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もとより刀であるので、刀剣男士は刃物を扱う仕事が得意だ。特に料理は良い例で、火加減や匙加減が不得意、あまり味にこだわらないこと、手順を飛ばしたり忘れたりすることが原因で失敗することはあっても、最初からうまくいかないということはまずない。切る剥く刻むは幼い姿の短刀でもお手の物だった。その法則は不器用のきらいのある三日月宗近だって例外ではなく、日々の料理当番も順に回ってくる。本丸での食事は五十人弱もの胃袋を満たす食事を担うために四、五人での作業になり、下ごしらえの段階では三日月もよく役に立った。下ごしらえの段階では。それ以降は火加減、匙加減が必要で、つまり不器用のきらいがあるとはそういうことだ。 とはいえ、刀たちが長く暮らした本丸では米や野菜の他にも実のなる木をたくさん育てていて、食事やおやつとしていろいろな料理に化けた。だから当たり前に、料理は失敗することのある三日月でもりんごぐらいは素早く皮を剥いて八つに切り分けることもできたのである。塩水につけておくと色が変わりにくいということは仲間から聞いて学んだことだった。 「料理、されるんですね」 こんなに綺麗な手なのに。どこか惜しむように彼はフォークに刺して差し出されたりんごより傷ひとつない指先のほうを撫で、そうため息をついた。そういうわけではないとは言いづらかった。が、すべての事情を話すわけにもいくまい。相手は瓜二つといえどただの人間であり、こちらも現在の器は同じく人間である。 三日月は人には稀な、空色とも白郡ともいえる不思議な髪の色を見つめている。瞳の色も金であり琥珀であり、とにかく際立って美しい。この世の中では目立つのだろうなあとは思うが、彼が言うにはあなたに言われたくない、ということだった。 人間じゃないみたいにあなたは美しい。癖のように彼は言った。もとが人間じゃないからなあ、とは刃物が云々以上に言いだしづらいことである。本丸の生活に慣れすぎて、今の境遇のほうが何かの冗談みたいだ。あるいは本丸での日々はこのための練習台だったのだろうか。完全なる人の身を得、刀を手離して生きるための。 「お前だって、できるだろう」 「それは…わたしは幼い頃より家の手伝いをしていましたから」 荒れた手のひらをこちらに開いて苦笑した彼は、こちらでも大家族の長子らしく水仕事にも慣れているようだった。以前のように剣だこでごつごつとしているわけではなかったけれども、体躯に対してやや広い手のひらは貴公子然とした見た目に反してひどくざらざらとしている。かつて三日月の手もそうだった。大所帯で何年も何十年も過ごしていたおかげで、物に触れることすらしたことのない、すべすべと滑らかだった手は刀剣男士は皆が皆失ったし、その分だけ人の身で味わう喜びや苦しみを堪能したものだった。 喜び。そう、間違いなく喜びだった。だからこの胸に差す痛みは後悔や悲哀によるものではない、昔の主や失った友と同じだ。単純に懐かしくて愛おしい。ほろ苦くも甘酸っぱい。ぎゅっと抱きしめてその小さな棘ごと飲み込んでしまいたい思い出であり、決して忘れたくない大切な記憶のひとつ。 ふと、べっこう飴の欠片のようなまなざしがすっと細まり、あなたはよくそういう顔をすると言う。あなたはよく、ひとり置いて行かれたように寂しそうにする。そのたびに、自分のほうこそ置いて行かれたような気持ちになるのだと。 「すまんなあ、昔のことを思い出してしまった」 嘘ではないし、別に彼を寂しさの巻き添えにするためにわざと秘密を作っているのではない。三日月の知る過去を、本丸と呼ばれた場所で一期一振という名の刀だったこの男が記憶から失っているだけなのだ。三日月が寂しがっているのは彼の言うとおり、事実だ。しかし彼を責める意図はまるでない。風邪で倒れた友人を見舞うついでに持参したりんごの皮を剥き、塩水に浸したのを適当に見繕ったガラス皿に盛り、薬を飲む前に食えと出したら大袈裟なほど目をぱちくりさせたのだ。それが引鉄になった。 長居もなんだからと帰ろうとした三日月を男は驚くほどの強さで引き止めた。熱を理由に力加減を間違えたと言い訳したけれども、彼が元々見かけによらぬ馬鹿力の持ち主であることを三日月は知っている。普段は制御して殊更丁寧に触れる指先が、ときに感情のまま力強く動くことがあることも。実際もう少しいてほしいとせがまれて、三日月はりんごをつつく男をおとなしく見守っている。 今生も一期と過去と似た名である男は、実家から出て東京でひとり暮らしをしている。高熱で倒れてからというものまともな食事を摂っていないらしかった。脱水症状のようであるのにそれでも会話する元気があるあたり、刀剣男士の化け物じみた体力はいまだ健在のようだ。三日月が同じ状態にあったら今頃救急車でも呼ばれているだろう、おそらく面倒見のいい小さい狐の兄あたりに。おおらかと言えば聞こえはいいが、大雑把なところのある三日月の代わりに気を揉むのは昔から兄の役割だった。 電話で病人への差し入れで喜ばれそうなものとりんごを教えたのもそうだ。スポーツドリンクと、何か簡単に食べられるもの、果物とかプリンとかヨーグルトとかそういうもの。三日月はメモに取ったものを片っ端から買ってきていた。あとはレトルトのスープなりお粥なり、この様子なら温めるぐらいできるだろうから三日月はいつ帰ってもよさそうなものだった。それでも帰らせないのは何故なのか。間もなく薬を飲んで眠ってしまった一期の手が三日月の手首に痣を作らんばかりに強くつかんでいる。 「…一期一振、吉光」 ぽつり零したその名は今現在この男の名ではないし、返事はない。それでもこの痛みさえあれば生きていける、たとえ彼が思い出すことがなくとも。まだ熱っぽい寝息をすぐそばで聞きながら、三日月はただの人のようにそう思った。 |