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しれないが、あるとき自身の性質に辟易していると菊は一冊の本を取り出して、 ほら、湖でさえさまようのですよとなんでもないことのように笑ったのを機にそう 呼ぶことにしている。思い起こせばその兆候は随分昔からあった。幼稚園にも 満たない古い記憶、発車ベルを素敵だなと思ってしまうとどこへ行くとも知らず つい夢中で閉まるドアに駆け込んでしまい、親を驚かせたものだ。流れていく 景色の美しさに見惚れ、ビル郡が見えなくなった田舎の駅に降り立つと今まで 感じたことのない新しい感動が胸をいっぱいにした。その後連絡を受けた駅員に 保護され家へと連れ戻されたが、その感動を思い出しては何度も何度も放浪を 重ね、ついに両親は呆れ果て、やがて事故で亡くなった。帰りを待つ者がいなく なった家をヘラクレスは処分して、また旅に出た。そこで最初に向かったのが 菊のところだ。何年も前、両親や友人、教師にも冷たい視線を向けられ、放浪 するのが目的ではなく逃げ出すことが目的だったときに菊とは出会った。最初の 冒険で訪れたような田舎よりずっと田舎で、早いうちに終電となってしまった。 繁華街なら24時間営業の店で朝まで粘ることもできたが、ここではまるで望みが なかった。仕方なく、駅員のいないおんぼろの駅舎で一晩明かそうとすると菊が 偶然通りがかり、それならうちの宿にいらっしゃいと誘ってくれたのだ。あまり金を 持っていないことを告げても、どうせ趣味でやっているような宿ですからとタダで 泊めてもらえることになった。物書きの傍ら営んでいるという宿は古さはあるが 決して汚らしいというわけでなく、床も柱も隅々まできれいに磨かれた古民家 風の建物だった。四部屋ほどしかないが、客が埋まるのは非常にまれだと菊は あっけらかんと笑う。事実、その日は他に客もおらず二人きりで囲炉裏を囲み、 田舎のおばあちゃんが作るような懐かしい食事を口にしながらこれまでの話に なり、それなら好きなときにうちにいらっしゃいと菊は言うのだ。私は暗記する ほど読んだからあなたにあげますとプレゼントされたのが件のさまよう湖、ロプ ノールを書いた本だった。その夜の多少手狭だが充分足の伸ばせる温泉の なんと温かかったことだろう。両親の死後、菊に挨拶を済ますとヘラクレスの さまよいの舞台は主に海外へと移っていった。日本はもうさまよい尽くしての ことだ。世界は広く、数ヶ月から数年帰国しないこともある。便りは滅多に来ない 代わりに菊のもとに帰ってくると抱えきれないほどのお土産が渡されて、その ひとつひとつにまつわる思い出を聞くのが菊は本当に好きだった。左右非対称な 顔をした手作りの人形、体にはいいが顔をしかめるほど苦いお茶、木彫りの 動物の置物、複雑な模様の織物などなど。海外では危険なこともあるが大半は 新鮮な体験ばかりだった。ヘラクレスはカメラを持ち歩かない。彼自身が見て、 聞いて、嗅いで、味わい、感じたこと思ったことがそのすべてだ。だからこそ ヘラクレスの話は菊にとって素晴らしいものだった。そのうちヘラクレスは伝説の ロプノールを見てみたいと思うようになった。それを最後にさまようのは終わりに してもいいとも考えた。けれど1972年以来、ロプノールは出現していない。その 痕跡はあっても、湖水は干上がったままだ。ヘラクレスは満々と水を湛えた ロプノールを見たいのだ。そのときまでうちで待ってもいいのですよと菊は言い、 ヘラクレスは宿唯一の従業員となった。客がいてもいなくても、二人で囲む 食事はいつも一緒。仕事の合間、時折抜け出しての小さなさまよいはあるけれど 菊は何にも気に留めない。帰ってくれば新たな発見を聞かせ、菊を喜ばせる。 そんな日々が続いて、ヘラクレスは己の心の内にある枯れた湖が透明な水に 満ち満ちていることに気がついた。この心はもう二度とさまようことはないだろう。 さまよえる病はまもなく完治の見込みである。 |