「 彼と彼とのポリティクス 」



 念願叶って初めて致した翌日のことだった。相当の負担を強いるだろうことは承知の上ではあった
ものの、四六時中足腰だるそうにしている青年を見るたび年甲斐なくハッスルしてしまった罪悪感と
羞恥心に苛まれ、挙句、腹を壊していると聞けば土下座して詫びたい気持ちに襲われて…否、実際
土下座したわけだが。どうも処置が甘かったらしい。ほとんど失神に近い状態で眠りに落ちんとする
泣き腫らして赤い眦にキスしたり、普段はじっとしているのを嫌ってなかなかさせてもらえない、緩く
髪を梳くのに夢中であまり真剣に取り組んでいなかった自覚はある。つまり、完全にはしゃぎすぎた
こちらの手落ちである。しつこいとさんざ非難、罵倒を浴び、抵抗をいなしながらも傷つけたりしない
ようにと念入りに準備を施したおかげで尻に痛みが残らなかったのは不幸中の幸い。何よりぷいと
そっぽ向いた赤い耳たぶからまたしても構わないといった旨の感想をいただけたことは本当に幸い
というものだ。何度思い出しても口元が緩んで仕方ない。おっさんの顔が壊れていると朝から仲間の
舌鋒は辛辣ながら痛くも痒くもない。だっておっさん幸せだもの!…と言いたいところだったが、実は
気がかりがひとつ。青年の相棒のことだ。
 帝都の青年の部屋は、青年の部屋であると同時に彼の部屋でもあった。しかし、相棒とのあれや
これやを彼に見せるわけにもいかない。青年も嫌だろうし、わんこだって好き好んで見たいものでも
ないはずだ。それでやむなく朝まで締め出す結果になってしまった。そのことを恨みに思っているの
だろうか、いいや、飼い主に似て男前な彼はそんな了見の狭いわんこではないだろうからきっと他に
理由があるはずだ。要はわんこが冷たいのである。
 朝一番で挨拶に向かおうとするわんこを廊下で引き止め、青年疲れてるみたいだからもうちょっと
寝かしたげてねと頭をひと撫でしようとしたところ、その手前で素早く首を引き、鼻先でおそるおそる
手を嗅ぐ。くんくん嗅ぐ。ひたすら嗅ぐ。そしてぷしゅっと破裂音のようなくしゃみの後に一歩後退し、
なんとも言えない表情をこちらに向けた。心なしか睨んでいるような気もする。えっ?臭い?おっさん
なんか臭う?嗅がれた手や羽織の袖口を嗅いでみても特に異臭らしきものはなく、むしろ昨晩なら
風呂に入って寝具の類も取り換えてから眠ったので野宿続きの旅のあいだより余程マシなはずなの
だが…加齢臭がするというご指摘ならちょっと泣きたい。それはともかく、このやり取り以降わんこの
様子が明らかに変わったのだった。もしかして、情事のにおいなんてものがあったりするのだろうか
と首を傾げる。
 所変わってオルニオン。基本的に宿や酒場といった不特定多数の人間が利用し、動物の出入りに
関して特に神経を使う場所には店主の許可がない限り不用意に立ち入ることのないのが彼である。
しかし、ここでは何ら遠慮することはない。街の誕生から発展に至るまで彼が尽力したことは周知の
事実であるし、何より外は冷える。数日に一度は小雪の舞う土地だ、床に地べたじゃあ冷たかろうと
使い古しの毛布だってどうぞと貸してくれる。が、小雪どころじゃ済まない吹雪の夜なんかはいつの
間にやら青年の隣でぬくぬく眠っていたりする。十中八九招き入れたのは青年のほうだろうけれど、
おっさんだって青年の温もりに包まれてぬくぬく寝たかった!潜り込む気でいた布団と敷布の隙間
から恨みがましく見つめていると、薄目でこちらを見た目がすっと閉じ、寒いから閉めろとばかりに
寝返りを打つ。あの、これは寝たふり、というものじゃないかと。声なき声は虚しく荒れ狂う風の音に
掻き消され、おっさんはひとり寂しく枕を抱いて寝た。翌朝の青年ときたら、おっさん珍しく布団に潜り
込んで来なかったな、なんてちょっぴり寂しそうな表情で言うものだから声を大にして言いたい。潜り
込もうとしたけどおたくの相棒が先に青年を独占してたんです!と訴えたかったが、思い留まった。
そこはホラ、一応人間として、なけなしの矜持が。
 いったいどうしてラピードさん。バクティオンでのあれやこれやがあったあとだってこんな仕打ちは
受けてない。おっさん何かしましたっけ…いやしましたけどあなたの相棒に。青年の動きがいまいち
鈍く、剣の冴えも精彩を欠くような日にはなんとか説き伏せて戦闘から遠ざけて、おっさんがその分
張り切っちゃったりしてみんなに迷惑かけないよう、それなりに気を遣っている。それでも足りなきゃ
得意の愛してるぜ〜があるじゃないの。おっさん別に、お前さんから相棒を取り上げるつもりなんて
これっぽっちもないのよと宣言したってまるでどこ吹く風。つれない態度でおっさんを避けつつ相棒の
足元にじゃれついて、耳のあいだのふさふさしたところを爪の先でこしょこしょとされて、変なかんじが
するのか片耳だけぱたぱたとして喜んでいる。そしてこちらを見、人間でいうと舌打ちのような仕草。
えええ…おっさん地味にショックです…。
 こうなったらもう青年といちゃいちゃするどころじゃない。わんこがフレンちゃんにブラッシングされて
いる隙に青年を連れ出してこれまでの経緯を説明すると、さすが相棒というかなんというかもう即答
だった。
「おっさんさ、最近ラピードにあんま構ってなかったよな?」
 その通りだった。バクティオンとかザウデ後とか、山あり谷あり大きな出来事が続き、それらを経て
自覚して、悶々として眠れない夜もありーの右手の世話になる夜もありーのでやっとこさここまで漕ぎ
つけたばかり。幸せいっぱい夢いっぱい、思えば少女の初恋のごとく浮き足立った日々を送っていた
ように思う。それぞれ己の道を見出して、一歩ずつ歩きはじめた仲間たちならともかく、最初から己の
道などはっきりしているわんこから見ればせっかく築いた友情もそっちのけでキャッキャウフフしてる
おっさんなんてそりゃあ豆腐の角に頭を強打して戦闘不能にでもなれってもんですよね…とかつての
夢も希望もない死人時代の思考回路が蘇り、どんより陰を纏い地面をホジホジしたくなったところへ
青年はほらよと水色のふさふさにブラシを引っ掛けたままのわんこを抱っこしてきなさった。
「ラピード寂しがってたぞ、だから今日はおっさんがブラッシングやれ」
 胴をわしっと両手で持ち上げられたわんこの体は縦に長ーく伸びている。宙を掻く抗議の犬かきは
ラピードだっておっさん好きだろ?の一声であっさりと無駄な抵抗を止め、彼の相棒とそっくりの羞恥
からくる仏頂面で、仕方ないとでも言いたげにワフゥとため息を吐いた。ごめんねわんこ、おっさんが
悪かったわ。青年を真似てふさふさのあたりをこしょこしょとすると同じく片耳がぱたぱたとご機嫌に
動くその一方、今回だけだと忠告するように前に垂れた前足がレイヴンをぺしり軽く叩いた。





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