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日に日に明るい時間が夕闇に追い立てられるよう去るのを早め、温かな陽光も貴重なものになって いく季節ともなると、帝都の犬猫を従えるラピードといえどたまには気鬱に襲われるもので、見回り なんか行きたくないというほどではないが、なんとなく最初の一歩が重い。寝床で小さく丸くなって、 相棒が何やら話しかけてもどこか上の空。具合でも悪いのかと尋ねてくるのでワフンとひとつ、そう いうわけじゃあないんだけど…といったニュアンスの返事をする。すると相棒のほうも心得たもので、 ベッドの上に胡坐をかきポンポンと膝の上を叩く。眠たいようなそうでもないような体が無意識に少し 跳ねたらこちらのものとばかりに途端、滅多に聞かれない甘えたような声音でラピードの名を呼び、 まるで猫か何かを呼ぶように舌でチッチッと鳴らしてはラピード、ラピードと強弱をつけて、あるいは 変な節までつけて執拗に呼びかけるので、気だるい体を仕方なしによっこらせと持ち上げてベッドの そばまで行くと、再び膝の上をポンポン、ポンポンと、早く早くと待ちきれない子供の顔をした相棒が 音を鳴らす。それはラピードがベッドの上にひょいと飛び乗り膝の上に顎を乗せるまで続き、渋々と いった様子で要望に応えれば体毛の流れに逆らってわしゃわしゃと掻き混ぜる手のせいでせっかく お手入れした毛並みは全身ぐしゃぐしゃだ。毛がシーツに抜け落ちるし、毛繕いもやり直さなければ いけないし、お互いやることが増えて面倒だろうに、相棒はそんなことはお構いなしに尻尾の先っぽ まで撫で回し、今日はもう一日中ここでゴロゴロしてようぜ?などと誘惑してくるのである。 犬のラピードならともかく、人間のユーリには何かやることがあるだろうと前足をぐいと突っ張って ご辞退申し上げるとラピードさん冷たい…と拗ねてさえ見せる。呆れるのも束の間、せめて一時間、 いや三十分でいいから、な?と大幅な譲歩を見せたところで仕方ないと再び顎を乗せ、心地の良い リズムで優しく頭から背まで撫でられながらうつらうつらと夢の浅瀬でまどろんでみる。やがてテッド あたりが賑やかに呼びにくる頃にはあんなにも重く圧し掛かっていた消化不良のモヤモヤはいつの 間にやらどこかに消え去って、ラピードは新しい朝でも迎えたような心持ちで見回りに出かけられる のだった。 ラピード自身もそういう経験が何度かあるので、ユーリがフレンの膝を借りていても何ら疑問に思う ことはない。ああすることで何か補えるものがあることは確かではあったが、それが何なのか人間の 言葉を完全に理解していたとしても説明することは難しく、誰も彼も知っているわけではないだろうと ラピードは思う。その価値は得られる者だけが知る特権といえる。しかし、今回ばかりは単に手頃な 枕として利用しているような気がしないでもない。さっき見晴らしのいい丘を発見してここで少し休憩 しようとフレンが提案するまで、相棒が何度もあくびを噛み殺しているのをしっかり見ていたラピード である。昨晩は睡眠時間を削るような何か、大体のところ推測はついているのだけれど、そこらへん ラピードも犬の年齢ではレイヴンとほとんど同じ年頃のいい大人なので、具体的な追究は避けては いるが、まあそんなことに励んでいたのだろう。仲良きことは美しき哉。深入りはすまい。 とにかく、眠っているユーリには眉間の皺ひとつなく、子犬だった自分と出会った数年前よりもっと 幼く、まるで何も知らない子供のように見える。フレンの膝がよほど心地よいのだろうと思うと、日頃 そっぽを向いて何か苦いものでも噛んだような顔つきで眠る相棒が、悪夢のぬかるむ淵を重い荷を 背負いながら歩むかのごとく思えて、それがどうしても哀れでならない。哀れみなど決してあっては ならないのに、眠っているあいだでさえ自ら踏み込んだ泥沼から逃れようとしない相棒が愛おしくて しょうがない。そしてほんのわずかな時間でもその重荷から解放してくれる存在がいること、それが 自分もよく知る人間であることがラピードには嬉しかった。彼ならばと安心してその膝に委ねることが できる。 フレンのそばに寄り添って、寝息を立てるユーリの顔を見ている。時折髪の先で遊ぶ手が起こして しまいやしないかと心配して覗き込んだりもしたけれど、結局そんなことはなく相棒はいまだ安らかな 夢の世界で緩やかに泳いでいる。フレンは終始優しい笑みを形作っていて、時々、ふっと零れそうに なる笑い声を堪える仕草をして見せた。いったい何が可笑しかったのか、見ていてもわからないので スンスンと鼻を鳴らしながら探ろうとすると、手で遮られてしまった挙句、起こしちゃだめだよと小声で 叱られてしまった。そんなつもりはなかったのに心外だと言わんばかりに大きな鼻息をひとつ。 今夜は雪のちらつく夜にでもなればいい。そうすればきっと相棒は湯たんぽの代わりと言いながら 寝床に招き入れてくれるはずだ。犬の身を疎んじたり優越感を得たりしないラピードも、冬ばかりは 温かい毛むくじゃらの生き物に生まれたことに感謝する。 |