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※捏造人物注意! 家においでになられました。お前のためじゃないんだからなとはいつもの決まり 文句でして、大きな態度を振り回しておきながら最後にはめ、迷惑だったか?と 小声で少しばかり不安を滲ませて素直に尋ねられるさまには毎度笑みを禁じ 得ません。口元を隠しつつ、さあさ上がってくださいなと部屋に通すと慣れぬ 和室に居心地悪そうにあぐらをかくアーサーさんは何にも構わなくていいとは おっしゃいますが玉露と何か茶菓子のひとつでも出さなくては礼儀を欠くという もの。しかし不意の来訪にろくな茶菓子の備えはなく、というのも昨日まで滞在 してらしたアルフレッドさんがすべて食べ尽くしてしまったのですけれど、仕方なく 常備してある金平糖を漆塗りの器に白い紙を敷いたその上に乗せてお出しする ことにしました。色とりどりの星が白い夜空に浮かんでいるようです。アーサー さんは珍しそうにそのひとつを取って口にし、こりゃただの砂糖だなと味の感想を おっしゃいます。こんなものしかなくて申し訳ありませんけど、と頭を下げれば、 慌てたようにいや、別に茶菓子を食べに来たんじゃない、顔を見に来ただけ なんだからなと弁解されます。デレの部分を私などにそう容易く前面に出して しまっていいんでしょうかと私はまたこぼれる笑みを隠します。アーサーさんは それからも金平糖を手にとって眺め、これお前がいつもよく食ってるやつだよな とおっしゃいました。よくお気づきで、と私は驚きました。グルメのくせにこんな 砂糖のかたまりのどこが好きなんだ?と尋ねられたので私は特別好きという わけではないのですけれど、それに付随する思い出を懐かしんでいるんですと 明かしました。アーサーさんは興味深げにそれ、聞かせろよとおっしゃいます。 たいした話ではありませんが、こうして私はあの方のお話をすることになったの です。 今から400年以上も昔のこと、時は戦国時代。私の上司の座を巡り各地で血で 血を洗う戦が巻き起こっておりました。各地に有力者はおりましたがそのとき最も 天下に近かったのはきっとあの方だったでしょう。とにかく武将らしくない方で、 うつけと評された若かりし頃の言動はお芝居でもなんでもなく、あれもまたあの 方の素顔でありました。今や神にも魔王にもなろうというのにやれ弓が騒いでる だの、やれ馬が乗ってくれと言ってるだのと申しては大事な会議もすっぽかし、 わずかな手勢を連れて狩りに出かけてしまうようなお方でしたから。帰りには 鴨やうさぎを携えてそら土産じゃと子供のような顔で誇らしげに笑うあの方に、 私もお濃の方も呆れて文句を言うこともできなくなり、お小言は大抵蘭丸さんや 代役に駆り出される勘九郎君の役割でありました。夜はその肉を使った料理を 囲み、お菊はもっと食べぬか、そんなだからその細腕なんだと手ずから椀に ついでくださりながら仮にも国である私をそこいらのおなごのように呼ばわる 豪気さも、決して嫌いではありませんでした。しかも細腕とは。朝夕刀を振るう 私を知らないわけではないでしょうに。似たもの夫婦であるお濃の方などお菊 ちゃんはそんな真似しなくても殿が守ってくださるわよとおっしゃる始末。しかし あの方から見せていただいた南蛮渡来の地球儀でさまざまな外つ国を知った 私はいつか戦う日が来るのだと予感めいたものを感じておりました。当時は まだ、誰にも打ち明けることはできませんでしたけれど。そのうちいい加減酔いが 回ってくると勘九郎君は親父が死んだらお菊は俺に仕えることになるんだろう? 俺が守ってやるさと言い出して、あの方は大人げなくそれは俺に早く死ねと 言ってるも同然だなとへそを曲げ、勘九郎君も勘九郎君で天下取ったらさっさと 死ねよクソ親父などと心にもないことをおっしゃってあかんべえです。きっと 反抗期なんでしょうね。庭で取っ組み合いをする父子をお濃の方はこれだから 男はいやよねーお菊ちゃんと私も男なんですがと口を挟む隙もなく腕を取って 笑うばかりで、止めに入った拍子にどてっ腹に一発入れられた蘭丸さんばかりが 苦労しておりました。介抱するとお互い上司には苦労しますねえと苦笑いの ご様子。まだあの方を上司と認めたわけではないと申しましたが、いえあの お方はきっとあなたの上司になられますよ、僕は信じてるんですとまっすぐな目を なさっておりました。戦国の世だというのに、それはそれは穏やかな日々でした。 こんな日々がいつまでも続けばいいと私は願っておりましたのに、それから まもなくあの方は自害して果てました。蘭丸さんも後を追い、仇を討とうとして 返り討ちに遭った勘九郎君もまたこの世を去りました。人の命のなんと儚いこと でしょう。まさに夢幻のよう。お濃の方と最期にお会いしたとき、あのお方はね、 お菊ちゃんが大好きだったのよとか細い声でおっしゃいました。私は首を振り、 いいえ、あの方が愛しておられたのはあなたですよ、あなたの悪口を言って私の ようなおとなしい嫁が欲しかったと申されても私にはノロケにしか聞こえません でしたと正直に申しますとお濃の方は嬉しそうにありがとうねとおっしゃって息を 引き取りました。あの方は生前、派手な女物の着物だとか高価な簪だとか、 嫌がらせとしか思えないようなものばかり強引に押し付けてくださいましたが その後の戦火でほとんどは失われ、私に残ったのは形のない思い出ばかり。 その思い出のひとつ、ある日出会い端悪戯のように私の口に放り込んだ固く 甘い何かに何ですかこれ?と尋ねると南蛮渡来の珍しい菓子じゃ、甘いものは 好きじゃろう?とまぶしいほどの笑顔で私にくださったもの、それが金平糖 でした。 昔、砂糖は高級品でしたからねえとつぶやいて私もひとつ、いただきました。 あの頃はこんなに色鮮やかではなかったけれど、しゃりしゃりとした歯ざわりと 甘さは古い記憶のまま。時々思い出したように食べたくなるので買い置きして おくんですと笑うとアーサーさんは唐突にお前、そいつのこと好きだったんじゃ ないのか?と尋ねられました。お濃の方や側室もおられたあの方に恋など、 まさかそんなこと。とは申せ、今までの上司には感じたことのない特別な感情を 持っていたことは確かでした。友情であり信頼であり羨望であり、そのどれでも ない何かの感情を。アーサーさんは急に真顔になって、俺はそれを、恋と呼ぶぞ とおっしゃいました。本当に、そうだったのでしょうか。色恋沙汰に疎いもので にわかには受け入れられないご指摘です。でも、もしそうであったなら、400年 以上も経った今でよかった。あのときそうと気づいていたのならきっとあの方を お恨み申し上げたでしょうから。散々私の上司になると宣言しておいて、その 夢も果たさず散ったあの方。それからの金平糖はとても苦くて、二度と口に することはなかったに違いありません。今はただ甘く、口の中で簡単に砕ける ばかり。アーサーさんは不意に険しい顔をなさいます。どうかされました?そう 尋ねると別に、面白くないだけだと苦々しく吐き出しておられました。その言葉の 意味もまた、色恋沙汰に疎い私にはすぐに理解することはできませんでしたが、 それからというもの、アーサーさんは必ずイギリスのお菓子を携えていらっしゃる ようになりました。その真意に私が気づくのはまだまだ先のことです。 |