Part・10
<のっけてもらって、なんですが(2)> 2001年3月15日
北欧というところは、寒くて、どちらかといえば日陰という感じのイメージがある。
しかし、澄んだ空気と真っ白な雪と美しい自然が、あれほど美しい女性達を産んでもいるわけだ。それに、やはりどちらかというと白人の社会だろうなと思う。・・・が、意外にも他民族の方もちゃんといるのである。

その時私は、小さな田舎のバス停でバスを待っていた。北欧三国での移動は、もっぱらローカル・バスが主流で、あまり通らない車をあてにしたヒッチハイクよりも、むしろネット網に優れたバスを利用した。季節は8月だったが、この年は近年稀にみる異常気象で雨が多く、この日も朝から移り変わりの激しい天気だった。そして、私には夏雨にしてはこの雨は冷たかった。そんなバスを待つ私の前に、一台の車が止まった。

30代後半のその男性は、窓を明けると後ろの席を指さし、乗らないかと言ってくれた。私は返答もせず、行き先も告げずに、そそくさと乗りこんだ。
”君は中国人?それともどこか他から?”
”先ここを通った時に、ワイフが君に気づいてね。乗せてあげようってことになったんだ。”
彼女は助手席で、ニコニコしながら私達の会話を聞いている。肌が浅黒く、小柄で、東南アジア系の女性だということはすぐにわかった。
"ハーイ。”私は彼女に、笑い返した。


”あなた、日本人ね。””こんなとこで、何してる?”
あまり巧いとは言えない英語で、彼女は尋ねてきた。私は、この近くのりんご園で、これからバイトを始めること。これから行動を共にする、タイ人の友達がいることを話した。
”エッ。””タイ人、友達、いるの?”
彼女の顔が、急に嬉々としてきた。


そのタイ人の友達は、私のオスロに住むノルウェー人の友達の友達のボーイ・フレンドで、私と同い年だった。ただ彼のことを私は友達と呼ぶには抵抗があったが、その理由は、友達の友達は男性で、ようするにこのタイ人はホモだったのだ。話によれば、タイに男遊びに行った時二人は知り合い、その後わざわざタイから彼を呼び寄せたという国境を超えた恋で、二人は、友達の友達の家で、彼の家族と同居していた。

一度彼らの家に遊びに行ったことがあるが、タイ人の彼は、両親とも非常に中睦まじくやっていた。(おじゃましたのが午前中だったのがまずかった。二人がバスローブ姿で出てきたのを見て、私は訪ねたことを深く後悔した。)欧米では、ホモ関係にしろレズ関係にしろ、周りが非常に大らかに彼らを認めていて、最初の頃の私には、本当に不思議の国の恐ろしき世界だった。このタイ人の彼と、私が一緒に働くことになったのは、りんご園の仕事に、友達の友達が目処をつけてくれて、その話にタイ人の彼が乗っかってきたからで、私としては立場上断ることは出来なかった。

ただ、私はこのタイ人の彼を、失礼ながら興味深々に観察させてもらって、ーこいつ、本当にホモか?−っていう疑念を最後まで捨てきれなかった。私と行動を共にしている時の彼は、まったくストレート(普通という意味)にしか感じられなかったからだ。実際力仕事もよくこなしたし、りんご園に働きに来ていたノルウェー人の女の子にも人気が出るくらい、さっぱりした性格だった。悪い見方をすれば、タイでの貧しい生活から抜け出すために、友達の友達を利用しようと思えば、出来る事だからだ。マァ、そこまでの追求は避けよう。たまに見せる二人のみつめあう視線に、男女間のそれに似たものもあったのだから・・・。

"そうか。タイ人の友達もいるのか。実は彼女もタイ人でね。どうだい、よかったらその友達も誘って、夕食にでも来ないかい。”
”ところで、君をどこまで連れて行けばいい?”
私はバスで帰ろうとしていた、その小さな町にある、老人ホームに併設されたバンガローに連れて行ってくれるよう頼んだ。


話によれば、どうも北欧の人達は、暖かい国の人達に憧れるそうだ。それに、特にアジアの女性は、優しくて尽してくれるというイメージがあり、人気があるらしい。

話がそれるが、オーストラリア人の大変仲のいい友達も、結婚するならインドネシアの女性だといい続け、ついには願いを成就したが、その後、東南アジアの女性の真の強さに気づき、恐れおののくまでそれほど時間を要さなかった、という哀れな話もあるが。マァ、それはそれでいい。

そういえば、私が大変お世話になったオスロに住む友達夫婦も、奥さんは飛びっきりの北欧美人なのに、旦那はブラック・アメリカンだ。少しでも太陽に肌を晒したいと思っている人達には、あの褐色の肌は相当魅力的なのだろうが、逆に、アジア人の私から見れば、北欧の飛びっきり美人を差し置いて、アジアの女性に走る男どもの、心の中を覗いてみたいと思うのだが・・・。

その夜、私はタイ人の友達と彼らの家におじゃまして歓待された。さほど離れていないところに住んでいるという、この夫婦よりも少し年配の、もう一組のノルウェー人とタイ女性の夫婦も来ていて、タイから来てそれほど間もない友達は感激しっぱなしだった。そして、そのあげく、この二人のタイ女性は、私達が働くりんご園のオーナーを知っているから、自分達も行って働くといいだしたのだった。こうなると私達にとっての歯車はうまく回る。この二人のタイ女性は、私達の朝晩のバンガローからりんご園までの送迎もしてくれて、こまごまと面倒をみてくれたのだ。ところが、数日して・・・。

年配の方のタイ女性が、朝、我々のところに来てこう言った。
”実は、大変なことになっちゃたの。”
”あっちの方の旦那が、あなた達に物凄いジェラシー感じちゃって、夕べは、サラは割るは、物は投げるはで、彼女困ったって電話してきたの。どうしましょ・・・。”
”・・・・・・・・・。さァ?・・・・・。”

ヒッチハイクをしていると、たまには怖いこともある。乗っけてもらうのだから、個人的な希望はあまり口には出せないが、間違いなく言えることは、相手に自分の命は預けている、ということだ。

ニュージーランド北島、ウェリントンから温泉の町ロトルアに向かった時は、20才前の男の子が拾ってくれた。
こいつ、よく飛ばした。ウェリントンからオークランドにつながる道は主要国道だが、日本のように路側までぴっちりとアスファルトが敷き詰められているわけではなく、大体が路側はジャリだ。何度もジャリに足を突っ込みながら、彼は飛ばし続けた。だが、ロトルア方面への分かれ道に、あともうすこしという所迄来た時、こいつはやった。


急なカーブを曲がりきれず、車は二度スピンし、山側の斜面の手前で止まった。やっこさん青ざめていた。対向車がいれば、まず御陀仏だ。
”おい、大丈夫か?” 薄ら笑いを浮かべている。
”車の運転長いの?”
“2か月前にライセンス取った。”
”・・・・・・・・・・・・。”



ドイツでは、ミニ・クーパーを片腕で操る老人に拾われた。
片腕しかないその老人は、一本の腕だけでノーマル車を運転していた。ハンドルから手を放してギアーを入れ替えながら運転する老人に、私は感嘆し、内心ビクビクした。それもアウトバーンをメチャメチャ飛ばし続けながらだ。気難しそうなその老人に、私は英語で話し掛けることも躊躇った。勿論ドイツにも英語嫌いはたくさんいて、こんな条件下で、下手に嫌な顔はされたくなかった。

目的地のハンバーグに着いた時、私は心底ホッとした。
”ありがとう。あなたの運転は素晴らしかったよ。”
”ハハハ。気おつけて行きなさい。頑張ってな。”
予想に反して、驚く位流暢な英語が返って来た。