※女体化注意




「 斯くて迷宮入りの果は 」



 若き皇帝陛下の御成婚の知らせに帝国中が沸き立っている。まるで御伽噺のような馴れ初め
話が話題性をより高めていた。噂の御妃様はお忍びの視察のさなか魔物の襲撃に遭い、怪我を
負った陛下をそうと知らぬまま献身的に看病した村の娘だという。幼い頃に魔物によって家族を
奪われた痛ましい過去を持ち、花のかんばせに今も無残な傷跡が残るため、人目を避けながら
作物を育て日々の糧を得、野の花を愛で小さな命を慈しみ、慎ましくも心豊かに暮らす女性との
こと。そうした事情もあっての特別な配慮、また、星喰みの恐怖もいまだ記憶に新しく、魔導器を
失って間もない世界は復興の道半ばにあるので祝賀行事は取りやめる旨通達が下ると、お祭り
好きな下町のとある住人などは大変なときだからこそ祝い事は盛大にやるもんじゃねえのかいと
文句を垂れ垂れ祝いの杯を傾けていたものの、大多数は陛下の仰ることはごもっともと特に異論
らしい異論もないまま受け入れるに至る。
 もちろん陰では陛下の御心を射止めた娘を一度でいいから拝んでみたいだの、あたしもそんな
ドラマチックな恋をしたいわだの、皇帝家の血統を穢す呪わしき毒婦だの、あちこちでいろいろな
声が飛び交っていたが、花嫁の素顔を見たという話は聞いたことがない。すると不思議なもので、
御妃様など本当は存在しないのではと噂が立つ。そういえばハルルには花嫁の幽霊にまつわる
古い昔話があって、それじゃもしかして、いやいやまさか、でもそう考えると納得が云々と、他愛の
ない噂話が口伝から口伝のうちに尾ひれを身につけて、いつの間にやら皇帝陛下は幽霊に取り
憑かれて幻覚を見ているらしいとまことしやかに囁かれるようになっていった。
 こうなってしまえば一般市民とて気が気でない。真相を確かめたくとも口の堅い生真面目な騎士
では埒が明かぬとギルド混成部隊の気のいい男衆に酌をしながら突ついてみれば、ここだけの
話、と前置きして御妃様はちゃんと実在する、そしてたいへんお美しい女性であらせられると口を
滑らせた。それでは顔に古傷だなんだといった話はなんだったのか。もし悪い虫を寄せ付けない
ための作り話ならば皆納得しようというものだ。あの思慮深い皇帝陛下をここまで虜にしたその
美貌、是が非でもお目にかかりたいと今や帝都は男も女も老いも若きも御妃様の話題で持ちきり
だった。けれど情報は少なく、何が嘘で何が真かわからない。しかし陛下の恋が実を結んだこと
だけは間違いなさそうだ。人々の暮らしぶりをこの目で確かめたいと民に心を砕く陛下は護衛の
騎士を伴って月に一度は帝都の隅々、それこそ下町の端の端まで下りてくる。そこへ子供たちが
無邪気に群がって御妃様宛ての拙い花束を託せば幼い顔立ちの皇帝陛下はそれはそれは幸せ
そうに微笑んでみせるのだった。
 ああいうのはニヤケ面っていうんだよと渋面できっちり訂正を入れるのは皇帝にのみ膝を折り、
他の命令を拒む自由を帝国の名の下に許された聖騎士ことユーリ・ローウェルである。怒るより
笑うほうが優位に事が運ぶこともあると経験上知っていたが、それが頼み事の場合でも有効だと
ユーリに教えたのは件の皇帝陛下に他ならない。頼まれてくれますよね?と依頼する形をとって
いながらその口ぶりでは拒絶される可能性さえ頭にないではないか。そこが彼を腹黒だと評する
所以であり、伏魔殿たる評議会の狸爺どもと互角以上に渡り合える所以とはいえ、事あるごとに
頼み事をされる身としては困ったものだ。
 実際、例の視察のたびにユーリは呼び出しを受けている。護衛のお役目なら騎士団長閣下の
ほうがいいんじゃねえ?と抗議すると騎士団以外にも手駒はあると示しておくことに意味がある
とかなんとか、要するに政治的な駆け引きに利用されていると理解すればユーリとしては面白く
ない。しかも面倒な頼み事はその程度で済まないのだ。ユーリが言うところのニヤケ面の陛下が
託された花を渡すその相手、つまり噂の的である御妃様の正体。政治的な理由でもなく、偽装や
体面上の何やかんやでもなく、純粋に愛を告白して結婚を申し込み、自分の子供を産んでくれと
いう、人生にそう何度もない頼み事。要するに、求婚である。
 幼少期からの栄養不足、騎士団時代の微々たる発展によってもはや絶望的と見られた絶壁は
近年の充実した食事環境のおかげでそこそこの成長を遂げた。ストイックな印象を受けるボレロ
状の上着、体の線に沿ったインナー及び細身の割に発達した筋肉も相俟ってむっちりした太腿に
ぴったりフィットした生地は女性ならではの曲線の美を強調する。艶やかな髪を結い上げ、露わに
なった白い細首や凛々しい横顔もまた良し。化粧気のないところは清潔感を持たせながら素材の
良さを引き立てる。嗚呼素晴らしき哉、聖騎士スタイル。会心のデザインは皇帝陛下手ずからに
よるもの。つまるところ視察中陛下がご機嫌であるのは俺の嫁が見せびらかし放題であるため。
無論、善良なる一般市民の皆さんは麗しい聖騎士に見惚れこそすれ、彼女が騒動の真相だとは
思いもしない。どうしてわざわざ花嫁の素性を有耶無耶にする必要があるのかも。
 ユーリは十四、五の頃数ヶ月ものあいだ行方不明になったことがある、らしい。他人事のように
はっきりしないのは本人にその記憶がないからだ。怖い思いをしたので忘れてしまったのだろうと
いうことで誰も深く追究したことはない。治安状態が悪い下町ではこういう話がままあった。営利
誘拐の他にさまざまなことが考えられる。そういう意味では五体満足で戻ってこれただけ儲けもの
だとユーリ自身もあまり気にしたことがない。ただ、暗い暗いどこかの部屋で、金色の頭がひよこ
みたいにぴよぴよ何か言っていたなとぼんやりした断片が頭の隅に残っていた。あれはいったい
誰だったのやら。貴族街はずれの草むらで打ち捨てられた死体のごとくぼろ雑巾で転がっていた
ところをフレンが見つけてくれたそうだし、そのときの記憶かもしれない。今となってはどうだって
いいやと忘れかけていた旅の終わり、不穏な空気を纏った笑みで呼び止められた。晴れて皇帝
陛下となられた元・天然殿下ことヨーデルだ。
「約束を果たしていただきましょうか」
 何のことかさっぱりわからない。話術に長けたユーリがそうやって論点をどこかにポイしてしまう
ことは多々あるが、今回ばかりは本当にわからない。そもそも約束なんぞした覚えがない。そんな
親しい関係になった覚えもない。するとヨーデルはいつぞやの誘拐事件の話を持ち出したのだ。
星喰みやら何やらで立て込んでいたので思い出すのもひと苦労。いやしかし確かにそんなことも
あった。ハンクスやらルブランやら当時はかなりの騒ぎになったらしいので、殿下のお耳にも届く
可能性は無きにしも非ず。だが今更どうしてこの話が出てくるのか。実は、と続いた話はさしもの
ユーリも驚いた。まさか皇帝家に関わるゴタゴタに自分も関わっていたとは。
 それはまだ先帝が存命だった頃。すでに次期皇帝の座を巡って血生臭い争いがあったそうな。
かの人魔戦争の英雄を生んだバンタレイ家も元を辿れば皇帝家に行き着く。が、時代の流れに
伴って一介の有力貴族にまで成り下がった。つまり由緒正しきヒュラッセインの姓を名乗ることが
できるのは満月の子の末裔たる特殊な力を継ぐ者のみ。他は容赦なく放逐されるというわけだ。
そうして絞られた次期皇帝候補。最も有力視されるは遠縁の小娘。もっと皇帝に近く、もっと強い
力を持つ者はいないのか、いないなら作ってしまえばいい。方法は簡単、より濃い血を。やがて
かつて見捨てられた少女がヨーデルの前に現れた。薬を嗅がされているようで焦点の合わない
黒葡萄の双眸がヨーデルを見て首を傾げる。お前にはまだ早いかもしれない、でも今のうちから
仲良くしておいたらいい。この子はお前のいとこで名前は―――。
「エステルといい、そういう才能は血筋なのか」
 皮肉を口にしつつもハァ、と深々とため息を吐く。作家の才があるとしてもこちらのほうは陰謀と
策略が渦巻く血みどろサスペンスが向いているだろう。どちらにせよ貴族が好きではないユーリ
には関係ない話。…ということにして欲しかったのだが、どうやら自慢の演技もヨーデル相手には
まるで通用しないようだ。先帝崩御のゴタゴタに乗じて逃がしてやる代わり、約束したのだという。
いつか再び会えたなら、誰の思惑も関係なく今度こそ本当に互いを好きになって結婚しようとか
なんとか。再会が実現するとは夢にも思わなかったらしいが約束は約束。男に二言はありません
よね?と有無を言わさない笑顔に、男じゃねえとまともな反論はとうとう言い出せないまま。何故
なら。
 そう、覚えている。金色の頭がぴよぴよと泣く。指きりげんまんも知らない年下の男の子。男は
しんどいときこそ笑うもんだ、ほら、笑えよ。
 皇帝陛下の花嫁として出自が怪しいのは普通にまずい、なおかつ身元がバレてもまずい。面倒
くさい。なので、凛々の明星の一員として世界中あちこちを飛び回るお忙しい御妃様の正体はごく
わずかな重臣のみが知る。世継ぎの問題なら心配ご無用、ちゃんと逢瀬の時間もこうして抜かり
なく確保しているのが腹黒陛下の陛下たる所以ですから。





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