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「 君を味わうならいっそ悪夢でも 」



 菊が捨てたがっている本田伯爵の肩書きと付随する栄誉、財産を求める者は
少なくない。中にはどんな手段を用いても構わないと考える者さえいるぐらいだ。
菊を亡き者とすれば子のいない今ならば親族の誰かに権利は移る。その策には
本田の血を引く男であることが絶対の条件だが、女でさえあればわざわざ手を
汚すこともなく容易く済んでしまう。菊にそのつもりがなくても薬なり何なり使って
とにかく子を成してしまえばいいのだ。女児であれば爵位は得られずとも財産は
モノになる。男児であれば重畳。しかし菊には全幅の信頼を置いたあの執事が
寄り添うようにして睨みを利かせている。下層の出身のくせに身の程も知らない
気に障る男ではあるがその点においては心強い。だからそのような心配は無用
だったはずだ。けれどある男爵家の招きで夜会に参加した日にそれは起こった。
男爵は出自を理由に執事の同伴を断ったのだ。それは妾腹の菊までも傷つける
言葉と知りながら俺自身あの男の顔を見るのは不愉快だったし、本田家と親しい
間柄だということもあって危害を加えることはないだろうと別段気に留めることは
なかった。それよりも俺の役目はあまり丈夫でない菊を早く休ませてやることだ。
ただでさえ菊は人に酔ってすぐ具合を悪くするのに、それを見張る役がいないの
だから俺が気にかけてやるのは当然のことだ。なのに次から次へと邪魔が入る。
下らない世辞なんかとっくに聞き飽きたっていうのに。そうしてほんのわずか目を
離した隙に菊の姿が消えた。途端に嫌な予感がして、俺はゲストルームをひとつ
ひとつ探し回った。制止する使用人も家人も無作法だと罵倒する下級の貴族も
知ったこっちゃない。カークランド侯爵である俺に意見するほうが馬鹿を見るという
ものだ。もしも菊の身に何かあったらこんな男爵家なんか潰してやる。嫌な想像
ばかりが膨らんで家捜しはだんだん荒っぽいものになっていく。物の壊れる音も
気にならない。どうせ金で買える物だ。俺が何より大切なものはどんな大金でも
換えられないのだから。ようやく見つけ出したプライベートルームのベッドに菊は
横たわっていた。かろうじて意識はあるようだが目に光がない。正常な状態とは
思えなかった。突然の部外者の訪問に驚いて裸体を隠した女は確か男爵の娘
だったか。男爵家は借金に困っているという噂があったが、なるほどそういう企み
かと心底呆れた俺は非難も罵倒も思い浮かばず手の動作だけで汚らしい女狐を
追い出した。落ちぶれた男爵家には後々それ相応の目に遭ってもらうとして今は
そんなことはどうでもいい。菊の様子が気がかりだ。燭台の薄明かりにぼんやり
照らされる頬を軽く叩くと菊はアーサーさんと掠れた声で俺を呼んだ。その目は
潤んで息も荒い。なんだか体が熱くて、私、病気でしょうかとかつてない経験に
菊はただただ戸惑う。乱された衣服から垣間見える幼い性器が露を零して布を
汚している。どうしよう、どうしたら、アーサーさんと小さな子供のように涙混じりに
縋られると俺の脳裏にはあの男が浮かんだ。俺から菊を奪ったあの執事。本来
なら俺が手に入れるはずだった菊の信頼。俺は知っている。あの男が単に主と
して菊を見ていないことを。俺を敵視するあの目が、菊に向けられるときだけは。
こんなときあいつだったらどうする?大丈夫、大丈夫だ、何も怖がることはないと
優しくなだめて、壊れ物を扱うように怖々と触れながらも次第に節くれだった手に
力を込めて暴れる熱をすべて吐き出すまで存分に刺激を与えてやるのだろうか。
あるいは唾液に濡れた舌で執拗に舐めねぶり、溢れる蜜を嬉々として飲み下す
のだろうか。強すぎる快感に打ち震えながら菊はあいつの名前を繰り返し甘い
声で呼んで、きつくその背を抱きしめるのだろうか。ありありと浮かぶ情景に固く
握り締めた拳が震えるほどの怒りを感じた。どうしようもない嫉妬だ。あいつさえ
いなかったら菊は俺のものだった。もし菊が女だったらあの男爵の娘と同じことを
しても何とも思わなかったに違いない。たとえ最初は愛を得られないでもあんな
やつに奪われるよりマシだ。進まない俺の縁談はこの胸に昔から深く根づいた
執着のせいだった。俺は菊の濡れた頬を拭い髪を梳き、大丈夫だ、心配ないと
想像の中に住むあの男ように声をかけ、初めて触れる性器におそるおそる手を
伸ばした。薬のせいで過敏になった菊の体は大袈裟なぐらいガクガクと揺れて、
緩やかに扱くとそれだけでひっきりなしに声が漏れて俺の鼓膜をひどく甘く襲う。
こんなことあなたにさせられないと抵抗する腕力は弱く、簡単に捩じ伏せて事を
進めれば理性も快楽に屈服した。舌で味わう菊はやはり俺にとっても蜜だった。
長い長い凶暴な熱病が過ぎ去ると菊は睡魔に身を委ねることになった。アーサー
さんと力なくつぶやいた声に大丈夫、これは夢だと告げるとほっとした顔で眠りに
落ちていった。結局、俺が手にしたのは大きな虚無感だった。翌朝、朝食の席で
菊に会った。菊は俺を見つけるなり頬を赤らめて目を逸らしたが、どうした?俺の
顔に何かついてるか?と自然な笑顔を作ってみせた。昨日は珍しく酔っ払って
早々に寝ちまったらしいな、ほどほどにしとけよと白々しく注意すると平静を取り
戻していつもの菊に戻る。やはり夢だったと思い直したんだろう。そうだ、あれは
夢だ。一夜限りの卑劣で甘い、ただの悪い夢だった。





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