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と菊にしては珍しい子供のような感嘆に、少しの驚きと共に顔を向けると日が 落ちて寒さの増した通りにはイルミネーションが点り、雪が舞っていた。コンサート ホールには見学も兼ねて特別早い時間に入れてもらったものだから夜の景色が こんなふうに変わるとは予想だにせず、目を見張り夢中になる菊のあどけない 表情は見慣れた眺めながら思いがけずローデリヒの気を良くした。温かみのある 白熱灯の明かりが照らすクリスマスの飾りはこの通りの先のクリスマス市で 売られているものだろう。記憶によれば、さらにその先に大きなもみの木もあった はずだ。にぎやかな人の波はそちらへと流れてゆき、菊の目も注がれる。行って みますか?と尋ねると途端に弾むようにいいんですか?と聞き返され、その目の 輝きように逆らえる者なんているんだろうかと思ってしまう。この後の予定は タクシーで帰るだけだったが夕食は早めに取ったことだし、屋台で何かつまんで 帰るのもいいかもしれないとローデリヒは頷いた。こちらの地理に明るくない菊の ことを考慮してはぐれないでくださいと混雑の前にして差し出された手を握り、 寒風のせいばかりではないうす赤く染まった頬で進めば屋台の明かりが次第に 近づいてくる。二度目の感嘆をすぐ近くで耳にして、きょろきょろと落ち着きの ない菊は勝手に歩き出したりはしないもののあらゆるものに興味を示す。何しろ 屋台の数は多く、オーナメントひとつとっても種類はさまざまだ。その中でも格別 菊の目を引き足を止めさせたのは絵の入ったガラス玉の飾りだった。吊るされて 売られている色とりどりのそれらは遠く離れ、季節も真逆の風鈴を思わせた。 手に取っていいと愛想のいい店主に勧められ雪の降る町並みの絵のものを こわごわと触れていると気に入りましたか?と聞かれ、はいとてもきれいですね と笑うとじゃあこれをふたつ、とローデリヒは同じ柄を別々に包ませた。そのうち ひとつを菊に持たせて、これはあなたに、こちらはうちのツリーに飾りましょうと 言った。菊は驚いた。大切な人とそろいの物を持つことがこんなにも喜びに 溢れるとは。じんわりと温まる胸で菊はあまりにそれを大事に抱え込んでいた ものだから手を引くローデリヒはもみの木へと向かっているのに、一向にその 緑は見えて来ず、ガラス玉を買った屋台の前を二度、三度通過したところで ようやく違和感に気がついた。 「あの、ローデリヒさん?」 「………」 ローデリヒは答えない。ただまっすぐ前を向き、黙々と歩を進める。が、同じ 屋台の前を四度目に通過したときにはさすがに察しがついて、迷ったんですね と彼の名誉のために小さく小さくつぶやく。応えのようにこの冷えというのに 冷や汗の流れそうな引きつり笑いが垣間見えてそれがなんとも言えずにかわい らしかった。ふふ、と耐えきれず笑みをこぼす菊は大丈夫ですよ、人の流れに 身を任せていればいつか着きますと年長者らしい達観した構えで慌てるそぶりも なく、そうですね、何か食べますか?と落ち着きを取り戻したローデリヒは改めて 屋台を見回す。立ち食いは行儀がいいとは言えないが今日ばかりは特別だ。 丸ごと焼いたじゃがいもに焼き栗、日本の祭りでも見かけるようなりんご飴や チョコバナナなどもあり、どれにしようか迷ってしまう。やがてクリスマスの装いの 建物に並ぶ背の高いもみの木も見えてきた。三度目の菊の感嘆を隣で聞き、 ローデリヒはお待ちなさいとそこに菊を留めてそばの屋台の主へ話しかけ、 すぐに戻ってきたその手にはふたつマグカップが握られている。湯気の立つ 赤い液体からわずかにアルコールのにおいがした。グリューヴァインです、と 渡されたホットワインに口をつけると体の内から温まるようだった。店ごとに 入れるスパイスが違うというそれからはシナモンなどの風味がした。持って 帰っていいというカップもいい記念になりそうだった。手を伸ばせば届く距離で イルミネーションの点るもみの木を見上げ、屋台や町の明かりや一層冴え冴え と輝く冬の星空、天使の羽根のように降りてくる雪を眺めているうちについて 出た息は二人分白く濁った。 「ヴィーナーアドベントツァウバー、ウィーンの待降節の魔法というんです。この クリスマス市は」 絵画のように美しい光景の中で、静かに大切な人と過ごすクリスマスの喜びを 受け止める人々、温かいワインにそれぞれ持つ同じガラスの飾り、そして自分と ローデリヒ。本当に魔法みたいですね、宝物を壊さないようそっとつぶやかれた 菊の声こそローデリヒには夢のように思えたが、現実につなぎとめるぬくもりを 離さないよう握り返された手に少しだけ力を込め、身を寄せ合った。 |