「 There's nothing there. 」



 基本的に外国人部隊とは自国民に負わせたくない厄介な任務を押しつける
ための兵隊だ。そんなものに自ら好んで応募してくるのは往々にして変わり者が
多く、収入や任期終了後得られる新しい国籍と名前が目当てであったり、単なる
戦闘マニアであったり、己の能力がどこまで通じるか試したいという者さえいる。
我輩もまたそのクチだ。だが動機などそもそもどうでもいいのである。重要なのは
役に立つか立たないかの二択であり、正式な入隊のためにはいくつもの関門が
ある。逃げ出してしまう者も多い中でそれらをクリアして採用されたのだから新兵
とはいえそれなりに期待は出来るのであろうが、ホンダという日本人は合格者の
中でも異質な存在と言えた。入隊条件に身長や体重の制限はない。しかし彼の
貧弱な体格は嫌でも目につく。我輩も小柄なほうだがホンダはさらに上をいった。
対少人数における素手での格闘術や射撃の腕、作戦の理解度が秀でていても
基礎身体能力がプラス要因を無にして余りあるほど劣っていては話にならない。
ホンダの狭い歩幅なら標的までの歩数を他の者より余分に必要とするだろう。
それは本来不要なものだ。体力、持久力も平均に遠く及ばない。重さ40キロの
背嚢を背負う100キロ行軍の遅れは近年稀に見るひどい結果だった。総合的に
評価するならば彼は下の上といったところだ。それでも彼が部隊に籍を置いて
いられるのは彼がまだ音を上げていないからに他ならない。それは心の強さに
よるものだ。彼より体躯や技能に恵まれていながら脱走兵という汚名を負った
者が今まで何人いたことか。だから我輩はホンダを過小評価しない。むしろ気に
なるのは何故その強い心を持った彼がわざわざ自国の軍を辞してまで他国の
外国人部隊に志願したのかということかだ。同国民ならばこれほどまでに身体
能力に差が出ることもなかったはずだ。「我が国では軍という言い方はしないん
ですよ」とホンダは笑った。士官学校に当たる大学も出たくせに彼は出世街道を
ドブに捨てたのだ。物好きにもほどがある。「それは私のプライベートに関わる
事柄ですので命令とあらばお答えしますが、出来ればお話したくありません」
ホンダはいわゆる愛想笑いというもので拒否を見せる。部下のプライベートに
土足で踏み込む趣味はない。言いたくないならそれで構わないと思ったところ
「でもツヴィンクリ曹長がどうしてもとおっしゃるならそうですね。次の休暇、町まで
乗せてって下さるなら」と言う。基地から市街地までは距離がある。部隊に所属
するあいだはたとえどこの出身であろうとこの国の人間と同等に扱われることに
なるが、特別の事情でもなければ基地の外の運転は許されていなかった。我輩
であれば"特別の事情"をでっち上げることも可能と踏んだのだろうか。面倒事に
首を突っ込むのはどうかと思いつつも了承したのは気まぐれに過ぎない。町に
何の用があるのか問えば「スシレストランがあると聞きまして」とホンダはやたら
嬉しそうに笑う。日常の訓練に加え、基礎体力向上の特別メニューを組み込んで
やっているというのに何故この男はスシレストランごときでこうもヘラヘラ笑うのか
我輩には理解出来ない。それほど日本人にとってスシは重要な食べ物なのかと
疑問に思うばかりだ。除隊した自称食通の隊員が日本で食べたスシのライスは
酢で調味されていてそのレストランのスシはまったく酢の味がしない偽物だと
話していたことを運転席から伝えると「そんなことはたいしたことじゃありません!
米!とにかく私は米が食べたいのですよ!」と拳を握り締めて力いっぱい語る。
母国に残っていれば舌に慣れない食堂のメニューやレーションに不平を漏らす
必要もなかっただろうに、ますますわからない男だ。我輩は食事など食えれば
それでいい。ホンダに付き合って偽物のスシとやらに特に感動を覚えることも
なく胃に放り込んでいると「いい人ですね、曹長は」とまたへらりと笑った。そして
唐突に「実は、私が同性愛者だと噂が流れまして」と打ち明ける。軍は基本、
男所帯だ。女もいないわけではないが、比率は圧倒的に男に傾く。その狭い
世界で男に走る者がいるのは仕方がないと不祥事さえ起こさなければ大体は
黙認している状態だ。合意であれば正式に許可している国もある。日本では
同性愛は否定的なのか?と尋ねると「いいえ、そうでもないです。排除しない
代わり、無視もしてくれませんけれど」と何とも複雑な表情をしてホンダはスシを
ハシで器用に挟んで食べる。つまりは周囲の視線に耐えかねて除隊したという
ことなのだろう。あの厳しい選考にも耐え抜いた男の強靭な心にも弱いところが
あったということだ。食事を終え、生活用品などを買い足して我々は帰途に着く。
残りはずっと当たり障りのない会話をしていた。宿舎に戻る際、ふと足を止めた
ホンダは「仕方ないです、私がゲイなのは本当でしたので」と零した。我輩は
同性愛者を差別する気はない。その程度のことで貴重な人材を失って日本は
惜しいことをしたなと応じるだけだ。ホンダは笑みともつかぬ顔をして「曹長は
いい人ですね」と繰り返した。それ以降、次の休暇もそのまた次の休暇も例の
スシレストランまでホンダを連れて行くことになる。そのたびホンダが基地から
ではなく町のポストから手紙を出していることに気づいた。「私、ここで日本人
観光客向けにガイドしていることになってるんです」とホンダは苦笑いをした。
訓練や戦闘で死傷でもしなければ嘘は発覚しないだろう。一通はホンダ姓の、
おそらく家族宛で、もう一通は別の姓だ。「幼馴染なんです。元はと言えばこの
人がこの道に引きずり込んだ張本人なんですよね」それは軍人としての道でも
あり、同性愛のことも指しているのだと我輩は察した。「今でも好きなのか?」
あまりに不躾だと気づいたのは無意識に質問をぶつけてしまってからだった。
「あはは、まあ、向こうはもう結婚もしてるんで」と泣きそうな目をして、答えにも
なっていない答えを吐く。恋や愛などとそんなあやふやなものを土台に士官を
務めることが出来るのか。我輩は他国の軍を知らない。けれど少なくともこの
部隊で踏ん張っていくことは不可能だ。我らの戦場はそれほど生温いものでは
ない。ではその恋が終わったのなら今は何を支えにしているのか気になった。
「今は、何もないです」ホンダは遠くを見つめる。何もない。守るものも失うものも
何もない。それがホンダの強さの正体だと思うとただただ空しくなった。感傷に
浸って死を望むわけでも何かを忘れるように生にしがみつくわけでもない。ある
のは真っ暗な空洞だけだ。そのとき初めて我輩はホンダのことを特別に思った。
同情にも似た空洞を埋める感情を告げてしまえばホンダの心を無用に傷つける
だけだと感じたので沈黙に徹した。「曹長はいい人ですね」ホンダは三度我輩を
いい人だと褒める。ひどく空しい心地がして「ここのスシ、少しはおいしくなった
みたいですよ」という言葉も耳を素通りし、結局はその後もスシの味などろくに
味わえていなかった。





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