「 炭鉱少年の残業スープ 」



 尊敬してやまないフレンに関わる諸々の出来事をすべて抜きにしても、ソディアにとってユーリ・
ローウェルという男は苦手な部類に属する。もし彼がフレンの友人ではなく、ソディアがフレンの
部下ではなかったら同じ帝都に住んでいようと接点すらなかったはずだ。幸か不幸か割合頻繁に
顔を合わせるようになった今でも長所より短所ばかり目につく彼と二人きりで過ごすのは拷問に
近いと考える。人を食ったような態度やずぼらでいい加減な言動にいちいち腹を立て、神経をすり
減らすのが目に見えているからだ。それはソディアが貴族の出であるのに対し、ユーリは生まれも
育ちも下町であるとか、騎士団に現在籍を置いているか否かなど環境や性差とは関係なく単純に
相性が合わない。その点はフレンも認めざるを得ないらしく、僕も幼馴染じゃなかったら同じように
思っていたかもしれないねと苦笑していたこともある。そういうわけで、ソディアはこの状況を精神
鍛錬の一種だと思って耐えることにした。彼の腕が優れていることは料理対決の結果からしても
明白である。固い口調でご教授願いたいと申し出ればユーリは別にいいけど?でも自己流だから
あんまり参考にならねえかもと言いつつ快く了承してくれた。かくして小さな料理教室が開催される
運びと相成ったのだった。
 まずは野菜を刻む。包丁が奏でるリズムは淀みない。じゃがいもの芽は毒あるからきっちり取り
除いて、俺はもったいないから剥かない派だけどアンタが作るなら皮は剥いたほうがいいかもな
等々、ちょくちょく適切なアドバイスを挟みながら他の具材、にんじん、玉ねぎ、セロリ、ベーコンに
かかる。コツは大体同じ大きさに切ることだな、つかアンタ料理なんかすんの?とユーリは今更の
ように驚いてみせた。意外だ、とその顔に書いてある。似合わないと言いたいのか!とカッと頭に
血が上ってつい怒鳴りかけたが、本音を言えばメモを取るソディア自身、自ら進んで料理をしよう
など思ったことはない。ただ自分が料理を覚えれば遠征時の犠牲者が少なく済むのではないか、
動機はこれに尽きた。
 先日、街道沿いに魔物の群れが出現したとの報告に、持ち前の正義感と行動力でわずか一個
小隊を率いて城を飛び出したフレンは一泊二日で彼ら全員を謎の腹痛・嘔吐・下痢・戦闘不能に
至らしめた。何があったか想像に難くない。幼い頃から純粋な親切心の被害に遭ってきたユーリは
ああそうだな…それがいいかもな…とひたすら遠い目をする。ソディアは密かにユーリに対しての
評価をひとつ加える。それでも一応食べられるという彼はひょっとしたら帝国一強靭な舌と頑丈な
消化器官の持ち主かもしれない。そうとも知らないユーリは下準備を終えた具材をベーコン、根菜、
その他の順で油を引いた大きな鍋で炒める。じゅうじゅうと鳴る音がソディアの耳に新鮮な響きを
伴って届いたのは"空腹を満たすため"でも"騎士に相応しい肉体を保つため"でも"豊かな暮らし
ぶりを他人に引けらかすため"でもない、ごくごく当たり前の"美味しい料理"を作ろうとする人間を
珍しいと感じてしまったせいだ。
 帝国の持つ歪んだ構造に疑問を持っているからこそ、ソディアは騎士の道を志した。男女の区別
なく平等に門戸は開かれているとはいえ、数に差のある騎士団において正当な評価を受けることは
難しく、ともすれば腐ってしまいそうだった心を救ってくれたのが他ならぬフレンだ。そろそろお前も
年頃なのだから野蛮な男の真似事なぞ今すぐやめて貴族の娘として本来の務めを果たしなさいと
銀のナイフとフォークより重いものを持ったこともなさそうな優男との縁談話を持ちかけられて以来、
ソディアは家に足を向けていない。帰りたいとも思わない。すっかり足が遠のいた家はしかし、人が
羨むような豊かな家だった。物心ついてから一度も飢えた記憶はない。特に望まなくとも一日三食
"美味しい料理"は必ず供されたからだ。けれどその味に"美味しい料理で喜んでもらいたい"という
作り手の意思や感情はなかった。それを寂しいと思ったこともない自分は、かつてあちら側の人間
だったのだろうとソディアは過去と現在のあいだに線を引く。家庭の味を求める者に共感を覚える
今、せめて敬愛するフレンの料理がいつでも美味しかったならと思うと余計に悲しくなったものだ。
 ソディアの悲しみをよそに、ユーリは野菜から染み出た水分でぐつぐつ煮える鍋にトマトの水煮と
粉末のスープの素、赤ワインを投入している。大体いつも目分量なので感覚で覚えてくれということ
だった。やや乱暴ながら木べらでトマトを潰す音がごつごつと城の厨房に響く。それが済むとなに?
俺なんかした?と眉間に皺の寄るソディアを見た。親しくもない彼に辛気臭い身の上話を吐露する
には気が引けて、ずいぶん量が多いがとごまかした。そういやあ普段の要領で作っちまったなあと
零しながらその手はさらに具材を追加すべくひき肉を取り出している。あらかじめ炊事班の許可は
得ているので何をどれだけ使っても構わないが、正直予想を上回る量だ。自分ひとりで始末できる
だろうかとソディアは己の腹具合が心配になる。ついでにいえば体重も。その点ではソディアもごく
普通の若い女性だ。ユウマンジュの体重計が何故女湯だけ消耗が激しいのか気にしたこともない
ユーリはてきぱき料理教室を続けていた。
 牛と豚を半々ぐらい、臭み消しにはこれとこれがいいと思う、なかったらこっちだけでもいいからと
いくつか香辛料と塩胡椒を加えて手早く練り、別の鍋で熱しておいた多めの油にぽいぽいと放る。
一口大の肉団子がじゅわあああと先程よりも高く大きな音を立てた。もっと近くで見ようと身を乗り
出した次の瞬間、ユーリの手が前に伸び、そのまま半歩下がらせられる。油が跳ねて危ねえから、
とぶっきらぼうな物言いの陰に、何のてらいもない気遣いが覗いたのが妙に腹立たしい。男のそう
いうところが嫌いなんだ。少々の火傷ぐらいなんだというんだ。騎士は危険な目に遭うことも仕事の
ひとつ、腕力や体力を理由に隔てを置かれるならともかくそれ以外の理由で危険から遠ざけられる
のは真っ平だ。第一ここは戦場ではない。厨房なのだ。何が危ねえからだ、ならば貴様も離れれば
いい。…と思う、思うが、ただ料理をしているだけの人間にムキになったところで意味のないことだ。
ソディアは反論を諦める。なおかつムキになるだけ馬鹿を見る相手ということをソディアはもう知って
いた。
 まだ中まで火は入ってねえけどスープで煮るからここいらでオッケーと揚げ色のついた肉団子を
引き上げて、油を切ったら大鍋に加える。嵩はさらに増える、しかし本当に美味しそうだった。待つ
ことしばらく。仕上げの塩胡椒を経て、小皿に取り分けられた味見の完成度といったら誰かにお裾
分けしたくなるほどだ。そしてフレンたちはまだ仕事してんの?との声にはっとする。時刻は深夜、
厨房を借りるには夕食の片付けが終わるのを待つしかなかった。夜遅いがフレンもウィチルもまだ
仕事をしているに違いない。驚かせてやろうぜといい年をして悪戯小僧のように目を輝かせて笑う
顔に、ソディアは肺の底から長々とため息を吐いた。ああ本当にこの男、私には手が余る。得体の
知れない敗北感が胸に満ちる。こんな男の親友を長年務めているフレンはやはり偉大だ。重度の
負けず嫌いを自覚しているソディアも不思議と腹が立たなかった。





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