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上下左右すべて本丸では見たことのない部屋の眺めである。博物館や美術館にもない構造だった。特に天井に突き刺さった円筒状の物体、ちょうどその口が鶴丸の顔の上に開いており、それをぽかんと見上げていると目の前の七輪から上がった煙が上へ吸い込まれていく。なるほど、そういう仕組みかと納得したところで鶴丸を路地裏の焼肉店へ連れてきた張本人である審神者は一心不乱に肉を焼いていた。別の席についた客たちもほとんど同様である。あるいは連れと歓談しながら、あるいは酒を飲みながら、あるいは白飯を掻き込みながら、しかし肉を焼いていない者はいない。当たり前ながら鶴丸はこういう肉を食べるための店があることを知らないので、現世の人間の肉に対する執着に驚く他ない。虎や獅子といった肉食の獣を思い浮かべている。 そもそも、どうして刀剣男士である鶴丸が本丸の外で焼肉を食べることになったのか。それは鶴丸の主である審神者が政府の使いに呼ばれて現世に戻る折、鶴丸は供として同行していたのだった。肉の大盤振る舞いはその褒美だと審神者は言った。たまに罠にかかる野の鳥や畑に悪さをした熊や猪でもいなければ本丸の食事で肉を食べる機会は限られている。食べるのはもっぱら自分たちで育てた米や野菜や豆類で、時々そこに川魚が加わるぐらいだった。貴重な蛋白源という意味でも褒美といえばそうなのかもしれないが、この鶴丸は本丸に来て日が浅く、鳥の肉すら食べたことがなかった。真っ赤に焼けた炭で肉がじゅうじゅうと音をたて焼かれる四つ足の動物の肉はだいぶ強い、嗅ぎ慣れない臭いがする。それから香味野菜や香辛料の突き刺すような刺激臭。機械仕掛けの煙突が臭いごと煙を吸い上げているものの、すべてを除き去ることはできないようだ。衣装にも髪にも臭いが染みついてしまっているような気がしてならない。本丸へ帰ったら風呂に入るか先に洗濯か、そんな風に思い悩んでいると、食べないのか、と火挟みのような道具で鶴丸の前にある小皿へ次々に肉を積み上げても一向に手をつけないものだから審神者が不審そうに見ている。 もしかすると鶴丸は顔をしかめていたのかもしれない。当人に自覚はなかったけれども、そう指摘されても否定はできない。肉をおいしそうだとは思えなかったのである。霜降りの生肉も気泡を生む豊かな脂も異質な物体としか思えず、審神者が別添えのたれに肉を浸して口に運び、美味から喜びを得るのを見、不思議なほど己の旺盛なはずの好奇心がおとなしくしていることにわずかな焦りを感じたほどだ。 とはいえ主の手前、箸もつけぬなど不義理はできまい。箸を割り、審神者に倣って肉を噛み、味わい、飲み込む。別段まずい、食えぬとは思わないが、特別うまいとも思わないまま飲み込んだ。牛はこんな味なんだなあと少しの落胆を滲ませて零すのを聴いた審神者はといえば、次は別の褒美を用意しなければなるまいと軽く思案し、それはともかく、注文した分の肉はいただこうと黙々と焼いては食べる作業を繰り返した。その合間合間にご飯ものや麺ものなんかを頼み腹だけでも満たしてもらおうとするなか、鶴丸の様子が少し変化したのは小皿に檸檬を絞ったあたりだった。鶴丸は喜色を含んだ声音でいい香りだ、とスンと鼻を鳴らしたのだ。それでひょっとしたらと思い、今まで食べていたのとは別の肉を塩と檸檬汁につけて食べるよう勧めてみたのである。素直に箸をつけた鶴丸は弾力のある肉を何度も何度も噛みしめながら、さっきまでよりいくらかマシな様子ながらやはり今ひとつピンと来ない顔をしている。が、それが牛の舌だと教えられたとき、ようやく期待していた輝きをさながら猛禽類の金眼のなかに見つけた。決して味で驚かせたわけではなかったとはいえ、ひとまず彼の好む驚きを提供できたのなら何よりだ。 残りは鶴丸の好きに任せ、審神者は自分の食事を終わらせようと箸を進める。鶴丸は食事にはあまり集中力を割かず、むしろ果汁を絞りきったあとのみすぼらしい果実を何くれとなく眺めたり、嗅いだり、舌でもって舐めあげたりし、思い出したようにタン塩を口に含んだりしている。楽しそうなので放っておいたが、最後のひと切れになったときには「三日月のベロを指でつまんだり引っ張ったりしたときのことを思い出した」と唐突に彼らの親密さを匂わせる感想を吐いた。彼らの仲は今更どうこう言うまい。やはりその舌も檸檬味なのか問うても古い刀に意味は通じるのだろうか。機嫌のよさそうな鶴丸はタン塩を飲み込むのを惜しんでいつまでも噛んでいる。 |