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我慢できなくてさとは毎回お決まりの台詞だ。季節が移り変わるごとにフランス からの電話は恒例となっている。用意してお待ちしておりますよと返事をすれば じゃあ明日の便で行くわと到着予定の時間を告げて通話は終わる。そして翌日、 支度をある程度整えて待っていると約束の時間になっても一向にフランシスが 現れないので菊はおや?と思った。今更迷う道でもあるまいし、何かトラブルが あったのかと気がかりなまま時計の針は過ぎ行き、二時間も経ったところで ようやく客人はやって来た。その片手には不似合いなビニール袋がぶら下がって いて、土がついたままのカブが透けて見えている。どうしたんですかそれと 尋ねると、通り道に野菜が置いてあってなんだこれと思ってたら無人の野菜 販売所でさ、なにあの無用心、おかしいぞ、普通はみんな盗んでいくだろーと 思ったらちゃんと金が置いてあってさ、おいおいさすが日本だわーってお兄さん 感心してたら農家のおっちゃんが来てカブ置いてくから畑見してって頼んだら オッケーってんでいろいろ話聞いて手伝ったりなんかしてそしたらこれ持ってけー ってとフランシスは上機嫌にまくしててて、要は農家のおじさんに気に入られた んだなと農業をアピールするだけあってそれもまた彼らしいなと菊は笑んだ。 たまたま通りかかった一般の農家のおじさんがまさかフランス語ができるとは 思えないしフランシスさん日本語できましたっけ?と聞けばそんなの愛のなせる 業でツーカーだよと笑ってみせる。まあそういうことにしておこう。フランシスは 獲れたてのカブを一刻も早く調理したいのだと台所を借りた。ちょうど日本の 春野菜や山菜を目当てにわざわざ来日した彼のために食事の用意をしていた ところだ。あとで口にできるだろう御馳走をワクワクが抑えきれないといった 表情で視界に入れつつ新鮮なカブを洗う。今日は私も御相伴に預かれるなんて ついてますねなどと刃を入れていくさまを菊は横から眺めているが、切っても 切ってもその破片は次々とフランシスの口の中へと放り込まれていった。うーん、 密度が、食感が、甘みが、などとぶつぶつ感想の断片が聞こえてくるものの 調理は進んでいるようには見えない。袋に詰まったうちの二つ半をその調子で 料理人自らが食べてしまい、残りがようやく料理となった。できたのは塩とオイル と酢がベースのごくごくシンプルな味付けのサラダだったが、その割合が決め手 なのだろう。カブお好きなんでしたっけ?と問えばいやー俺んとこにもカブはある けどまた違うんだよ日本のはとあれだけ味見をしておいてまだ足りないとでも 言いたげに菊の分まで食べてしまいそうな勢いでつまんでいる。こんなに日本の 食材を愛してもらって菊は嬉しいやら恥ずかしいやらだ。皿が空になってようやく フランシスの手は止まり、満足そうに微笑んでじゃ、メインディッシュをもらえる かな?と片目をウインクして見せた。菊は頷いてええ、少々お待ちくださいと 今度はひとり台所へと向かう。手土産のうち一本を農家のおっちゃんに置いて きた残りのワインを撫でて、気に入ってもらえるといいんだけどとフランシスは じきに漂ってきたいい香りに鼻を鳴らす。 |