『前略、海外に住む日本女性様』 − 2 −
最近どうも釣りに凝ってしまいまして、こうして真面目にパソコンの前に座らなくなっていました。暇さえあれば海に道具を抱えて出かける毎日が続いておりまして、おまけに海が近いこともあり、条件があまりにもそろっているということで、楽しい毎日でありました。
帰国してからというもの釣りにはまったく無関心できたのですが、ひょんなきっかけで竿を持ち、そのままずるずるとのめり込んでしまっている毎日です。
ただ、『考えた』シリーズの「魚釣りで・・・」のところで書いたように、どうも日本の魚釣りのルールというのは曖昧で、おまけにアングラー達の意識ときたら、そこに海があるから魚を釣るだけという程度でしかないのが困ります。欧米のようにきちんとした規制もなければ、アングラー自身に自覚する必要もないのですから、進歩を望むのも無理かもしれません。私の場合そんなもんで、いざ魚が針に食いついて上がってきてくれても、それを持ち帰って良いものかどうか、しょっちゅう迷うこの頃です。
付け加えるなら魚釣りというのは、実は大変辛抱のいるスポーツです。2時間、3時間釣れなくて待ち続けるのはあたりまえ。20年30年のベテランの方はいつも私に辛抱、辛抱と言って諭してくれます。人生と同じで辛抱が大切と言いつつ、何故かその裏で、最近釣れない、釣れないとと洩らしてもおられるのも事実です。何かその矛盾に最近物凄い怖さを感じ始めたのは、果たして私だけでしょうか。
さて、あけみさんの事が長い間ほったらかしになっています。ヨーロッパで偶然にもこのHPに彼女がアクセスしていたら、たぶん彼女は相当怒っているにちがいありません。
あけみさんという人のフル・ネームが何で、どういう目的でヨーロッパに渡ったかは、私は知りません。何度か長く話したりもしましたが、そのような話は最後まで出ずじまいでした。
あの頃、彼女はアムステルダムでフランス人の彼氏と暮らしていました。彼女の話によるとフランス人の彼氏というのがピアニストらしく、それもフランスに帰れば一応は名の通った人らしく、それが何故オランダに来たかは、どうも彼氏のフランス嫌いが原因らしく、わがままを聞いてオランダに移り住んだのはいいが、彼氏は働くこともなく、オランダに来てからはずっとあけみさんが生活を支えている状態のようでした。
あけみさんという人は見るからに気丈な感じの人で、おまけに実際話していてもそれにさらに竹を割ったような姉ご肌が加わり、男である私からみても頼りになる人でした。ただその反面、彼女の生活の現状から私はいつも、この人は他人の見えない場所で、1人でどれだけ涙を流しているのかな。っと、ついつい彼女の何気ない視線や態度から感じたりもしまして、そんな面からもいっそう魅力を感じました。
友達も少なく、家族から遠く離れた異国の地で、女1人がたった1人の男のわがままのために尽くすことは大変なことです。ピアニストの彼氏の実家は南フランスに大きな農園を抱える地主で、彼氏さえ折れて南フランスに2人で帰りさえすれば、裕福な生活と名声が待っているはずです。しかし、それをしない彼氏が好きで、そんな男が好きで、それを認めた上でたぶんあけみさんは多くの苦労を背負っていたのだと、今私は敬意を込めて思えます。人を支えて逞しく生きている女性の姿は本当に凄いものです。
ロンドンにいた頃、どうも日本で何かあって旅に出たと思える1人の日本女性に会いました。あまり若くもなくどこか影を引きずっている雰囲気があったので、私にはそう思えたのかもしれません。その人がとあるイギリス人の青年に近づかれ、いつの間にかその青年に優しく接するようになりました。イギリス人青年は失業者で、毎日の生活にも困っている状態でしたから、彼女は食べ物を買い与え、たまにはお金も貸し、男の方も何かあれば彼女を頼ろうとしました。私はこの男の素性をある程度知ってましたから、彼女に一度注意したことがあります。しかし、むべもなく彼女には睨まれるだけでした。
欧米の男は確かに女性に対して優しいです。女性を優先してくれたり、辛かったり、孤独だったりした時に優しくしてくれます。日本人の私からみてもそれはいいことです。ただ、問題はその先にあるように思えます。優しさに甘えて腕に抱かれても、一度そこから離れて自分と現実を見直す冷静さも必要です。そして、忘れてはならないことは、彼ら欧米人が”Yes",”No"をしっかり使い分けるように、意見と意思はしっかり相手に伝えないとならないということです。
アメリカに住んでいた頃、同じ屋根の下に、アメリカ人と離婚した2人の日本人の女性がいました。1人は娼婦上がりの、黒人と結婚してアメリカに渡り別れた人。六十を過ぎても派手な赤い柄の着物を着て、よく男を引っ張り込んでいました。もう1人の人は、どちらかといえば大人しく、他人に気を使う人でした。欧米社会では子供はさっさと家を出て行き、当てにはしません。亭主にそっぽを向かれ、行き場がなくなってしまえば、残るは孤独な生活だけです。勿論日本に帰ることすらできなくなってしまいます。特に私はよく気を使ってくれた方の人に哀れみを感じていました。この人の場合、自分の子供にさえ会えない状態でしたから。
日本女性が海外に出て行き根を張ることの厳しさは、こういった多くの方たちから感じ取ることができました。国がどうであれ、出会いがどうであれ、長くその地で暮らそうと思う日本女性達に共通して必要なことは、自分の存在と意思を相手に常に知らしめる必要があること。だまっていれば日本に里帰りもままならないことになるそうです。耐えて時期を待てるということ。そして反面何よりも日本女性の素晴らしさ(たまには馬鹿なと思ったこともあったが)を感じたことは、自己犠牲的精神で相手に尽くせる。言い換えれば、献身的な性格でした。
あけみさんという女性は、日本に居ればたぶん古風な女性と呼ばれる人ではないかと思います。今の日本にこんなタイプの女性は少なくなりました。我侭に育てられた人間が多いせいか、女性としての魅力、女性らしさの意味を問うこともあまりなく、人の生き様に感動するケースすら見つけにくくなりました。オランダで私の窮地の前に現れてくれた女性は、私の窮地を救う足がかりを築いてくれただけでなく、私に日本の女をみせてくれた気がします。
ついでに、日本女性と国際結婚をして長く睦まじく暮らしている欧米人の男性のパターンがあまりにも良く似ているので書いておくと、奥さんははきはきと、むこうっ気が強いのとは対照的に、良く気がつき、どちらかというと物静かで優しい男が多い。これは私だけが感じたことだろうか?これから国際結婚をと考えてる人。一考あれ。
長く続いた旅の終わり。地球の日本の裏側南米アルゼンチン。この国のネウケンという町に住む友達の日系人家族を訪ね、そこのお父さんが連れて行って紹介してくれたりんご園を営む日系人家族。私を迎えに出てくれたのは、以外にも昔の日本のいなかの母親の姿、そのままの日本女性でした。
もんぺにシャツにエプロン。日本手ぬぐいを姉さん被りにして足にはゴムぞうり。六十過ぎのふくよかな顔のその婦人は満面の笑みを浮かべて、遥か遠い母国から来た私を出迎えてくれました。昔私の生まれたいなかでも、そこいらじゅうでも見かけた日本のお母さんの姿、格好そのものがそこにありました。何故、こんな地に。
話しつつ、肩の力が抜けていくのがわかりました。未だに忘れられない脳裏に焼きついた映像です。
