「 ぴかぴかに光ってるわよぉ 」



 おかしな夢を見たのです。ひとの心に棲む闇よりも病んで真っ黒な暗い暗い空には艶やかな
若いご婦人が微笑むくちびるの三日月も、真っ二つに割れた鏡の半月も、真ん丸に落ちた涙の
満月もお留守で、蠍の心臓のように赤々と燃える星がひとりぼっちできらきらぴかぴかと光って
いるのです。ちかちかと明滅するさまは道ならぬ恋に悩むレディのか細いため息にも似て、俺は
ついついあれが欲しいと願ってしまったのでした。しかしどうしようもなく愚かな俺でもお星様まで
手が届かないことぐらい知っています。なので俺は昼も夜も太陽も月もない、靴墨で満遍なく塗り
潰した空の真下で、飽かず眺めていることにしたのです。俺がどこに立ち何をしようとしているか
忘れてしまいそうになってもお星様は相変わらずきらきらぴかぴか眩しくて、胸が痛くて苦しくて、
ガラクタが内部でからから乾いた音を立て、俺が何者なのかを嫌でも思い出しました。俺は何者
でもなかったのです。ええ、空っぽです。がらんどうです。Emptyです。どうしようもなく馬鹿な俺は
それでもお星様を眺めるのをやめられません。どうしたって手に入らないものを未練がましく待ち
続けてしまうのは昔から俺の性分でした。不毛でしょうか。これはこれでいいじゃありませんか。
何も持たない幸せもあるのです。それが俺なりの幸せってやつなのです。
 ところがどっこい、ご立腹なお星様は突然こっちの暗がりまで落っこちて、俺の足元にごろんと
なって、そんなに欲しけりゃ持ってけよとばかりにちりちり誘惑するのです。いやいや世の中そう
うまい話はありゃしません。真っ赤に煮える林檎飴のお星様の表面はとげとげちくちく、いかにも
痛そうで手に入れることはおろか安易に触れることすら叶いそうにないのです。トンマな俺には
やはりただ焦がれるままにお預け食らってぼんやり眺めているのが似合いのようです。だって、
俺はもうアレですから。アレといったらアレです。そうそう、そうです、所詮俺はアレなんです。
「泣いてんの?」
 お星様は俺に聞いてきます。泣いてなんかいません、俺はもうアレなんですから。一度アレした
人間は泣いたりしません。
「悔しくねえの?」
 悔しくなんかありません、俺はもうアレですから。一度アレした人間はまともな感情なんて持ち
合わせてません。
「諦めんの?」
 諦めるも何も。だって俺はもうアレしたんですから、もうアレなんです。だから今更どう足掻いた
ところでどうにもならないのです。お願いですから放っておいてください。そしたらお星様はひとを
小馬鹿にしたようにせせら笑って、それじゃアンタのと交換しようかと言い出しました。そう、実は
俺も似たようにぎらぎらと光るソレを持っていたのです。でも俺のソレはどうしたってニセモノで、
十年も経ったらすっかり輝きも色褪せて、血にも泥にも塗れて大変みすぼらしい有様で、きらきら
ぴかぴか本物でまぶしくて強くてきれいなお星様のソレと釣り合わないことは誰の目にも明らか
でした。だけど俺はこれがいいのだと、お星様は強引に俺のソレを持っていこうとしたので俺は
困ってしまいます。ちょっとちょっと、お前さん、これがどんなに大事なものかわかってる?コレが
ないと俺様死んじゃうのよ?と尋ねると、たとえそうだとしても、重荷でしかないモンならさっさと
捨てちまいなとお星様は遠まわしながらも俺に死ねと、きっぱり残酷なことを言うのです。夢の中
でも彼は容赦のない兄ちゃんで、けれどそれは俺がずっと望んでやまない結末だったので、うん
そうね、なんで気づかなかったんだろ、最初からそうすりゃよかったのよね、そんならこんなに長く
苦しむこともなかったのにねと左胸に居座るソレに手をかけようとしたら、きらんと瞳を輝かせて
笑ったお星様はこのときを待っていたかのようにこう言ったのです。なあ、どうせ捨てるんならさ、
ソレごとあんたを俺にくれよ。
 お星様は相変わらずきらきらぴかぴかと眩しくて、目が眩んでくらくらして、胸の奥よりもずっと
ずっと奥深くが、何にもないはずのそこがぎりぎりぐりぐりと痛くて、俺はそこで目が覚めました。
どうにも夢見が悪いと思えばここは船の上です。俺は不覚にも帆柱に背を預けたまま束の間の
うたた寝をしていたのでした。きっとここ十日ほどまともな睡眠をとっていなかったせいでしょう。
 とてつもなく広い水たまりのど真ん中に、巨人の指輪みたいな異様な物体が偉そうに居座って
います。現実の俺はそのてっぺんから行方をくらました、お星様ではない誰かさんを探している
真っ最中。手がかりらしい手がかりがまったくないおかげでそろそろ捜索中止の声もありまして、
状況は芳しくありません。俺は一度アレした身ではありますが、この件に関しては悔しくて到底
諦めきれるものではなく、心の奥底ではいい年こいて恥も外聞もなく女子供のように泣きたくて
仕方がありません。だけど泣いてどうなるわけでなく、女子供でさえぐっと堪えて泣いておらず、
実際泣いている暇も惜しいのです。
 嗚呼。お星様、生きようと思って生きることは、どうしてこんなにも苦しいのでしょうか?だけど
夢と違って、なんて眩しい光の世界。多少変なものが青空に横たわってはいるけれど、太陽は
温かく月は優しく空は青い。こんなにも美しい世界と、ちょっと前まで死人だったダメなおっさんを
放っておける男ではないので大丈夫。不安で心配でしょうがないのに、俺は何故だか理由もなく
そう信じてしまっているのです。ええ、もちろん今も。実におかしな話でしょう?





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