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he stays happy all the time he is under your roof. 」 対してどのように思っているか想像することすらできなかった。ただ、菊としては ベールヴァルドはとても心根の優しい人物というイメージが強くあった。そんな ある日、菊の元に招待状が届いた。季節は秋の入りで、北欧の彼の国はより 早いスピードで冬に向かっているに違いない頃合いだった。若干よたついた ひらがなのウェルカムボードの横をすり抜け、優しい色合いをした壁と木製の ドアの前で玄関チャイムを慣らすと、遠くから例の訛りで「あがっでええど」と 声がする。上がっていいという意味だろう。しかし初めて邪魔するお宅で無礼な 真似をするわけにもいかないし、と菊がしばしためらっているとそのうちにどすん どすんと大きなストライドで家主がやって来るのが聞こえた。とりあえずドアの 内に入ったはいいものの、履き物も脱いでいない菊にベールヴァルドはやや 落胆気味にあがっでいがったのに(上がっててもよかったのに)と言った。 ベールヴァルドは腕まくりに洗濯籠を手にした姿で、ちょうど洗濯物を干して いたのかもしれない。スウェーデンでは男女平等が進んでいるので家事の 半分は結婚してもなお男性の役目だ。それが若いうちから定着しているのを 菊は感心げに見つめた。すると件の強面が強烈にしかめられているので すみません本当に上がってよいものか悩みまして、と素直に告白した。すると それは無表情ながらやはりどこか柔らかな顔つきに変わり、「ん」と菊の片手を 持ち上げ奥のほうへと招いた。それではお邪魔しますと菊は草履を脱ぐ。履き 物を脱ぐのは海外ではなかなかない経験だ。通されたリビングは大きな窓から 光が多く入る明るい部屋で、涼しくなりはじめた秋の空気にしてはあたたかい。 肌触りのいいソファに座らせてもらい、ベールヴァルドは冷蔵庫の前に立って 何さ飲む?(何を飲みたいか)と聞いた。何があるんですか?と率直に尋ねる。 他人の家の冷蔵庫ほど興味深いものはない。それも他国となるとなおさらだ。 「エルダーフラワーのサフトと、エッペルムストと、茶」 密かに胸を躍らせる菊に抑揚のない声がかえってきた。予想通りわからない 単語が並ぶ。首をかしげた菊に、「サフトはシロップ、エッペルムストはりんご ジュース」とさらに付け足される。エルダーフラワーのシロップの飲み物なら イギリスやほかのヨーロッパの家で馳走になったことがある。エルダーフラワーと いう白い花を煮出したシロップで、発泡水などで割ったりするマスカットのような 風味の飲み物だ。 「ではエルダーフラワーのサフトをお願いします」 そう言うとベールヴァルドは「ん」と返事をして冷蔵庫に手を入れた。まもなく 菊の前にはしゅわしゅわと泡のはじける氷が浮いたコップがコースターの上に 置かれる。そうと知らなければ見た目はシャンパンのようだ。あまがったら 言っでな(甘過ぎたら言ってほしい)と同じものをソファの向こう側に置いて彼は 座った。コップに口をつけるとエルダーフラワーの香りと味が口の中に広がる。 甘さも発泡水の割合もちょうどよく、おいしいですとベールヴァルドに向かって 笑う。ベールヴァルドは相変わらず表情を変えないが、「ん」と応えながら自分も またコップに口をつけるそのさまは少し嬉しそうだった。 「晩飯は腕によりをかげっから、楽しみにしてで」 「はいもちろんです」 大きく頷くとまたベールヴァルドは「ん」と言いつつ、今度はこちらにも明らかに わかるように不器用に口元を歪めた。 夕食の準備は菊が来る前にほとんど整っていたらしい。ほんの半時間、菊が 北欧建築や庭を見せてもらっているあいだにテーブルいっぱいの料理は並んで いたのだが、驚いたのはその香りだった。じゃがいもを使った料理や、魚料理、 ミートボールなど、どの料理にも懐かしい郷土の高級品の香りがする。マツタケ だ。 「菊が好きだって聞いで…」 目を丸くして見つめればベールファルドは照れくさそうに目線をそらした。確かに 日本人のマツタケ好きは有名だがこんなに高級品をたくさん使われては他人事 ながら財布の事情が気になる。大丈夫なんですか?と尋ねればスウェーデン でのマツタケの価値はそんなに高いものではないのだという。その割りには傘の 部分が大きく可食部が多いものばかりで、目が輝いている自覚が菊にもある。 食べんべ(食べよう)と促されてフォークとナイフを手に取る。もちろんその味も 申し分ないものだった。 「んまい?」 「おいしいです!とってもおいしいです!」 菊には珍しくかなり興奮気味に答えると気を良くしたのかあれもこれもと皿に ベールヴァルドは盛り付ける。おいしいしできるだけたくさん食べたいけれど 胃にも限界がある。果たして食べ切れるのかという量が山盛りになって嬉しい やら困るやらで菊は笑うしかない。 「ベールヴァルドさんは料理がお上手なんですね」 そうして満たされたおなかを撫でさすりながら感想を口にした途端、ちょっとだけ 顔を赤らめて「ん」と俯いてしまった。良かったらまた呼んでいただけますか?と 聞けば頷きが返る。でも、できだら…(できたら)と言葉を濁すので続きを促す。 「…俺ァ菊の作った料理さ食べでえな」 と、今度は耳まで赤らめて言うので、つられて菊も顔を赤らめ長い時間二人 揃って俯いてしまった。作っでくれる?とあのベールヴァルドに柄にも合わない 小さな声で遠慮がちに問われて、断れることなんてできるだろうか。菊は迷うこと なく私でよかったら、と答える。瞬間、また無表情が少しだけ嬉しそうに緩んで 菊はにっこりと笑みを返して、ベールヴァルドさんはかわいらしい方ですねと 心のままつぶやけば強面がますます強面になって、「あ?」と目が座る様子は 意味がわからないとでも言いたげだ。それがちょっと怖いけれど一度受けた 印象はなかなか覆ることはない。くすくすと笑いながら菊は上機嫌でもう一口 余分に味わった。 |