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※死にネタ注意! ※Garbage「The World Is Not Enough」PVパロ ※若干にほろいど 創られた、限りなく人間に近い外装と、命令と状況の整合性を自分で考え、より 良い選択肢を自分で選び、実行するという新しい人工知能を持ったアンドロイド です。プロトタイプですので個体の識別番号はありませんが、代わりにマスター からは親しみを込めて"キク"と呼ばれています。マスターは私のボディ部分を 開発した方で、その名前は私の頭脳を開発した本田博士からつけられました。 博士はマスターの親友で、理念を共にした"私"の共同開発者でした。とはいえ 私はもうひとりの生みの親である博士にお会いしたことはないのです。頭脳を 完成させた直後、夢の実現をマスター託して博士は亡くなられたと聞きます。 口さがない方々は栄誉を独り占めする結果となったマスターを悪く言いました。 心無い方などマスターが博士を殺したのではないかとさえ。しかし、決してそう ではないことは私の名前、そしてマスターの仕事机にいつも飾られている写真を 見れば明らかです。在りし日の博士と親しげに肩を組んで笑っているマスター。 私が知るマスターの笑顔とは少しだけ違うように見受けられます。博士と同じ、 私の顔。マスターは本当に、博士と一緒に"私"を完成させたかったのだと私は 思うのです。私が完成したときもそうでした。医療・介護現場より先に私の性能に 興味を示したのは兵器産業だったのです。驚くほどの高値で私を買いたいという 誘いをにべもなく断ったとき、マスターは『菊との約束を破るわけないはいかない からな』と苦笑いで零しておられました。菊、それが本田博士の名前です。私を 人殺しの道具にしない、死の床でそう約束したのだとマスターは遠い目をして 教えて下さいました。私の表面素材が常に36.5度を保つ、まるで本物の人間の ような温もりを持った人口皮膚で出来ているのも博士の発言が元と伺いました。 博士はひどい冷え性で年中手足が冷たかったそうです。『私みたいな冷たい手 では患者さんやお年寄りが驚いてしまうでしょう?』マスターはそれがきっかけ だったとおっしゃいます。博士の思いやりとマスターの高い技術から備えられた 機能を、私は何より誇らしく思うのです。私という存在は、温かい私の手は、人を 助けるためにある。そのことがとても嬉しかったのです。量産化に成功した今は 私の弟に当たる個体たちが出荷を待っている頃でしょう。どうかひとりでも多くの 方々のお役に立ってほしいと思っています。私は別の目的のために使用される ことが決まっているので一層強く願ってやみません。申し訳ありませんマスター、 私はあなたのご期待に添うことが出来ないのです。 『いってきますマスター』 『もうマスターじゃないだろう?』 『そうでした、ルートヴィッヒさん。ではいってきますね』 何でもないような会話を交わして研究所を出て行った日がつい昨日のことの ように思い出されます。数年前に研究費が底を尽きかけたとき、完成後の私を とある民間企業に譲渡することを条件に援助を受けて、ルートヴィッヒさんは無事 私を完成することが出来たのだと伺っていました。契約に従って私の身柄は今、 企業の研究室にあります。当初の私は何も知らず、いつかルートヴィッヒさんの 元に帰れると信じていたのです。実際何か不具合があるたび戻って来られたし、 次々と組まれる新しいプログラムの目的も、初めは何もわからなかったのです。 『ただいま戻りました、ルートヴィッヒさん』 『おかえりキク』 何度目かの帰還で当然のように迎えて下さったルートヴィッヒさんの顔を視認 して、私は初めて博士の開発した優秀な人工知能を恨みました。私の設定は すべて書き換えられ、最早生みの親であるルートヴィッヒさんですら私のデータ ベースにある機密事項を読み取ることは出来ません。とある政府高官が○○駅 から大通りを北に進み、六本目の路地を右折して約250メートル先の古書店を 目印にさらに細い路地に入って右側にある地下のちっぽけなバーで毎月第二 第四金曜、名もなき流しの歌うたいの声に耳を傾けながらモルトを一杯やるのが 趣味なんて情報、一体どこの誰が得をするというのでしょうか。私がそれを知って いるのはその方を丹念に調べ上げた組織にインプットされたからです。兵器利用 させないため基礎プログラムに人を殺傷しかねない行為を命じられると自動的に 全機能が停止するようにしてくれたのはルートヴィッヒさんと本田博士です。その ことについては本当に感謝しています。でも、機能停止する寸前に体内で起爆 スイッチを入れることぐらいなら充分可能なのですよ?民間企業が反政府組織と つながっていない保障なんてどこにもないのですよ?世の中にはあなたがたが 予想だにしなかった恐ろしいことを平気で実行しようとする残忍な人々がたくさん いるのですよ?真実を知った私は反発を覚えながらもそれを誰かに伝えることが 出来ません。新たなプログラムのひとつが私に沈黙を強いるのです。私は私で あるままなのに、こんなにも変わってしまった。ルートヴィッヒさんにすら言えない 秘密と、犯人につながる証拠をまったく残さず粉々に砕け散り標的のみならず 無関係の人々まで死に至らしめる爆薬を体内に埋め込んで、私は顔面の人工 筋肉を笑顔に設定したままルートヴィッヒさんと最後の対面を許されました。 「私、新しい機能が付属されたんです。驚かないで下さいね?私、歌をうたえる ようになったんです!聞いていただけませんか?何でもリクエストにお応えします から、ねえルートヴィッヒさん」 ルートヴィッヒさんは突然の私の報告に困ったような笑みでしばし悩んだ末に、 それなら何かラブソングでも聞いてみたいとおっしゃいました。データベースには ラブソングだけで何千もの曲目があるので私は無線送信でルートヴィッヒさんの ディスプレイにリストを並べました。するとディスプレイを眺めていたルートヴィッヒ さんが不意におかしい、ラブソングじゃない曲が混じっていると指摘されたので 私は慌ててデータを再チェックしました。確かにそれは国歌で、ラブソングでは ありませんでした。遠い遠い東の国。本田博士の、生まれ故郷。 「ああ、でもそれはラブソングで合っているのかもしれない。菊がそういう俗説も あると言っていたな」 ルートヴィッヒさんはまた、あの遠い目をしておられました。ルートヴィッヒさんが 真相はどうなのかと尋ねると『さあ?どうなんでしょう?国歌がラブソングだったら 素敵じゃないですか?』と科学者らしくない曖昧な返答をして博士は笑っていた そうです。研究一筋で、生涯色恋沙汰とは無縁で『私がじいさんになる頃には この子も完成してるでしょうねえ。ねえルートヴィッヒさん、美少女の素体を作って 下さいよ。そしたらその子と結婚出来ませんかね?ふふ』なんて本気なのか冗談 なのかわからないことを提案してくるような博士があまりにらしくないことを言う ものだからルートヴィッヒさんは笑いを堪えられなくてよく覚えていると。 「それではこの歌をうたいましょうか?」 尋ねるとルートヴィッヒさんは少し考えて、そうだな、いや、やっぱり別のにして くれないかとおっしゃいました。私はキクで、本田博士ではないのだと暗に言い 聞かせてくれたのだと思います。その心遣いもまた、私には嬉しいものでした。 けれど私はもうルートヴィッヒさんに相応しい愛情を持ち合わせていないのです。 結局はありきたりの歌を羅列することしか私には出来ませんでした。博士と同じ、 私の声。ルートヴィッヒさんが真に愛を歌ってほしかったのは私ではなく、博士 なのだと痛いほどに理解しながら私は無邪気の仮面をつけて感想を求めました。 爆薬を詰めるために体温調節機能を取り外された私の手がすでに人の温もりを 宿していないことを気取られないように、ルートヴィッヒさんの優しい手から逃れる 上手な言い訳を作り出す優秀な人工知能をさらに恨みながら。 「ではさようなら、ルートヴィッヒさん」 この日はもう『いってきます』と言いませんでした。 ほの暗い地下、篭もったアルコール臭、軽快なジャズピアノ、私の歌声、人の ざわめき、歌が終わったとき失われる多くの命、私の存在意義、私という存在。 ルートヴィッヒさんには私が実験中事故に巻き込まれ、重大な破損が生じたため 廃棄処分にされると連絡が行くことになっています。どうか気づかないで下さい、 お二人の夢の結晶がこんな目的のために使い捨てられることを。どうか気づいて ください。無数の二進数の積み重ねに過ぎない私の"心"に、ルートヴィッヒさんを 愛する気持ちが最初から存在していたことに。本田博士はきっと、きっとあなたの ことを。 |