※女体化注意




「 かえって免疫がつく 」



 ギシッと大きな音を立て、シングルベッドの骨組みは軋む悲鳴を上げた。明らかに犬猫どころでは
ない重量が、すでに人ひとり横たわっているマットレスに乗り上げたのである。その音と、沈むマット
レスが元の形状を取り戻す力で浅いまどろみをたゆたっていた僕もさすがに目を覚ました。しかし、
次の行動に移すよりも先にこの重みの持ち主が僕の胸の上あたりに乗ってしまって上半身を起こす
ことは叶わない。抗議のために開こうとした口も同様に、蛙の潰れたような呻き声を吐くに留まった。
それでも押し潰されて死ぬような重みでは決してない。人間の重さにしてはむしろ軽いほうだと断言
していい。
 背も筋肉も同じぐらい欲しいのだと一時は胃に押し込めるように食事を摂っていたものの、平均と
比べて少し高い程度に落ち着きそうだ。大幅な成長はもはや望めまい。やはり生まれ持った性には
勝てなかったのだ。違いがはっきりしてきた頃には悔しいと涙を堪えることさえあった。何がそんなに
悔しいのか、僕にはいまだ理解できないままである。にも拘らず、ずるいとまるで僕が悪いことをした
かのように彼女は言う。フレンはずるい。ずるいのはどちらのほうやら。近頃は別の方向から責める
ことも覚えたようで、僕はずっと負けっぱなしだった。
「…ぱんつ、見えてるよ」
 低く唸るように事実を口にする。そう、僕はあくまでも僕の目の前で実際に起きている事実を端的に
述べたまでだ。別に見ようとして見たのではない。仰向けになった僕の胸の上、坐骨のいちばん鋭く
尖った部分で抉るよう膝を立てて座る彼女の服装が膝丈よりもずいぶん短い制服のスカートである
ために、短パンか何か下に穿けと再三注意しているのにまったく聞き入れようとしない無警戒なその
中身が少しの恥じらいもなく僕の眼前に晒されていた。寝室用の遮光カーテンによって時間の流れ
から切り離された薄闇のなか、いっそう白さの際立つ柔らかな大腿と、それらに挟まれた隘路の最も
奥に存在する布地が視界の真ん中に堂々と居座っている。つまり僕が目を閉じるか視線を逸らすか
しない限り、どうしたって見てしまう状況だ。あるいはおとなしくそうすれば良かったのだろうけれど、
あいにく僕は彼女と同じ、ひどい負けず嫌いだった。そもそもつまらぬ意地を張ったせいで本来なら
見るべきではないものを真正面から見つめることになったというより、彼女がこんなところに座るから
悪い。
 けれども水色だった。レースの縁取りや小さなリボンの装飾のある淡い水色。布地の向こうにある
器官の重要性を思えばあまりにも薄く頼りない。何より性差を目の仇にする彼女には似合いもしない
可愛らしい代物で、強い違和感を覚えてならない。
「わざと」
 苦々しい僕の指摘に、彼女はしれっと応えてみせる。その顔はどこか誇らしげですらあった。わざと
見せてんの、元気出るかと思って。にこっと笑うそれは見慣れた皮肉っぽい笑みではない。まったく
邪気の欠片もなく、そのことがかえって腹立たしい。彼女は時々、本人の意図しないところでこうした
問題を起こしては僕や身近な人間を大いに悩ませてきた。今だってそうだ、ひとの気も知らないで。
どうして僕の我慢をぶち壊してくれるのか。堪忍袋の緒だって限界がある。
「わ、ちょ、なに…!?」
 今の今まで黙って重みに耐えていた僕という台が突然反乱を起こしたものだから、彼女はまんまと
滑り落ち、長い黒髪を乱しながらずでんと床に転がってしまった。女性に対する扱いとしては完全に
失格だ。毛足の長いカーペットが衝撃を和らげてくれたことを祈る。何の前触れもなく、いきなり宙に
放り出されて何が起こったのか把握しきれないでいる黒葡萄は不安に揺らめきながら僕を見上げて
いる。長く伏せっていたのに何の準備もなく、腹筋やら何やら残りわずかな体力を振り絞ったせいで
こちらの息も絶え絶えだ。ああ本当に、どうしてこんなことで消耗しなければならない。
「君というやつは!バカじゃないのか!」
 体の丈夫さには自信があったものの、四十度もの熱を出すと罵倒を絞り出すのもひと苦労と知る。
季節の変わり目で、ちょうど体調を崩しやすい時期だった。そこに季節外れのインフルエンザが追い
討ちをかけてこの有様。家が隣同士の幼馴染、同じ高校に通う同級生で、嫌でも毎日顔を合わせる
間柄ともなると丸三日隔離されているだけでまるで集中治療室で面会謝絶状態にあるような感覚に
陥るらしい。ドア越しに聞く彼女の声は顔を見るまでもなく弱っていて、何度もすぐ向こうまで来ては
伝染るからと部屋に踏み入れることさえ許されないまま追い返されることを繰り返し、積もり積もった
心配がこの暴挙の原因に違いない。彼女の心理なんてもうお見通しだ。
 だけど何のために冷たく追い返していたのかわからないわけじゃないだろう。君に伝染ったら困る、
そんなこともわからない年齢じゃないはずだ。大体、眠っているあいだに部屋に入るなんて卑怯だ。
何より元気が出ると思ってこの行為を?僕を何だと思っているんだ、ひとを色欲の塊みたいに。
「だってフレン」
「だってじゃない」
 間髪入れず言い訳を切り捨てる。続けざまびしりとドアを差して一刻も早く出て行くよう無言で指示
するも、ぺたんと尻餅をつく格好に座り直した彼女は上目遣いで僕の心を根っこから揺さぶってくる。
おれ、伝染ってもいいからここにいたいよ。世界がぐるぐる回っているのはおそらく熱のせいだけじゃ
なかった。
「ていうか伝染せよ、そんで元気になればいいよ」
 果たしてインフルエンザとは経口感染するものだったろうか?熱が収束するまで異性との接触は
断つこと等、注意書きはあっただろうか?どうにもそのあたりの記憶は曖昧で、むしろ余計なことは
思い出さないように脳が何らかの妨害を受けている可能性もあった。どうしても理性の踏ん張りが
利かない。散々汗を吸った寝巻きの僕をもう一度ベッドに寝かせるなり、彼女は啄ばむだけの幼い
キスを繰り返す。これ以上は負担が大きいと彼女なりに考えているのかもしれない。髪を撫でる僕が
抵抗を諦めたことを察したのか、彼女はもそもそと布団の中に潜り込んできて、好物の甘いものを
食べているときのような満面の笑みで目を閉じる。ふんわり漂ってくる甘い香りの出所は彼女の黒髪
だった。まともにシャワーも浴びていない僕はきっと臭うだろうに、彼女はフレンのにおい落ち着くと
言って擦り寄って笑う。ああ、これは勝てない。
 僕は駄目な人間だ。少なくとも他人が思うような何から何まで模範的な優等生ではなかった。今は
ただ寄り添ってくる低めの体温に素直に甘えていたい。もう枕元の時計の針が指し示す数字が朝の
八時なのか夜の八時なのかどうでもいい。日付も止まったままでいい。程なくすうすうと聞こえてくる
寝息が子守唄となって、僕も再び深い眠りに落ちていく。





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