「 醜いけものは胸の檻 」



 この屋敷に働く者はみな幸運の持ち主だ。靴ひとつとっても、それを磨くブーツ
ボーイの名をきちんと覚え、その労を知るあるじがいる。先日など誕生日と聞くや
使い古しで申し訳ないのですがと少年の給金では及びもしない高価な万年筆を
ぽんとプレゼントしたことがあった。ピカピカと光るほとんど新品のそれを宝物の
ように見せびらかす少年に幼き日の自分を重ね、ついつい似合わない笑みを
浮かべて変に勘繰られた挙句、思い出し笑いをする執事として菊の耳にまで
入ってしまったことは汚点といえば汚点だ。しかしそんな幸運があるのも菊が
特別そうだからであって、やはり他の貴族は貴族でしかないと思い知らされる
日もある。事業のため海外に渡っていたカークランド侯爵が帰ってきたのは
三ヶ月ぶりのことだ。菊とは縁戚にあたり、先祖より伝わる財と才能を生かした
事業はすこぶるうまくいっていると聞く。事実に裏打ちされた自信は身なりにも
現れ、素朴で飾り気のない着物を部屋着とする菊とは明らかに異なっている。
そのとき俺は菊と庭師のフェリシアーノと共に庭に立ち、ひとつの雑草について
話し合っていた。フェリシアーノは除草を怠っていたと見え、花をつけるまでに
成長している。菊はそのまま放っておくのがいいと言うが、そうすればいずれ
種をつけ今以上に増えてしまうのは目に見えていると俺は忠言する。すると
フェリシアーノはじゃあ菊様、こうすればいいんじゃない?と茎ごと手折り、その
花を菊の髪に飾る。わあ菊様お似合いですよ、どうせ抜かなきゃならない花なら
このほうが花も喜びますからね!とフェリシアーノの無邪気な様子に菊はそう
でしょうかと控えめに笑い、釣られて俺も懲りずにまた笑ってしまった。確かに
菊の黒い髪に黄色のたてがみがよく映えていて、いいアイデアだと思ったのだ。
だがそこにやって来たのがカークランド侯爵だ。そんな知らせは受けておらず、
驚く間もなく一直線にカークランド侯爵は菊のそばに歩み寄り、花を力任せに
もぎ取り投げ捨てる。こんなチンケな花で飾りやがってと悪態の下で花びらは
無残に散った。そしてお前にふさわしいのはこっちだと季節には早いはずの
薔薇の花束を菊に渡す。自慢の温室で育てられた薔薇は見事だ。取り立てて
見るもののない春まだ浅い庭に比べるべくもない。菊は喜びはしたが、それだけ
だった。客人を邸内へと案内する間際、拾い上げた花をそっとハンカチに包んだ
菊の何気ない行動が、悲しみに染まるフェリシアーノの心をどんなにか癒した
だろう。カークランド侯爵の辛辣な物言いはその後も続く。手入れの状態を一室
一室くまなく見て回り、フォーク一本にすら厳しいチェックがある。少しでも気に
食わなければ叱責が担当の使用人に降りかかった。しまいには茶の味が気に
入らなかったらしく、お前は茶を馬鹿にしてるのか?それとも俺を馬鹿にしてる
のか?と俺にまで食って掛ったが説教のたび、みなをかばおうとする主人の
姿勢に、売られたケンカを買うことはどうしてもできなかった。嵐のような時間が
過ぎて、カークランド侯爵が帰ると使用人は一様にほっとした。執事の仕事に
私情を挟んではいけないと重々承知していながらも俺はあの男が嫌いだった。
おまけに菊は心労のためか軽い熱を出して寝込んでしまった。笑みは消え、
あの方は庶子の出である私を立派な紳士にしようと必死なのです、どうか悪く
思わないでくださいと沈んだ表情で白い指を伸ばし俺の腕に縋った。ええ、
もちろんですと俺は白々しくもうそぶき、カークランド侯爵の残り香がするむせ
返るような薔薇を菊から引き離した。あの男はあんなやり方で菊を縛ろうとして
いるのだろう。同じ名のつく感情が俺の胸の内にもくすぶっている。





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