秋もいよいよ終わりを迎え、ひんやりとした空気は降り続く雨のせいでますます
冷たさを増していた。障子越しに差し込む陽光は青みを帯びてひどく頼りなく、
一刻と待たずに完全に日は暮れてしまいそうだった。明かりをともしていない
室内はすでに暗かったがその暗さも肌寒さも、地面を打つ騒がしい雨音さえも
ヘッドフォンをしたローデリヒの知るところではなかった。音楽に集中している
あいだオーケストラのほかに彼の世界には何も存在しないからだ。しかし例外も
あった。不意にすっとふすまが開き、そこから家主が静かな足取りで畳を踏み
しめてやってきた瞬間、ローデリヒはそこが五線譜で形作られた別世界ではない
ことを思い出し、慣れた独特の気配を敏く肌に感じ取ることができた。けれど、
どうしても今聞いてしまいたい曲が最後の楽章に差し掛かっている。一瞬だけ
悩んだ挙句、結局ローデリヒは音楽を選び、茶の用意をする菊に一瞥もくれて
やることなく何もない虚空をじっと目つめていた。こういうことはよくある。菊も
心得たもので口を挟もうとはせずに黙して茶を淹れていた。だがローデリヒの
そばに湯のみを置き、そのまま立ち去るのかと思われた菊は両膝をついたまま
移動する気配を見せない。やはり気になって視線をやろうとした矢先、菊は何か
言った。くちびるを読むべきだったのか内容まではわからない。首を傾げようと
したそのとき、菊が手を伸ばしてきた。両手で眼鏡の両つるをそれぞれつまんで
奪われ、視界が一気にぼやけたものに変化した。菊の顔すら判然としない。
…はずが、よく見えた。気がついたときには距離が近すぎて粘膜同士の接触は
終わっていた。菊はしたり顔でまた何事かを言ったが音の洪水の前には何も
伝わらず、満足そうな笑みを残してその場を去っていった。一体なんだったん
ですかね、とローデリヒはつぶやいてらしくない菊の行動に笑みつつも、まあ
いいでしょうと弾んだ気分で曲のクライマックスを楽しんだ。





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