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「 アドレセンスの落花 」



 花の香りの風が頬を撫ぜて、目が覚めた。帝都からずっと北、ハルルの街には山のように高く
そびえる見事な大樹があって、三種の可憐な花々が交替で咲く。巡礼で立ち寄ったあの街は同じ
ように甘く香る風が吹いていたけれど、まさかこんな場所にまで届くはずは。フレンは驚き、勢い
よく身を起こした。あれ、と思ったのは官舎にある自室の眺めとずいぶん違っていたからだ。そう
だった、今日は休みでユーリのところに泊めてもらったんだっけと思い出す。しかし、寝台にその
姿はない。彷徨った視線が見つけた部屋の主は夜明けを迎えたばかりで青みを帯びる町並みを
見下ろし、ぼんやりと窓辺に座っていた。癖なのだろうか、シゾンタニアでも頻繁に見たことがある
光景だった。いつからそうしていたのか知らないが、手近な布を引っ掛けたといった風情で大きく
露出した肌の色まで青白く見える。
 風邪をひくよ。薄着を心配して声をかけるとため息混じりに肩を竦めてみせた。"大丈夫だって、
出来のいい誰かと違ってバカは風邪もひいてらんねえの"。ユーリの性格だからてっきりこういう
皮肉が返ってくると思ったのに。お前のほうこそ今にもぶっ倒れそうな顔色してんぞ、と逆に指摘
されてしまう始末。言われてみれば確かに妙だった。同じベッドで窮屈に眠ったはずなのに、そこ
から抜け出したユーリに気づかないなんて。"日頃の疲れが溜まってたんだろ、騎士様の仕事は
重労働なんだし?"次はそう言って意地悪く笑うのを予想していたのに。まだ寝てていいんだぞ、
休みなんだろ?と、返ってくるのは当たり障りのない言葉ばかり。何かおかしい。
 それは掛け違ったボタンのような焦れったい違和感だった。まるで自分の知らないユーリがいる
ようで、ひどくもどかしい。実際ほんの少し前、フレンは昨日まで知らなかったことを知ったばかり
なのだ。だからあながち的外れというわけでもない。周囲が変わったのではなく、自分が変わって
しまった。ユーリが顔の向きを変えた拍子に寝乱れた黒髪の下から首筋の鬱血がちらりと覗き、
ああ嫌だなと思った。漠然と、何がどう、というわけでもなく。
 はっきりと自覚したのはフェドロック隊の解散と配置替えに伴い、幼少時代を過ごした懐かしの
帝都に居を構えてしばらく経ってからのことだ。フレンの内面深くに根を張っていた葛藤も含めて
長い空白が生んだわだかまりも消え、喧嘩の絶えない同期は元通りの幼馴染に戻った。立場は
違えても目指す先にあるものを違えたわけではない、それで十分じゃないかと自身を諌める声に
心は耳を貸さない。どうして幼馴染のままではいけないのか、フレンは再会を果たして一年経って
なお答えが出せないでいる。境界を踏み越えた今でも。
 香る風の正体は花の香油だ。獲物の喉笛に喰らいついたところでこのままじゃ無理だとやたら
落ち着きのある忠告が煮えた頭に冷水を浴びせた。フレンは指示に従ってベッド脇の棚を漁る。
あんなに散らかっていた机が嘘のように室内は物がなく、片付いている。おそらくあれは書類を
書くのに必要だっただけで、本来興味もないものを次々に寄越されて持て余した結果だと今なら
察しがついた。幼い時分から貧しい暮らしを送っていた云々に関係なく、元々ユーリは執着心に
欠ける。それを裏づけるがごとく、グミの類が一、二個入っているぐらいでほとんど空っぽの棚に
あったのは洒落っ気のないユーリにはおよそ似つかわしくない、貴族の令嬢あたりが好みそうな
細工の美しい小瓶だった。どうやら貰い物らしい。
 瓶の中身を手のひらにぶちまけると、ユーリは油に塗れた指を躊躇なく裸の尻に突き入れた。
最初の一本は驚くほどすんなりと入る。けれども二本目からの道のりは長かった。もういいぜ、と
許しが出る頃には空焚きの憂き目に遭った頭がどうにかなりそうだと声にはならぬ叫びをあげて
限界を訴えていた。あちこちに剣だこのあるざらついた長い指が狭い穴を出たり入ったり、次第に
漏れ出す吐息や嗚咽は聞いたこともない色を帯び、眉根を寄せてくちびるを噛むさまは苦しげで
あるのに、粘つく音にも強く劣情をそそられる。さあ、温かいうちに召し上がれと言わんばかりに
開かれた太腿を肩に担ぎ、ぐっと押し入れば油のおかげでしっとり柔らかな肉が温く性器を包み、
たまらずフレンは奥まで一息に突き入れた。末期の悲鳴じみた声をあげて白い喉首が反るのを
興奮も冷めやらぬままに見ていた。それから何度か同じことを繰り返せば息も絶え絶えに、頼む
からもっとゆっくり、と当然の苦情を食らう。そのとき普通ならもっと手前の段階であるべき苦情が
あったではないかと遅ればせながら気がついてしまったのだ。
「ユーリはしたことあるの、こういうこと、初めてじゃないんだろ」
 そんなつもりはないのに無意識のうち詰問に近い声音になったことがまだ青い。うんまあ、そこ
そこかな。経験などないと嘘を吐いてほしかったのか、正直に打ち明けてもらってよかったのか。
どちらにせよ、腹立たしく感じたのは事実だ。それって、合意の上?そうだよ、だから?そこから
先はおしゃべりを楽しむ余裕もなかったので、本人の意思を無視して零れる音の羅列以外、双方
ろくに声を発しなかった。なのに、気持ちいいとは何度も聞いた。呪文のように。
 ユーリはしばしば嘘か本当か判然としないことを、あえてわからないように口にする。たとえば
美人に誘われて楽しいことをしてきたと言い張る利き手が不自然にぶら下がっているような状況
さえ普通は騙されてしまう。フレンにしてみれば嘘を見破る方法など容易い。何しろ見ていれば
わかるように育ってしまったので。そして、何より注意しなければならないことはユーリがそういう
態度を頑なに貫くとき、その背後には知られたくない隠し事がある。
「嘘つき」
 朝が早いパン屋の煙突から白煙が立ち昇るさまを見ていたらまた静かになったので、フレンは
もう一度眠ったのだろうと思いきや、何の脈絡もなく罵倒を浴びて、さしものユーリも面食らった。
ご挨拶だな、誰が嘘つきだって?とシゾンタニアにいた頃ならば簡単に喧嘩腰になって嘘を嘘と
露呈してしまったはずだった。はぁ?何が?と嘘が上手になったユーリは何を言われているのか
本当にわからないという風に、とても自然に聞き返す。それも偽りだ、この嘘つき。
 僕と寝たのは間違いだったと思ってるんじゃないのか、ご丁寧に朝早くから窓も全開で、昨晩の
痕跡を早く逃がしてしまいたい、できることならなかったことにしてしまいたい、そう思ったんだろ?
どうして拒まなかった?嫌なら拒んで欲しかったよ、僕が傷つくと思ったからか?早朝から声量も
考えず早口でまくしたてるフレンに制止の声は届かない。泣き出す寸前の表情をしていることを
本人は知らないのだ。言えば言うほど自身を傷つけていることも気づいていない。フレンは昔から
不安や不満を内に溜め込んでしまう厄介な性質で、一度爆発すると手がつけられない。ユーリの
経験上、対処し得る手段は実力行使あるのみだった。
 少しでも苦痛をやり過ごそうとしてシーツを握り締めた手に覆い被さる温もりがフレンの手だと
わかって、夢中で握り返した。フレンが帰ってきて、こうして触れている。他人の肉が己の体内に
侵入してくる感覚はまだ慣れない、永遠に慣れそうにない。慣れたくもない。見上げるとフレンの
顔がすぐ近くにあった。険しい表情は同じく苦痛を堪えているように見える。十分慣らしたつもり
だがやはり狭すぎるんだろう、そもそも性交に使うべき器官ではないからしょうがない。できる限り
呼吸を大きく緩やかにして、体が硬直しないように。それでも思うようにならない。他にどうしたら
いいか知らない。せめてフレンには気持ちよくなってほしかったのにな、と無性に泣きたくなった。
ふと、目元を温かいものが這う。フレンの舌だった。いつのまにか泣いていたらしい。辛いの?と
聞いてきたので、慌てて首を振った。頷いてしまったらフレンは止めてしまうに違いない。そうじゃ
ない、遠慮しないで来いよと言葉の形を成さない舌を諦めて、背に回した腕ごと強く引き寄せると
律動がいっそう激しくなって、やがて腹の内に熱い滴りが吐き出されるのがわかった。それなりに
満足してもらえたのなら良い。でも涙腺がぶっ壊れたかもしれない。どろりと抜け出る感覚にまた
涙が滲んでしまう。だってこれはフレンとやった印なんだから。脱力した体が圧し掛かってくるのは
しんどい、重い。汗ばんだ肌からフレンのにおいがして、心地いい。だけど失敗だ、あんなモノ使う
もんじゃない。花の香りが邪魔だと憎々しく思った。いっそ宿の厨房から食用油でも借りてくれば
良かったと。がっついてたのはたぶん俺のほう。下手くそなくせにガッツンガッツンやってくるもん
だからつい演技しちまったけど、それとこれとは別で、俺ってお前のこと好きだったんだなあって、
今更だけど。お前がいなくなってからよくこうやって街の出入り口を眺めてたっけって、あんま言い
たくなかったけどな。
 種明かしが済めばなんてことない些細な隠し事だ。知識や興味があっても経験のないフレンが
下手くそなのは致し方ない。男の沽券とやらを気にしてくれるのはありがたいけれどそこらへんは
言ってもらったほうが今後のためになるから気遣いは無用だよと苦笑いで言い置くと共に、色の
白い細首に残る鬱血の痕、フレン本人すら呆れた情事の証拠に今度はしっかり欲情した。ただの
幼馴染ではこんなことはできない。もはや幼馴染で済ませないのはご覧の通りだ。もう一回いい
かな?と窓板を閉めたら花の残り香漂う室内の明度は再び夜に戻っていった。





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