
 ケマルは独断の罪科を知りぬいた上で、敢えてその規範を超えた。そこに功名心などは微塵も存在しなかった。ケマルの傑出した戦略眼が、まるで難解な数式を一瞬で解き明かすかのように、上陸部隊駆逐の答えを導き出し、後は彼もその数式を構成する単なる代数のひとつとなって突き進むだけだった。
 ケマルのこの洞察は、結果として正鵠を完全に射抜いていた。ザンデルス将軍の戦略構想は、連合国のガリポリ西南部上陸部隊を、どちらかといえば消極的に換算しており、ここに敵の主力が投入されたという事実に気づくのにいくらかの時間を要した。ケマルがザンデルスに南進の許可を求めたとしても、ザンデルスは或いははかばかしい返事を与えなかったかも知れず、その躊躇の分だけ時間は経過し、戦機を逃しただろう。
 ケマルはザンデルスを信用している。ケマルの独断が決して彼の私心によるものでないことを、ザンデルスは必ず理解するはずである。そして、敵の戦略構想が実際の戦闘として、蓋をはぐったようにあらわになった時、ザンデルスは狼狽することなどなく、迅速に自分の見込み違いの修正を図ってくるだろう。つまりは、ケマルの増援を必ず行うはずだ。だから英仏の上陸部隊に対して寡兵であっても、当座ザンデルスが増援を出すまでの短い期間、敵を抑えてしまえばいいのだ。ケマルはそこまで計算した。
 かくて、悠々と進軍し、ガリポリ防衛の要といえるジョンクバユル高地をあっさり押さえ込めると思っていた英仏軍の上陸部隊は、駆けつけたケマルの第十九師団による、昼夜を分かたぬ猛烈な抵抗を受け、海岸線に釘付けになった。波がうねるような複雑な地形に潜んだトルコ軍は、英仏群が海岸線から内陸に向かおうとする姿を、実に効果的に襲った。英仏軍は地理不案内で、どうしても軽はずみな身動きをしてしまう。そこにものの見事に火線が集中し、見る見る英仏軍部隊は削られていく。
 連合国は翌日、翌々日、その次の日と、その海岸線に増援を繰り出し続けた。結果として上陸地点に英仏の兵力は満ちたが、彼らはそこから身動きができなくなったことに何の変化もなかった。ジョンクバユル高地への道をとるべく、英仏軍は北方の迂回ルートを設定したのだが、ただの百メートル前進するのに、彼らは一日という時間と膨大な数の戦友たちを失うことになった。行く手は狭い道であり、重装備の兵士たちが進むのにただでさえ難渋する険路であったし、トルコ軍は勇猛果敢に射撃をし、白兵戦に持ち込み、英仏軍がいかに撃っても撃っても、尽きせぬ抵抗を示したのだった。
 ケマルは山々を駆けた。
「違う。そうではない」
 若い兵士のおぼつかない手つきを見つけては、その手から小銃を取り、手本を見せる。
「こう構え、落ち着いて、じっくり狙う。引き金はゆっくりと慌てずに引き絞るのだ」
 物陰の岩場には敵からの射撃が相次ぎ、火薬の破裂音の連続と、弾丸が岩間を跳ねる音がひっきりなしに続く。
 痩身の狼は兵士たちと同じように軍服を泥だらけにしながら、じっと気息を調えた。
 やがて、敵の射撃に奇妙な間が訪れた。兵士たちが意識しているわけでもなく、互いの息遣いが重なって射撃の中断に同調してしまうほんの空漠、それをケマルは自分の鼓動の響きのようにごく自然に把握し、寸分のぎこちなさもなく物陰からすっと顔を出した。
 ほんのひと時だけ静まり返った辺りに、幾つかの射撃音が響く。ケマルの構えた小銃から薬莢が飛び出す。彼方の敵陣で、鳴り響いた射撃音と同数の兵士たちが奇怪でスローモーな演舞をひとしきり舞った後、己の赤い血潮と共に地面に倒れこむ。
「こうやるのだ」
 トルコの兵士たちは、自分らの指揮官の顔をまじまじと見つめた。
 この男は階級をかさに来て安全な場所にふんぞり返り、勝算もない死地に兵士を赴かせる卑劣で愚劣な軍人とは根本的に違っていた。常に最前線の兵士たちと行動を共にし、弾丸が飛び交う中、兵士たちと同じように危険に身をさらしていた。
「どうだ、うまいものだろう」
 その男がニヤリと笑った。
 ようやく、お返しとばかり敵陣から猛烈な射撃が襲い掛かってくる。
 ケマルはやはり身を潜めながら、周囲の兵士たちに語りかけた。
「いいか、こういう勢いは長続きしない。やがて図ったように一息入れる。そこを狙うぞ。怯むな、トルコの兵士たち。今と未来のトルコのために。怯むな、トルコの兵士たち」
 ケマルは目を閉じ、自分の呼吸の音を聞いた。ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ。すうっと大きく息を吸い込む。
 射撃が止む。
「今だ!」
 トルコ軍の応射はごく短いものだった。発射された弾丸の数は、英仏軍の数分の一だったろう。だがその猛烈な勢いと落ち着き払い大胆に狙い定めた射撃の正確性によって、被害は逆に英仏軍のほうが大きかった。
 だが緒戦のトルコ軍優位に展開した戦況も、やがて転機が訪れる。それはこの当時のトルコ軍における決定的な病根だった。
 弾薬の欠乏である。
 小銃の弾丸はなお確保されていたのだが、重砲の砲弾は全く乏しくなってしまった。
「駄目です。もう弾がありません」
 砲兵の悲痛な叫び、敵陣からの轟音、揺さぶられ続ける此方の大地。更にそこに、傷ついたりとはいえなお健在な連合国軍艦隊が、艦砲射撃を加えてきた。ガリポリ半島の地形は見る見る変化し、地面は至るところ穴が穿たれた。要衝ジョンクバユル高地こそまだ陥落に至ってはいなかったが、ケマルとトルコ軍は危機的な状況に追い込まれたのである。
 そして、この事情は英仏軍にもたやすく察知されていた。トルコ側からの撃ち返しが見る見る減ってしまっては、察知されない方がどうかしている。英仏軍の上陸部隊は勝利を確信し、トルコ軍兵士たちの中には逃亡を図る者も現れた。それは、試練ということばすら温い過酷な状況であり、滅亡の前奏曲の開始といっても相違ない情勢であった。





 この頃と前後して、ザンデルス将軍はガリポリ半島の全戦局を総括し、ケマルが独断で展開した半島南西部戦線こそ敵の主力であると明確に断じた。彼と共にトルコに渡ってきた独逸軍士官の中には、ケマルの無許可での戦闘開始に関する責任を云々する向きもあったが、ザンデルスは一笑に付した。
「確かに私は彼の上将だ。しかしトルコ軍を率いるのは本来ならば彼のほうが相応しい。それは単に彼がトルコ人だからというのではない。彼の将器と、彼の軍事的才幹は、私をはるかに凌駕するからだ。
 軍律は極めて重要だ。それを軽視しているわけではない。だが今という事態においては、彼が彼に課せられた仕事を果たそうとしているのに倣い、我々も我々に課せられている仕事を忠実に果たすべきだろう。つまりは、彼が存分に戦えるよう、彼の戦いやすい環境を我らが整えるのだ」
 かくてザンデルスはガリポリ半島の各戦線の部隊数を巧みに調整し、可能な限りの増援をケマルの元に送り出した。
 しかしザンデルスには負い目があった。兵士の数は我が骨身にやすりをかけるような思いで、あちらを減らし、こちらを減らししてケマルの部隊に組み込んだ。だがそれに付随して潤沢な砲弾を送り届けるという芸当はできなかった。
 英仏軍は兵士たちも武器弾薬も、まるで無尽蔵であるかのように輸送船に満載し、山のように荷下ろししていった。
「全くフェアではないな」
 ケマルもこの情勢に苦笑するしかなかった。
 陣営には、ザンデルス将軍からの命を受けた増援部隊の司令が到着していた。
「……ザンデルス将軍は、砲弾の補給を十分に行えないことを、詫びておいででした」
 司令はそういってうつむく。
「わかっている」
 ケマルは穏やかに答えた。
「私もそうだが、将軍だってこすれば願い事をかなえてくれる魔人が飛び出るランプなど持っていやしないということだ。とにかく、将軍のご配慮と、この困難な戦線にやってきてくれた諸君に感謝する。よろしく頼むぞ」
 そこへ急報が入った。敵襲か? ケマルは尋ねた。
「脱走兵を捕らえたのです」
 報告の語気には、憎しみが宿っていた。
 ケマルは星空の下に躍り出た。
 両手を後ろ手に縛られた何人かの兵士たちがへなへなと地べたに座り込んでいる。
 周囲を兵士たちが取り囲んでいた。仲間を見捨てて逃亡した怯惰な者を見下す瞳の色をしていた。
 ケマルはそこに向かってつかつかと歩いた。その足音は、罪科を告げる裁判官の槌のように、逃亡者たちには聞こえただろう。
 やがて、ケマルの黒い影が現れた。
 灰色の瞳は常と寸分の違いもなく、漲る威厳を存分に漂わせて、四方を威圧している。王者の瞳だと、脱走兵は昔語りに聞いた遊牧民族の王を連想し、恐怖と共にそう思った。
 処刑される。仲間を見捨てた罪、味方を裏切った罪。臆病である罪。罪。罪。罪は山ほどある。苦しい。弱い自分が苦しい。
「苦しいな」
 突然のことに脱走兵は狼狽した。ケマルが自分の肩に手をかけて、強く揺さぶっていた。脱走兵はゆっくりと顔を上げた。ケマルの灰色の瞳には悲しみの色が宿っていた。
「苦しい」
 ケマルは叫んだ。この男は、或いは損な性分で、本人の心境とは別に、どうあっても苦しみや悲しみが表に表れない、彼の容貌がそれを的確に表現しない、そう生まれついてしまったのかもしれない。
「苦しい!」
 闇を払うかのように、ケマルは叫んだ。一人の人間としても苦しかったが、重責を一人感じる者としてもケマルは苦しかった。私利私欲しか念頭にないスルタン、無謀な構想で国家を賭博場に引き出したエンウィル一派、誰もがトルコ人の未来のことなど責任を持って考えていなかった。ただの一大佐に過ぎず、ともすれば味方に左遷され、補給もままならない過酷な戦場に駆りだされた身の上のこの男だけが、明日のトルコを思い煩って苦悶していた。
 何もかも投げ出してしまい、一身の安楽を図ってしまえば、どれほど楽だろう。
 ケマルには脱走兵の気持ちが良くわかった。そして、彼らを取り囲み、彼らを憎む逃げなかった兵士たちの心境もわかった。皆苦しいのだ。皆逃げたいのだ。だから、つい我慢しきれずに逃亡をもくろみ、だから逃亡をもくろんだ仲間を憎むのだ。
「どうしてこんなに苦しいのだろうな。どうしてトルコはこんな目にあわねばならないのだろうな。どうして我々は自分たちの血をこれほどまでに流さなければならないのだろうな」
 ケマルは首を振った。
「私にも結局のところわからない。だが、この苦しみを乗り越えなければならないのだろうな。多分、己の足で立って歩くというのは、そういうことなのだ」
 脱走兵の手の縄を切るよう、ケマルは命じた。
「狼とて時には疲れる。だが、トルコの兵士は狼だ。疲れが癒えれば、再び屈することなき戦いに身を投じる。諸君、我々は最後まで共に戦うぞ。苦しみの向こう側にある希望を、共に見出そう」
 脱走兵の耳に、そのことばが正確に伝わったわけではなかった。彼らは既に平静でなく、ケマルのことばの意味を理解できなかったのだ。だがケマルの口調と、敢然とした態度に、必要な事柄の全てを彼らは把握した。うずくまってうめき、そして、彼らは立ち上がった。狼の表情になっていた。
 ケマルはひとつうなずいた。
「もう砲弾がほとんどない。唯一の活路は、我々の勇猛さにある。塹壕を以って敵の砲撃を堪えに堪え、敵が接近したら白兵突撃を行う。我々はここの地形を完全に把握している。敵がまごつくところを攻めれば勝てる。勇気を必要とする戦法だ。だがトルコの兵士ならばできる」


 
 
 



 砂浜。
 上り下りする曲線的な砂の丘陵が、遠波のように連なり、やがて岩場の多い高地へと至る。
 敵は水際に上陸し、陸の奥の高みに至ろうとしている。
 ケマルはそのことがわかりきっていたから、機先を制してガリポリ半島の高所を押さえた。
 英仏軍と対するに、装備する火砲で互することは不可能であった。ケマルはこの状況をわきまえ、ひたすら地の利をとることを優先した。敵より優位な地点に布陣し、塹壕を掘るのである。
 塹壕は、傍目にはもぐらの通り道のようにも見えるだろう地面に掘られた横一線の穴であり、掘った土を敵側に積み上げて弾薬を防ぐ堤とする。兵士はその穴に身を埋めて、盛り土の陰から敵を射撃する。つまりは防御のための戦法だった。
 これを突破しようと思えば、小銃や機関銃では、のこのこと盛り土の陰から姿を見せた兵士をそのタイミングで射撃するしかなく、弾道が曲線を描く重砲では、高等数学を用いて着弾地点を割り出し砲撃するしかない。或いは、命を的にして強引に敵の猛烈な射線の中を突破して、敵の塹壕の中に飛び込み、近距離での射撃戦や白兵戦、つまり小銃の先についた銃剣やらの刃物で敵を襲う最も旧時代的戦いを行うしかない。
 いずれにしても、気の遠くなるような犠牲を払わなければ敵陣の突破の難しい時代だった。
 この、ただでさえ堅固な塹壕の構築にケマルは意を用い、敵よりも必ず高地に塹壕を作り上げた。これならば敵は常に自分たちを見上げるようにして射撃をしなければならず、その難易度が上がる。それだけでなく、高地側にしてみれば見下ろして敵の様子を把握した上でいくらでも狙撃できるわけである。
 しかしそのアドバンテージも、海岸に充満する英仏の兵力と、隔絶した火力の前には屈せざるを得ないように見えた。英仏は塹壕を敵に回す際の被害の大きさについて熟知しつつも、それへの攻撃を繰り返したのである
 やがて弾薬が尽きるだろうという計算もあったに違いない。
 かくて英仏軍は、散発的になったトルコ軍からの砲撃を潜り抜けるかのようにして、砂丘を超えだした。
 ケマルは兵士たちを叱咤した。
「引きつけ、よく狙え」
 英仏軍は運動しながら猛烈な火線をトルコ軍の塹壕に集めてくる。がそれは、散漫といえばそうだった。何故ならば彼らはガリポリの地形については全く知識がなく、地図すらろくに携帯していなかった。それに比べトルコ軍は、どの丘は足場が悪いとか、体を吹き飛ばすくらい風がまともに当たるとか、そんな些細な地形の様子まで熟知していたのである。
 その差が現れた。
 トルコ軍の射撃は、英仏軍の一斉射撃が間欠的に静まり返る、その隙に乗じたものであったが、全く正確で、砂丘を超えようと姿をむき出しにする英仏軍はばたばたと倒れた。
 そして、さらに近距離になった敵兵に対し、トルコ軍は銃剣で襲い掛かったのである。物陰から、塹壕から、すっと姿を現しては、剣先で敵兵の腹や胸を突く。無論トルコ軍兵士にも多大な被害が生じた。逆に敵に斬りつけられたり、目と鼻の先から銃で撃ち抜かれたり、突出したところを敵軍後方からの砲撃によって吹き飛ばされたり。兵士たちはばたばたと死んでいった。だが英仏軍の兵士もまた同じであり、彼らが陣を突破することを、トルコ軍は決して許さなかったのである。
 ケマルは、最前線を飛び回った。死体の山に怯んだり、相次ぐ戦闘に疲れ果てた兵士たちを叱咤し続けた。砲撃により、彼の顔はいつも煤で黒く染められていた。それは兵士たちの顔と全く一緒だった。兵士たちが危険と隣り合わせで戦い、紙一重のところで防戦しているのと同じように、ケマルも最も危険な最前線を縫うようにして戦いの指揮を行っていた。
 戦闘は続いた。
 ケマルは、常人からかけ離れた強固な意志の所有者であり、また第一次大戦における、防御戦においてであれば最上の指揮官と評されることすらある優秀な軍事指導者であったが、その隔絶した男は、神殿のように静まり返った後方で味方の部隊を神秘的手腕で進退させるような、軍服の全く汚れぬ、そんな戦いぶりの正反対にあった。一軍の司令官であるにもかかわらず、ケマルは苦楽を兵士たちと共にし、それだけでなく生死の危機すら彼らと同調したのである。
 兵士たちは勇猛にならざるを得なかった。ケマルとの間に、物言わぬ強烈な紐帯が出来上がった。前線に姿を見せるケマルの前で、決して醜態を見せることはできないと怯む心を押さえ込んだ。ケマルを決して戦死させてはならないと、自らが突出して戦い敵の侵入を押さえ込んだ。
 この必死さは最前線の、白兵戦を繰り広げる兵士たちばかりではなかった。その熱気は後方の砲兵部隊にも無論伝播していた。彼らは細々と届けられる砲弾を慎重に取り扱い、狙いを定め、必中の強い意志と義務感とで砲撃を行った。このため英仏軍は火力に圧倒しながら、どうしても要所要所で砲撃の被害を出してしまった。
 苦しみに堪えながらそれでも絶望せぬケマルの意思が乗り移ったトルコ軍は、これほどの劣勢になり、同胞たちを次々と失いながらも決して退かなかった。この状況の中で、戦局がやや変化する。これまで敵上陸部隊の後方から艦砲射撃によりその活動を支援し続けてきた、連合軍の艦隊が去るのである。



 第一次大戦における独逸海軍の栄光といえば、とりもなおさずUボート、つまり潜水艦の活躍にあった。海軍強国英国の艦隊は、ドーバー海峡をはじめとする彼らの庭において、独逸の潜水艦隊に見る見る撃沈されていったのである。その独逸軍潜水艦の一隻、U−21が、ジブラルタル海峡をひそかに突破し、地中海を横断してダーダネルス海峡に至り、そこに潜んでいた。
 これを知らぬ英仏軍は、上陸部隊の戦線の膠着に我慢しきれず、ついに再び海上戦力による強引なダーダネルス海峡突破に踏み切った。
 ところが、
 白昼信じられない光景を彼らだけでなくトルコ軍も目にすることとなった。
 U−21は艦長ハーシングの豪胆な指揮により、ダーダネルス海峡を突き進む戦艦トライアンフに魚雷を発射した。それが見事に命中。トライアンフは艦底より大爆発と浸水を発生し、水柱と火柱を交錯させ、あっけなく轟沈した。この光景を英仏軍もトルコ軍も、互いに向けての砲撃をやめ、絶句して見入ったとある。更に翌日、戦艦マジェスティも同じように撃沈された。
 大艦が撃沈されたことにより、狭隘なダーダネルス海峡の船舶の通行が、さらに困難になった。つまり沈船が邪魔をして海峡をまっすぐに航行することができなくなり、縫うようにして進むしかなくなったのである。左右にトルコの砲台からの砲撃を受け、足元の潜水艦や機雷の恐怖に怯えながらのそれは、もはや不可能だった。
 更にこの被害は、英国本国の海軍本部を震撼させ、怯ませるのに十分なものだった。英国は虎の子の艦隊戦力をこれ以上喪失することを恐怖し、ついに主力の戦艦を北海に引き上げさせた。
 これにより、ついに海上からの脅威は去った。ケマルとトルコ軍は、上陸してくる敵兵の対処のみに専念できるようになったのである。
 トルコ軍の目の前に光明が見えてきた。戦いは辛辣すぎたが、ガリポリ半島の高所を巡る戦いで、ついに彼らは負けを知らず、要所を寸土も奪われてはいない。血で血を洗い、同胞の肉体を死骸としながらも、彼らは戦い抜き、勝ち抜いてきた。
 だが、英仏軍はまだガリポリ半島の占拠を断念したわけではなかった。
 ANZAC軍団が投入される。




 オーストラリア、ニュージランド。両国は幸いなことに戦火を体験せざる若々しい国家だった。日本が兵役を義務とした国民皆兵制を敷いていたのに対し、両国は志願兵制だった。兵役は義務ではなく、希望する人間が兵士となるのである。
 或いはそれはひとつの就職先かもしれないが、概して兵隊などというものの給料は安く待遇は薄いものである。それよりむしろ、新しい国家に対する忠誠心や、個人的冒険心が若者をそこに向かわせたのだろう。何しろ、戦争とがいかなるものであるか、彼らと彼らの国家は体験していなかった。それがANZAC軍だった。派兵へと至る複雑な政治情勢と思惑とがあり、英仏との強固な関係を築き上げたい両国はこのANZAC軍をガリポリ戦線に向かわせた。
 ANZAC軍は、帽子の格好が、折れていたり紐で片側だけ止めていたりとちぐはぐで、英仏軍兵士に軽蔑の眼差しを向けられていた。それは彼らが全く素人の集団であることにも一因があった。このため、トルコ方面に到着した彼らは、まずエジプトで訓練を行い、緒戦においては待機し続けていた。皮肉な表現となるが、敵を前にしてでも泥縄式に訓練を施さねばどうにもならない様子だったのだろう。
 この状態について、彼らを送り出した政治家たちはよく把握していただろうし、そもそも彼らは遠きトルコなどという国がいつまでも英仏に抵抗し続けるなどとは思っていなかった。自国の軍隊に適度な戦闘を体験させ、英仏に適度に義理を果たしておく。兵士たちは精々スリルのおまけのついたエーゲ海のクルーズを楽しんでくればいいと、或いは思っていたのかもしれない。
 このANZAC軍の投入とあいまって、英仏軍はおよそ十万人の大部隊をガリポリに集めた。まるで海を覆いつくさんとする数の艦艇から、大兵団が退去して上陸してきたのだった。
 それを見たリーマン・フォン・ザンデルス将軍は、自身の本営から移動し、ケマルに面談を申し込んだ。いぶかしげな表情ながらも将軍を迎えるケマルを前にして、ザンデルスは決定的なひとことを発してケマルに依頼した。
「全ての責任は私が取る。貴官は私に代わってガリポリ防衛軍の総指揮をとってもらいたい」





 ザンデルス将軍の全幅の信頼を、ケマルは素直に受けた。彼に代わり、ガリポリ半島に展開する全トルコ軍将兵の指揮を執ることを承諾したのである。
 もっとも、ケマルに明確な勝利の計算が立っていたかというと、その正反対だった。
 ここまで物量に開きがある中で、英仏へ決定的な打撃を与えることは不可能に近い。現状のトルコ軍には、いかにケマルが指揮を執ったところで、英仏に逆撃を与える力などは無かったのだ。
 といってケマルは決定的な敗北の予測に打ちのめされたり、前途に全く希望を失ったりしているわけではなかった。勝利というカードの裏側が常に敗北を意味しているとは限らない。彼はそのように思っていた。
 後年彼は述懐した。
「勝算などまるでなかった。だが、負けない戦いをすることは可能だと思った。だから指揮を引き受けたのだ」
 それは、これまでの戦いにおいてケマルとトルコの将兵が体得してきた、塹壕線を徹底利用する鉄壁の防御戦を貫徹し続けるということだった。
 これまでの戦いが、英仏軍の地理不案内や上陸地点の安直な特定を受けたこと、強引な海峡突破による大艦の被害など、英仏軍の失策につけこむ形でトルコ軍が痛打を与えている。もちろんトルコ軍の善戦は素晴らしいものであったが、それ以上に英仏軍の自壊が目立つ様相だった。
 それでも髪の毛ひとすじほどの僅差で、辛うじて戦線を維持している。ケマルはそのことを熟知していた。
 その苦しい戦闘を、なお継続するというのは、尋常な決意ではない。まして自分が指揮を執ることにより、自分の命令のひとつひとつが、千万のトルコ軍兵士とその後背のトルコ民族の生死を大きく左右することになる。いかに名誉あり、いかに本懐であろうとも、その重圧は思えば思うだに、常人ならば発狂して逃走してもおかしくないものだった。
 ケマルを突き動かしているのは、出世欲だろうか。権勢欲だろうか。名誉心だろうか。おそらくそのどれでもない。それを望む心は、人間ならば大なり小なり誰にしも存在する。だがやはり人間ならばこそ、それらを可能な限り楽をして獲得したいとも思うはずであり、引き換えとなるものが巨大でありすぎるあまりに過酷な挑戦、裂け爛れた皮膚でありながらもなお血だらけになり岩場を進むような困難な道程を、普通の人間ならば選びはしない。
 正義感だろうか。
 だが、トルコを絶対的な正義。侵略軍である英仏を絶対的な悪と、単純に色分けできるほど、そんな黒白の違いに酩酊できるほど、状況はわかりやすいものではなかった。エンヴェル・パシャら青年トルコ党は、トルコの近代化をラディカルに行うという壮大な夢を抱き、クーデターを起こしてオスマン=トルコの宮廷を牛耳ったが、外にあっては他民族にとって迷惑この上ない汎トゥラニズムという膨張侵略主義を勝算もなく押したてて四方を侵略し、内にあっては青年トルコ党内部の権力闘争を繰り広げ、エンヴェルの反対勢力は次々と粛清されている。反論する人間は殺されるのだ。
 かといって彼らに実権を奪われたオスマン=トルコの皇帝(スルタン)にしても、日頃は青年トルコ党の主張に好意的にうなずくものの、青年トルコ党が少しでも隙を見せれば、たちまち逆クーデターを起こし、彼らの惨殺を目論む。一度など本当に青年トルコ党を討伐しようとして失敗したほどだ。またこれより後、オスマン朝廷は自分たちの一族の安全と財産の保全が認められるならば問題ないと、トルコ領の大幅な割譲を求める条約をあっさり承諾している。
 ケマルは、青年トルコ党の中枢にもいないし、オスマン朝廷の重鎮にも程遠い、単なる一介の野戦指揮官で、野暮で、粗野で、戦わない時には飲んだくれて鬱屈や憂いを誤魔化すしかない。その男が、いかに自分の味方であろうとも、青年トルコ党やスルタンに正義など感じるはずもなかった。
 ケマルは何のために戦うのだろう。軍隊にあっては高位にあるこの男は、望めばもっともっと安全で、弾の飛んでこない後方にいることができたし、そもそもこんな苦難に満ちた戦場にでてくる必要もなかった。それを、耳をつんざく砲弾の音の満ちた最前線にあって、質朴そうな若い兵士たちが泥濘の中で死んでいく傍らにおり、血まみれの体を抱き寄せて弱まっていく鼓動に耳を傾け、すぐ近くに着弾した砲弾のせいで顔を真っ黒に汚し、咽喉奥が爛れるほど叫び続けて兵士たちを叱咤し、勇気づけ、恐怖や不安や絶望や苦しみという人間的な弱み、誰からも、例え神からさえも叱責を受けるに当たらない当然なその弱さというものに、一時たりとも身を委ねず、そこに居続ける。
 そこで、ケマルは何を見つめていたのだろう。暗雲の曇天、太陽などいずこにあるか皆目わからぬ陰鬱な禍々しい空を凝視し、彼は彼だけに見える雲間からたなびき落ちる光明を見つめていたのだろうか。
 人が、何の光も見出さず、冷静に分析すれば不毛以外の何物でもない行為に没頭するということはありえるだろうか。しかもそんなものに自分の命をかけ、あらゆる苦難と危険とを平然と引き受けることができるのだろうか。
 確実に言えることがある。ケマルは決して絶望しなかった。理性的な判断を下すことすら、目の前の状況に絶望し、放棄してしまう、そんな人々の只中にあって、彼はなお冷徹に負けないことを継続する戦いが、何をもたらす可能性があるかを思索した。
 ナポレオン戦争時代のプロイセンの軍人に、クラウゼヴィッツという人物が居る。
 彼は不遇にありはしたが、極めて優秀な参謀であり、特に戦争という行為を理論付けることにより構成に多大な影響を与えた。
「戦争は政治の継続である」というのは、その様々な理論の中の、最も有名な一つである。これは、様々な政治の方向性の中に戦争があるという危険な解釈をはらんでもいるのだが、その本質は、戦争は戦争単体として存在するのではなく、あくまで政治的なある情勢に基づき、武力により何らかの形をあたえるものであるという、政治というものに戦争が隷属する理論である。それに従うならば、戦争とは政治の一局面に過ぎず、大本である政治において勝利することができれば、一戦場における勝敗など顧慮するに値しないということになる。また逆算すれば、一戦場における戦闘とは、安直に勝つのでなく、また負けるのでなく、あくまで政治上の勝敗を促すような勝利であり停滞であり敗北であるべきだということにもなる。
 ケマルはそれを根底に置いていたろうし、英仏の政治における脆弱性も看破していただろう。
 英仏を中心とした連合国は、確かにトルコに宣戦布告をしていたが、彼らの最も深刻な敵手である独逸との決戦に忙殺されているというのもまた事実であった。またトルコと戦い、これを徹底的に駆逐するという意思は、どの国も共通していたが、戦後処理、露骨に言えば敗北したトルコの領土のどの部分を、どこの国が奪うのかという利害関係については、完全な一致と協調性を有しているわけでもなかった。
 それが彼らの「政治」であった。高邁な理想や哲学がそこにあったわけではなく、株屋がどの銘柄が上がるかを胸倉つかみあって議論するのに似ているといえなくもない。
 この「政治」の下には英仏をはじめとした諸国家の国民が帰属している。現代と違い帝国主義の盛りである当時のことだから、他人の国の領土を奪えば、株が上がるようなもので、国民も恩恵を受け、喜ばしいことであったろう。だが国民はいつもそのような賭博のために、莫大な税金と人命とを差し出さねばならないのだった。楽勝ならばいい。だが、つぎ込んだ銭よりも得られる報酬が乏しいというのであれば馬鹿馬鹿しいことこの上ない。まして何も得られないとしたら。無一文になった株券は千切って捨ててしまえばいいだろうが、人の命は戻らない。
 ケマルは思った。英仏軍を覆滅することはできなくとも、戦線を維持し続ければ、必ず英仏の本国に厭戦気分が訪れる。国民はこのわりにあわない賭博から足を洗うよう、彼らの政府に圧力をかけるだろう。負けなければいい。戦い続ければ、必ずそうなる。
 無論彼らがそうやって音を上げる前に、トルコのほうが疲弊しきって屈服することも考えられた。
 もしトルコの兵士たちが、熱狂はあるが内実が伴わない青年トルコ党の理想や、自己保身のためならば国家や国民など掌を返すように裏切るオスマン皇帝のために、戦い、守り、死ねと言われれば、逃げ出したろう。だがケマルは説いた。そんなもののために我々は戦うのではないのだと。我々は何のために命を賭けて戦うのか。トルコのためだ。トルコの国家、トルコの国民のためだ。急進主義者たちや黴のはえた骨董品の皇帝などの意思によらない、自分たちの意思、自分たちの主権が満たされるトルコという国、現世において存在せぬ、だがこの戦いに勝ちあがって後必ず作り上げねばならない我らの新しい国、その未来のために、戦い、守るのだと。
 それはどこにも存在しない。誰もが夢想すらしない。ケマルの脳裏にだけ存在する、トルコ人によるトルコ人のための国家だった。それを嘲笑し、ひたすら我が身の安泰を図ろうとする人間がいてもおかしくはない。だが、ケマルは語る。その国家は今存在しない。だがその国家が庇護し続けていかねばならない哀れな民、列強の爪牙にかかり今まさに八つ裂きにされようとしている民は、確実に存在する。我らは我らを守るために戦い、その武器として新しい国を作り上げなければならない。その戦いを、今放擲するのか。トルコの未来の可能性を、今捨ててしまうのか。
 ケマルはそれを主張するに、弁舌を用いたが、口舌で兵士たちを死地に向かわせたのではない。彼は彼の肉体を自分の理想にささげていた。行動により、最も危険な場所において、トルコの光明がこの戦線の向こう側にのみ存在していることを語ったのである。
 兵士たちは、やがて、幾多の砲声と屍の積み重なる果てに、ケマルと同じ夢を見た。
 だが彼らのその夢を阻む最大の脅威が訪れようとしていた。英仏軍を主力とし、オーストラリア=ニュージランド連合軍「ANZAC」などを含む十万の上陸部隊が、ケマルとトルコのガリポリ半島を窺いつつ、上陸地点を探っていた。
 英仏軍は、準備不足、配慮不足で失策続きであったが、この時点においてようやく自らの不手際を虚心に認めつつあったらしい。即ち、ガリポリ半島における高所を奪取しその後周辺を雪崩式に征圧する基本方針は是認するとして、その一番最初に奪うべき高地の設定をひそかに見直したのだった。
 彼らはその地を、当初の侵攻地点であるジョンクバユル高地の北方、コジャチメン高地に定めた。彼らのそこへの本格侵攻は八月九日未明、戦闘開始から半年近くを経過した時期であり、リーマン・フォン・ザンデルスがケマルに全軍の指揮を委ねた、その翌日のことである。
 今だ払暁に至らぬ暗がりの中、英仏軍はコジャチメン高地と付近のトルコ軍防衛隊に向け、得意の砲撃を開始した。トルコ軍もすぐさま応射したが、ただでさえ重砲の数も弾薬の備蓄も乏しい上、手薄のコジャチメン高地を突かれたため、英仏が百発撃つのに対し、一発撃ち返せるかどうかといったところだった。
 砲火は一方的になり、砲雷は専ら海や水際から発せられ、陸にばかり落ちる。トルコの兵士たちは塹壕に身を潜め、恐怖に歯を食いしばりながら、じっと、それが止むのを待ち続けるしか他に術がなかった。
 英仏軍の砲撃は、ガリポリの峰を揺さぶり続けたが、彼らとてまさか砲弾によってトルコ軍の兵士ごと、高地の土砂全てを抉り取り、そこを平場にしようとは思っていなかった。砲撃によりトルコ軍の戦力と戦意とを剥ぎ取るだけ剥ぎ取り、やがてその衰弱を見極めて上陸した歩兵部隊を突出させるという、いわば常套手段である。
 このすさまじいばかりの一方的な砲撃の報せは、直ちにケマルの元にもたらされた。
 ケマルは黙然として考え込んだ。
 一言も発しないが、脳裏にはガリポリの地図の上に敵味方の分布が記せられたスクリーンが展開され、戦局を左右する様々な要素が飛び交う。救援すべきか、見捨てるべきか。駆けつけるとして、どの部隊を選抜し、どこに行くか。どれだけの時間がかかるか。どれだけの弾薬その他の物資を抱えていけるか。或いは別の、敵の侵攻をとどめる手段はないか。
 程もなく計算は終わった。ケマルはひとつ軽い吐息を漏らした。重大すぎる決断を前にしてその仕草はまるで重々しくなく、午後からのにわか雨を憂う程度の素振りだった。
 ケマルは伝令を集め、各前線の部隊に命令を下すことを伝え、その内容をごく簡潔に口にした。「ごく一部の守備部隊を除き、可能な限り各部隊はコジャチメン高地へ向かえ」





 博打であった。
 現に今コジャチメン高地のみならず、目前のジョンクバユル高地も敵に狙われ、敵の圧迫を受けている。兵力が湧き出るほどある英仏軍は、二つの高地を同時に狙うこともできたし、今回意表を突いてコジャチメン高地の方にその比重を傾けはしたものの、ジョンクバユル方面への色気は捨て去っていないのである。また英仏軍も主力を投入したのがコジャチメン高地だと悟られぬよう、擬態として、積極的にジョンクバユルにも攻勢を仕掛けてきていた。
 ケマルは、その本命がコジャチメン高地にあることは洞察していた。刻々と変化する戦況の中、それを見抜いていたのは見事であったが、それ以上に尋常ならざるのは、洞察した事象に対処するためのケマルの決意だった。ケマルはジョンクバユルの出血を覚悟で、敵軍の主力攻勢に対処するために自身も主力をコジャチメンに振り向けたのである。
 かくて、トルコ軍兵士はコジャチメン高地の高峻に駆けつけた。
 砲撃を一段落させ、英仏軍の歩兵が侵攻し、重い武器を携えながらあえぎあえぎし岩場を進み、ようやくその頂上を臨めるようになる事、物陰からふっとトルコ軍兵士が顔を出し、乏しくなった砲弾や弾薬に頼らず、白兵戦を挑んだ。せっかく上り詰めた英仏軍の兵士たちは、トルコ軍兵士の凄惨な戦いぶりに体を貫かれ、たちまち逆落としに転がり下っていく。英仏軍も負けてはおらず、近距離で銃を乱射し、またトルコ軍に同調して白兵戦を繰り広げた。英国の兵士と、トルコの兵士が、組み合い傷つけあいながら、互いの地で己を染め、落ちていく。高峻が見る見る血に濡れていく。
 トルコの兵士は大勢が倒れた。犠牲は少なくなかった。だが、とうとう英仏軍の侵攻を阻止した。彼らは敵を一歩も高地の頂上に入れさせなかったのであった。
 ケマルの賭博は当たった。
 ただしそれは半ばだけであった。
 自らもコジャチメン高地において戦っていたケマルの元に急報が入る。それは、あえて手薄にしたジョンクバユル高地の一角の失陥の報せだった。英仏軍は、ジョンクバユル戦線のトルコ軍部隊が手薄になったのに感づいて、予備兵力の全てを、ケマルらのかけつけたコジャチメン高地への援軍としてではなく、元々彼らが守り、今一時的に離れたジョンクバユル高地に投入した。結果八月九日夕刻に、ニュージーランド軍兵士が高地占領に成功したのである。
 侵攻し占拠したのがニュージーランド軍、つまりANZAC軍団であったのに、ケマルには多少の感慨があった。よくもまあ地球の反対側からやってきたものだという気持ちが湧き上がったのである。彼らは根を洗ってしまえば素人の集団であったのだが、意外なことに、勇猛なトルコ軍兵士に負けず劣らぬ勇気を持っていた。戦い慣れた英仏の兵団を尻目に、ひた押しに押し、ついにトルコ軍を追い払ったのである。
彼らは侵略軍ではあった。だがケマルは彼らに個人的な憎悪や恨みを感じはしなかった。遠い異国で、慣れぬ風土で、何のためかは知らない、だが勇猛果敢に戦う彼らに、否定的な感情は生まれなかった。むしろ彼らが異郷に倒れていくことに心を動かしもした。
「他国を侵略する戦争などは、愚かしいことだ。名もない兵士ばかりが倒れていく」
 そう思いはしたが、自らがそのような感慨に溺れ、ついに戦機を逃すことを、決して許容できるケマルではない。彼の冷厳さがたちまち次の決断を下した。
「次はジョンクバユルだ。戻るぞ。ここコジャチメンには戦線を維持しうる最小限度の部隊のみ残し、今一度ジョンクバユルで決戦する」
 それは英仏軍によって大きく陽動された失地を回復する、穴埋めの作戦ではなかった。場当たり的な対処療法であるようでいて、実は英仏軍首脳の意図を完全に看破した決断となった。ジョンクバユル高地の一角を占拠したことに気を良くした英仏軍は、さらにジョンクバユル高地を圧迫し、その一体の完全占拠を目論んだのだった。
 そのための兵力を、コジャチメン戦線から引き抜く。一旦コジャチメン高地に向かっていた部隊は急に呼び戻され、一路ジョンクバユル高地を目指したのである。
 その英仏軍の右往左往さをケマルは完全に見抜いていた。
 ケマルは一晩中駆け回って、集められるだけの部隊と火砲をコジャチメン高地のなお確保し続けている一隅に集結させ、払暁と共に総攻撃に打って出た。
 僥倖があった。
 トルコ軍の砲弾は、戦端を開いてから程なく尽き果てたが、同じ頃英仏軍の砲弾も枯渇した。砲弾の交し合いはほぼ同時刻に終えられたのだった。これは、英仏軍は砲弾の備蓄を多数有しながらも、ジョンクバユル高地に火砲と砲弾とを上げ、そこに大砲を備え付けるだけの時間的余裕を持たなかったせいだった。ケマルの決断と行動の迅速さが、敵の砲撃を封じた格好となった。
 あとは白兵戦だった。
 猛烈な射撃の中、ケマルは塹壕から姿を見せる。
「突撃!」
 兵士たちが突進し、自ら傷つきながらも、英仏の兵士たちを倒していく。
 が、
「突撃!」
 ケマルがまたそう叫んだ後、一瞬のただならぬ静寂が彼らを押しつぶした。
 英仏軍の火線が、ケマルに集中したのだった。
 辺り一面に敵の弾丸が散らばり、地面を穿って、朦々と土煙が舞う。ケマルはその火線と、その土煙のその只中にあった。
「大佐! ムスタファ・ケマル大佐!」
 兵士たちはその名を呼んだ。絶叫した。まるで親に見捨てられた幼子のようにその名を口にした。
 土煙が、ゆっくりと引いていく。
 トルコの兵士たちは真っ赤に充血した眼をいっぱいに見開いて、その煙の帳の向こうにある、きっとある、必ず無事でいる、その願いを込めて、ケマルの痩身を探した。
 やがて、この鉄の男の輪郭が見えた。
 男は、倒れてはいなかった。相変わらず豪胆に、味方にその頼りがいのある背を向け、じっと敵陣と、その向こう側の光明を見据え、前を見つめている。
「アッラーもご照覧あれ」
 兵士たちは泣き出しながら叫んだ。
 煙が消えた。
 ケマルは無事だった。
 射撃は確かに彼を狙った。
多くの弾丸は彼を掠めて飛んでいき、ただ唯一彼に付きまとったその一つは、命中したけれど、それは彼の腕時計に丁度当たり、それを砕いただけだった。
ケマルは手を大きく振りかざした。
「全員、突撃!」
 兵士たちは滾り、絶叫し、この男と共に全力で駆けた。心臓が破裂しそうなほどの胸の高鳴り。それでもかまわない。飛んでくる弾丸。側をかすめ、皮膚とうわっつらの肉をえぐっていく。それでもかまわない。空を裂いて弾丸が向かう。腕を、桃を貫いていく。子供の頃に戻ったように、派手に尻餅をつき、横倒しに倒れ、前のめりにうっぷす兵士たち。だが、やはり子供の頃のように、泥だらけになりながら、たちまち立ち上がって再び走り出す。足を引きずってでも走り出す。
 英仏軍も、ANZAC兵団も、よく防いだ。だがケマルが兵士たちに説いた夢を打ち破ることは、とうとう彼らにはできなかった。
 苦戦はなおも続いた。長期にわたる戦闘で、英仏軍の中にはチフスや赤痢、マラリアが蔓延し、戦闘で死ぬのと同じくらいの戦病死が相次いだ。
 そしてとうとうその時がきた。英国の戦争指導者たちははかばかしくない戦果の責任を押し付け合い、ひとつの明確な目標も有さず、右往左往して、ついに多方面の戦局の変動に伴い、ガリポリ戦線部隊の撤退を決意した。
 トルコ軍の歓呼が、ガリポリの山野に満ちた。
 英仏軍は疲れきっていた。だがそれはトルコ軍も同じで、疲弊の極みにあった。彼らは勝利者であったが、英仏軍を追撃しこの勝利を決定付けるだけの余力を持ち合わせてはいなかった。
 勇敢に戦い続けたANZAC軍団も撤収を開始した。血みどろの戦いの中にあって、素人兵団ながらも彼らの勇敢さは見事なものだった。トルコ軍の兵士たちは誰もがわかっていた。彼らは何ら憎悪するに値しないのだと。彼らと我々はこうして戦っている。それぞれ信じるもの、期するべき何かを持っている。だけれども、それでたまたま黒白に分かれたといっても、何を憎むこともない。それはオーストラリアや、ニュージランドの兵士たちだけでなく、英国も、仏国も同じだった。トルコの兵士たちはわかっていた。だから、その戦いぶりは勇猛ではあってもフェアだった。病院船などは決して攻撃しなかった。
 ANZAC兵団が引いていく。
 トルコのある将校が、ANZAC兵団の誰か、名も知らぬ兵士がガリポリの彼らの野営跡に残していった、一枚の書付を見つけ、読んだ。
「長らくお世話になった。ここは、全部、君たちのものだ」
 ガリポリ戦役における英仏軍とトルコ軍の損害は、統計によりまちまちではあるものの、双方とも二十万人以上であったと記録に残っている。






 後年ケマルがアタテュルクとなった頃、彼は過ぎし日の激烈な戦いを回想し、幾多の犠牲を出し、幾多の思いの積み重なったこの地に、ひとつの石碑を建立した。
 そこには、こう記されている。


   Those heroes that shed their blood and lost their lives
   You are now lying in the soil of a friendly country.
   therefore rest in peace.
   There is no difference between the Johnnies and the Mehmets to us
   where they lie side by side here in this country of ours...
   You, the mothers;
   Who sent their sons from far way countries, wipe away your tears,
   our sons are now lying in our bosom and are in peace.
   After having lost their lives on this land and they have become our sons as well.
                                     Ataturk,1934

  
英雄たちよ。その血を流し、命を投げ打った者たちよ。
   汝らは今、友の国に眠る。故に安んじられよ。
   ジョニーとメーメットの間に、何ら違いなく、  
   故に我らが国で、隣り合い眠る。

   母たちよ。遠き国より我が子を送り出したる母たちよ。
   涙を払うがいい。汝らの子は我らの胸の中にあり、安んじて眠る。 
   この地で没した者、我らの子でもあり。
                        アタテュルク 1934




 
メーメットはトルコ人。
 ジョニーは、トルコを幾度も危機に陥れようとした英国人。
 だがきっと、どの国だろうと関わりなく、この地で没した全ての兵士たちを想ったのだろう。
 ムスタファ・ケマルはこのガリポリ戦役において頭角を現し、やがてトルコ独立戦争の中心となって活躍する。この後も数多くの戦いを体験し、ついに一度も敗北をしなかった。
 だが、彼はその力を、ただ国内の統一と、外国の驚異を駆逐することにのみ使用し、複雑な時代背景にありながらも、ついに外征のために武力を用いなかった。
「内に平和、外に平和」
 彼の、アタテュルクの言葉である。
 彼の思いは石碑となり、ガリポリの丘でその風と共に在る。