「 伸るか反るかの正鵠を 」



 曰く、いくら上手に真似たってあっちは生まれたときからドンやってんだぞ、俺らみたいなモンが
何十年何百年やってたって追いつけるわけねえんだよ。見ろよ、じいさんの戦いっぷり。生き生き
しやがって、年寄りの冷や水が聞いて呆れるぜ。俺のほうが先におっ死んじまいそうだっつの。
 なるほど、正論といえば正論。後半はともかく、前半は説得力がある。もし同じ年月を重ねても、
同じ経験を積んでも、同じ感情を有しても、同じ境遇に身を置いても、ドン以外の者はドンになり
得ない。故に孫息子だろうと何だろうとドンを越えることは可能でもドンになるのは絶対に無理だ、
なろうとすること自体、端から間違っているということ。お友達、いいこと言うわと感心していると、
ハリーはいまだ納得いかない様子で苦々しく舌打ちした。どうやらレイヴンがその、無茶にも程が
ある大きな夢をけちょんけちょんにしてくれたお友達に反撃するヒントをくれるとでも思っていたの
だろうか。ご期待に添えず申し訳ないが、この件に関してはお友達が正しい。
 若気の至りで済まされる年のうちに若さゆえの過ちを犯していたら、ひょっとするとこのぐらいの
子供がいたかもしれないと、さんざ女遊びを楽しんだ癖に抜かりなく回避・予防してきた風来坊は
そろそろ難しい年頃に達する少年のために臨時で青少年お悩み相談室を開設している真っ最中
だった。相談料代わりだという酒をありがたく馳走になりながら彼との関係を顧みる。ドンを己が
主とするなら確かにそうだ、少なくとも"レイヴン"の主ということならば。そのレイヴンが付き従う
ドンの孫ハリーとは、同じ天を射る矢の一員ということぐらいでなんぞ特別な結びつきがあるわけ
でもなかろうに、妙に懐かれることが多く、いつのまにかこうして人生の先輩面して余計な茶々を
入れる間柄になっていた。ドンがどれだけ偉大な人物か知る者のひとりとしてその両肩が背負う
重圧が見過ごせなかった、とは思うが、過大な期待に応えようと肩肘張る悩み多き若者が年寄り
にはやたら青く眩しく見えたのも理由のひとつだったに違いない。しかしながら、今回のお悩みは
ドンと無関係の問題が絡んでいるそうな。つまるところ、例のお友達。ハリーははっきりそうと明言
することはなかったが、おそらく友情の枠に留まらない感情を淡く抱いている相手が遠くへ行って
しまう、どうしたらいい?的な、初々しくて甘酸っぱい方面の悩みだ。
 ふうん、そのお友達ってどんな子?と試しに聞いてみたら孤児院の子だという。ダングレストの
孤児院はユニオンの名義ながら実質ドンの私費で運営されている。戦闘のイロハから読み書き
算学その他諸々社会の常識を学び、見事自立を果たしたあとの身の振り方に制限はないのに
天を射る矢に入りたい、ドンの役に立ちたいと望む者が後を立たないのはそういった背景がある
からだ。けれどハリーのお友達はよりによって騎士団に入ると言って聞かないのだとか。ギルドに
属す人間にとって帝国や騎士団は家庭内害虫にも勝る嫌悪、敵対心の対象だ。そりゃ心配にも
なるわな、とレイヴンも合点がいく。ややもするとドン、もしくはユニオンに対する反逆行為と受け
取られかねない。恩義や尊敬の垣根を越え崇拝、信奉の領域に達している連中の耳に入れば
最悪の場合、制裁だってあり得る。面倒な相談受けちまったなと思いつつ、やはり捨て置けない。
 全部が全部そうとは言わない、けれども九割がた人を人とも思わぬ輩で構成される騎士団なぞ
入ったっていいことなんかひとつもない。帝都くんだりまで出てらっしゃいと言わないからちょっと
足を伸ばしてヘリオードに埋もれた真実を知ればいい。そこいらをちょちょいと掘り返してみれば
急速な発展を遂げた都市の地下に眠る悲しい人柱がぞろぞろ出てくるはずだ。とはいえ、それは
秘中の秘。どうしたものかねえと帝国の裏側を吹聴して回るわけにもいかないレイヴンは途方に
暮れる。とりあえずお前が好きだ!離れたくない!ってコクっちゃえば?などといい加減な助言を
施してやり、そんなんじゃねえよ!と盛大に否定されてしまう。が、ぷいと逸らした横顔がやや赤く
なっている様子からしてやっぱりそうなのねと確信するに至った。青春ってやつだねえとしみじみ
浸って杯を傾ける。
 策を練る間もなく、相談料はふいにしてしまったようだ。ドンの遣いであちこち行ったり来たりして
いるので各地に散らばる騎士団の悪い噂ぐらいは教えてやれるかしらと思っていたら、ハリーの
お友達はとっくに帝都に向けて旅立っていた。もちろんハリーの複雑な心情など知らないままに。
"シュヴァーン"が極秘任務から無事帰還したときには採用試験も入団式も済んでいて、奴さんは
ちょっとした有名人になっていた。ダングレスト出身であるだけで信憑性に乏しいさまざまな噂と
共にその名は知れ渡り、今となってはサンドバックが看板をぶら下げて歩いているような状態だ。
いったいどこの三流ギルドがそんな馬鹿正直な密偵を送り込むというんだとギルドにも精通した
隊長主席は鼻白む。おかげでハリーから聞きそびれたお友達の名前がすぐに判明したものの、
謂れなき誹謗中傷プラス暴力のせいで負った痣がそこかしこに見受けられてなんとも痛々しい。
それでも他の視線を奪う彼の容貌が損なわれていないのは不幸中の幸いというかなんというか、
むしろ多少損なわれていたほうが彼のためになっていたかもしれない。男が男に惚れる、それは
レイヴンがドンに抱くものに似ているが、それ以外は気の迷いか何かであり、最もおぞましき事象
だと断言して憚らないレイヴンは世界人口の半分を占める女性が大好きだ。何が悲しゅうて男を
好きにならねばならんのか。心の底から不思議だ、世界が引っ繰り返っても理解できそうにない。
当然ハリーにも同じことを言ったことがある。正気かどうか確認も兼ねて。俺だってそうだ、でも、
あいつのことを知ったら自然とそうなっちまったんだって。ハリーは答えにならない答えを吐いて
いた。そしてシュヴァーンは一目でなんとなく理解する。アレなら気だって迷うわな、と。けれども
それはあくまで表面上のことで、真の意味を知るのはだいぶあとのことになる。
 お隣さんに話しかけてみると随分と手厳しいお言葉だ。見た目と全然違うのねえと改めて実感
できたはいいが、その後はスンと鼻を鳴らす小さな音が聞こえたかと思ったら、アンタもしかして
ギルドの人間か?と急激な態度の軟化に驚いた。曰く、ダングレストの懐かしいにおいがするの
だそうな。ダングレストのにおいってどんなのよと思わず羽織を嗅いでみる。当然のごとく、地下
特有のカビっぽい臭いと、仕切りが設けられていない便所の臭いぐらいしかしない。彼の前世は
犬か何かなんだろう。天を射る矢のハリーって知ってるか?と尋ねてきたのでそりゃ知ってるよ、
おっさん天を射る矢の人間だものと応えると、妙に神妙な声音でハリーは元気か?と問う。五体
満足でピンシャンとしているかといえば確かに元気だが、惚れた相手が目の前から消えた年齢に
追いついてもいまだ連絡ひとつないというのは相当堪えているように見えた。騎士団を辞めても
帰ってこれない理由があるとしても。内部事情を知っている者として、元より疑問だったのは何故
騎士団に入りたかったのか、だ。
 曰く、ドンのじいさんは帝国には守れないものを守りたかったからギルドを作ったって言ってた、
けど、あの頃の俺にはまだよくわかんなかった、わかんないままどっかギルド入ってもダチの役に
立てるなんて思えなかった、だから。
 彼は大恩あるドンではなく、お友達の役に立ちたいがために裏切り者の汚名を負ってまでして
肥溜めみたいな現在の騎士団に身を投じたのだった。泣かせる話じゃないの。ハリーが聞いたら
さぞ喜ぶだろう、生半可な覚悟では真似できまい。ダチの、というところには別の意味で泣くかも
しれないが、とにかくものすごい健気な子じゃないの。ドンの取り巻き気取る阿呆どもに聞かせて
やりたいものだ。来る日も来る日も殴られて蹴られて嬲られて、ひどい日には拷問紛いの行為で
ギルドの密偵だとありもしない事実の自白を迫られて、違うと否定してはまた痛い目を見て、目を
覆いたくなる無残な風体でも凛と背筋を伸ばして城内を闊歩する。すると今度は比較的害のない
輩でも大抵距離を置く。騎士団での日々は辛いものだったろうに、ダングレストで聞いてたような
やつばっかりじゃない、ちゃんとした騎士もいると笑い、辞めたら辞めたで慣れぬ帝都での暮らし
でも下町の住人が昔馴染みのようによくしてくれるからほっとけないと、揉め事に割って入っては
騎士に甚振られた挙句牢にぶち込まれる、以前とたいして変わらぬ毎日。にも拘わらず、爪の先
ほどもこの選択を悔いてないと快活に笑う彼。鉄格子の向こうの、存外に幼い笑顔。
 不意にキュンと、偽物のアレが埋まってるあたり。狂気の沙汰だとばかり思っていた感情らしき
ものが、キュンと。ハリーの言葉が脳裏をよぎり、これを指していたのかと。じきに騎士団長閣下
直々のお迎えがわざわざいらっしゃって、いいところだったんですがねえと心底残念に思う。死人
にも"もしも"が許されるのなら、望み、願う権利があるのなら。やがてレイヴンは不確かな邂逅を
祈って運命の鍵を差し出した。





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