元は画家であったフランシスが刺青師へと転向したのは、のちに彼の師匠と
なった男の見事な作品を背負う女と夜を共にしたことがきっかけだった。素地が
良かったのもあるだろう、すぐに師匠の技を吸収し、徐々にそれ以上に高めて
いったフランシスの評価は当初から高く、藍よりも青しとはまさにこのことだった。
そしてその芸術にかける心は、仕事ばかりに注がれるものではない。恋多き男
でもあったフランシスは必ず恋人の体のどこかに自分の手で墨を入れた。小さく
目立たないそれはささやかな所有欲を満たす一生消えないキスマークの代わり
であった。しばらくはその刺青が愛おしく恋人を愛したがいつも長くは持たずに
別れを迎えた。楽天家のフランシスはひとつの別れを新しい恋へのステップと
しか受け取らない、恋愛を夏に買っては冬には捨てるように無為に消費して
いった。あるときフランシスはまた新しい出会いを果たした。小柄な東洋人で、
名は菊といった。同じ男ではあったが元来性別にはこだわらない。穏やかで
優しく、名の通り簡単に手折ってしまえるやわな男かと思えば意外なところに
芯を持っている。オニキスの瞳が青く抜ける空や緑のざわめく木々、薔薇の
燃えるような赤を見るとその色をかすかに映すのが美しかった。やがて彼らは
関係を持ち、フランシスは無駄な肉のない滑らかな肌にあっという間に夢中に
なった。白さにかけては欧米人に比べるべくもないが、染みひとつほくろひとつ
ないきめ細やかな肌を持った背は理想的なキャンバスだった。フランシスは
今までどおりの小さな刺青でなく、その背一面に自分の芸術を施したくなって
しまった。しかし菊の生まれた国では刑として刺青が存在していた背景もあって
今でもイメージは良くない。ましてや背中一面になど、その筋の連中と思われる
のがオチだ。何ら関係ないただの一般人である菊にそれは重荷でしかない。
見返りはせいぜいフランシスの愛をほんの一時期一身に受けられることだけだ。
けれど菊はフランシスを深く愛していたので迷いもせず頷いてしまった。そうして
フランシスは菊に相応しい図案のために思慮に暮れることになった。朝も昼も
夜も仕事中でさえも、片時も菊のことを考えない日はない。仕事のためたまに
しか会えない菊との時間はとても貴重なもので図案のヒントにとこれまで以上に
菊を注視し、一挙手一投足も見逃さず何気なく発する言葉ひとつにも注意深く
耳を傾けた。思いはますます深まって付き合った期間はどの恋人より長いものと
なった。その頃になるとフランシスは仕事どころではなくなっていた。菊のことが
気がかりで他のことがまったく手につかない。無数のデッサンを描いては破り
捨て描いては破り捨て、部屋は紙くずに埋もれ食事も睡眠もままならないらしく
頬はすっかり痩せこけた。菊は己のせいでフランシスがこうなってしまったのだと
思いつめ、自分から別れを告げることにした。どうせフランシスのことだ、離れて
さえしまえばいつかはこの想いも忘れてまた新しい恋を見つけるに違いないと
思ったのだ。最後に抱き合った夜、フランシスはその背にくちづけ肌を強く吸い
付けた。たちまち淡く赤く染まり、できた痣のようなキスマークにひどく満足した。
白い背に一点咲いた赤い花。フランシスは思った、ああ、これだけで良かった
のだ。数日でこんなものは儚く消えてしまうだろう。そうしたらまたつければいい。
稀代の刺青師や芸術家としてでなく、恋人としてフランシスが描くただひとつの
所有の印。それこそが彼の求めていたものだった、そのことにフランシスはやっと
気づいたのだ。





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