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俺はお前の誕生日だから仕方なくだな、といつもの前置きと共にアーサーから 渡されたのは淡い薄紫の綺麗な包み紙に覆われた小さな箱で、開けてみろと 急かされた菊が慎重に包装を解いてみると、赤いベルベット敷きの中に光沢の ある漆黒の美しい万年筆が鎮座していた。お前のことだからどうせ実用的な物の ほうがいいんだろ、とつっけんどんな物言いにも隠し切れない感情を菊はきちんと 汲み取って喜びに目を細める。このプレゼントには一本一本丁寧に棘を抜かれた 赤の鮮やかな薔薇の花束も付属していて、もちろんどちらも嬉しかった。香りが さほど強くないものを菊の好みに合わせて選んできたのだろう薔薇は床の間に 飾っても嫌味ではなかったし、いかにも高級そうな万年筆には菊の花の模様が さりげなくあしらわれて彼がこの日のために特別に作らせたことがしのばれる。 菊は身に余るほどの深い思いに強く心を打たれて感謝を述べかけたが、それは アーサー自身に遮られ、礼なら言葉ではなく行動で示してくれとまだ日の高い うちから早速仕掛けようとした。これは流されてしまいそうだ、と顔を赤らめつつ 菊が対処に窮した途端、計ったように続々と誕生日を祝う各国が押しかけてきて せっかくの恋人らしい時間はお預けとなった。来客はいずれもすぐに帰りそうな 気配がなく、せいぜい台所を何人かに占拠され暇を持て余していた菊を物陰に 引きずり込み、人目を忍んで軽くキスをしたぐらいで結局それ以上のことは踏み 込めないままスケジュールに追われて心ならずも帰国することになってしまった。 二人きりの逢瀬という希望を砕かれて悪態を吐きつつ去っていったアーサーには 申し訳ないが、それでも菊にとってはにぎやかで楽しい誕生日だったのが電話 越しの声から伝わってきてアーサーの不満も少しは紛れるというものだ。これきり 会えなくなってしまうわけでもないのだからまあいいか、と次の予定をすぐさま 組み込んでしまえば立ち直るのもあっという間だ。それからひと月経ってようやく 再会を果たすと、恋人としての時間より何より菊があのときの包み紙を皺ひとつ つけず大切に取っていたことに驚いた。プレゼントを渡したときの照れが今頃に なって襲ってきて、バカ、早く捨てろそんなもんと顔を赤く染めてそっぽを向いても だってアーサーさんが贈ってくださったものですよ?もったいないじゃないですか と菊はその表面を愛おしそうに撫でる。確かに日本人は物持ちがいいと聞いて いたし、実際菊も百貨店の包装紙やら紙袋やらを何かに使うかもしれませんしと やたら取って置くタイプの人間だった。その行為自体は別に咎め立てする必要も ないと思うが、自分が贈り物に使ったものをほかの目的やほかの誰かのために 再利用されてはたまらないと執着と独占欲を剥き出しに訴えかければ、そんな つもりはありませんでしたけれど、それもそうですねと菊は納得したようだった。 そしてじゃあこうしてしまいましょうかと菊は何をしようとしているのか、爪楊枝と 輪ゴムを持ってくる。それらを横に置き、正方形であった包み紙を菊は入念に 何度も何度も折り込んでアーサーの目の前で何かを作り始めた。その完成形は 想像しようもない。元々器用でないから紙で作れるものといえば飛行機ぐらいで、 あとは折り方すら知らない。何やら妙に楽しそうな横顔に見惚れる短い時間、 見る見るうちに形を成した原型の中心に輪ゴムで留めた二本の爪楊枝を刺し、 ぐるりとねじるとあの薄紫の包み紙は見事な紙の薔薇になっていた。どうです? と少しばかり得意げに菊は笑った。アーサーはすごいな、とひたすら感心して しばし眺め、これもらっていいか?と尋ねればええと菊は笑んで頷く。帰り際、 形を崩さないようにやはり無駄に余っていた空き箱をもらい、ほら、やっぱり役に 立つこともあるでしょう?と誇らしそうな笑顔で見送られてアーサーは紙の薔薇を 母国まで大事に持ち帰った。金と手間をかけて奇をてらったプレゼントをしたのは 自分のほうであるのに、たかだか折り紙ひとつにもっと素晴らしいものをもらった ような嬉しさがある。きっと菊は今の自分と同じように包み紙を通して遠くにいる 相手に思いを馳せていたんだろうとアーサーはその姿を思い浮かべる。まるで 心の一部を受け取ったように胸が不思議に温かく幸せな気持ちになった。以来、 あからさまに飾るわけにもいかない彼の写真の代わりに紙の薔薇はアーサーの 執務机の上に常に飾られて、事あるごとにその疲れを癒している。 |