※ミスターマーメイドパロ


 波と風が喧嘩して暴れだしたような嵐の夜はこちら側の世界の海にあちら側の
世界の色々なものが流れ着く。ほとんどはゴミや木や船の破片だが、その日
菊が見つけたものは上半身は同じような姿形をしながら下半身には物珍しい
二本の足を持つあちら側の生き物、つまり人間だった。鮮やかな金髪が波に
従ってゆらめき、透き通った水を突き抜ける月光をきらきらと反射する。金髪は
人魚にだっている。けれど、菊にはないものだ。ましてや人間。まるで未知の
存在だ。気を失っていて、その目は閉ざされている。瞳の色は一体どんな色を
しているのだろう。
「放っておけ、菊」
 菊の友人であるルートヴィッヒは言う。こちら側に流れ着く人間は大抵が死体
だった。この人、気を失って水を飲んでいないようですよと菊は応える。すっかり
冷え切った、しかし確かに生きている人間。沈んでいく体を抱き、菊は岸まで
運んできますとルートヴィッヒの止める言葉も聞かずにヒレを翻した。好奇心が
強く、情に厚すぎ、こうと決めたことは頑として譲らないのは菊の悪いところだ。
ルートヴィッヒは見送るしかなかった。満月の夜、人魚の世界と人間の世界は
繋がる。菊は真円を描く月を目指して泳いだ。

 二ヶ月後、魔法使いに声と引き換えに足をもらい、菊は人間の世界にいた。
あの人間を送り届けた砂浜のある港町だ。ルートヴィッヒの危惧通り、どうしても
彼の瞳の色が見たいという欲求を抑えられなかったのだ。だが、ごった返す人の
流れに途端に後悔した。これほど人間が多いとは思いもしなかった。こちらに
来ればどうにかなると軽い気持ちで来てしまったが、これでは見つけられそうも
ない。行き交う人々に、話に伝え聞く車という乗り物、満月の目映い明かりさえ
人工の明かりには敵いそうもない。どうしよう、とガードレールにもたれて立ち
尽くす。もらった足はひどく痛んで、ろくに歩けもしない。人に尋ねようにも声は
出ないし、そもそもあの男の名前を菊は知らない。絶望的だ。もう諦めて帰ろう、
月の出ているうちに、と町に背を向けようとしたときだ。忘れがたいあの金色が
道路の向こう側を歩いていくのだ。煙草を手に、どこかに向かって。ああ、あの
人間だ、と思ったその瞬間に彼は偶然道路の向こうを見た。そして菊と目が
合った。緑色。あの伏せられていたまぶたの下にはこんなきれいな瞳が隠れて
いたのか。気がついたときには菊は道路に踏み出していた。痛む足のことも
忘れていた。すぐによたついて転び、迫ってきた車は急ブレーキを踏んで長い
クラクションを鳴らす。死にたいのか!と怒鳴る運転手にぺこりと頭を下げている
と彼は優しいことに助け起こしてくれた。俺に用があるのか?と聞かれても用は
済んでしまったし、第一声は出ない。すると苛々とした様子で彼は気をつけろと
忠告だけして立ち去ってしまった。菊は人の波を呆然と見つめる。あの緑色は
きれいなくせにとても曇っていた。せっかく助けた命、それが悲しかった。

 経営する喫茶店は夕方には閉める。そのあとは紅茶以外は門外漢であるため
いつもアーサーは知り合いの店に明日の茶菓子を買いに出かける。その途中、
海沿いの道で理由もなく海に目をやってアーサーはふと足を止めた。気まずい
ことに誰かと目が合ったのだが、自然な素振りで普通に逸らせばいいのに何故
だか知らないが逸らせない。特に特徴のあるような容姿ではない、顔の造作は
整ってはいたが彼より美しい人間はゴマンといるはずだ。それなのにどうして
視線を逸らせないのか、アーサー自身わからない。その彼はこっちの道に用が
あるらしい、慌てて道路に飛び出して足がもつれたのか車道の真ん中でこけて
車と運転手が騒音を出している。うるさくてかなわないが、目が合ってしまった
のもあって仕方なく助け起こすことにした。俺に用があったのか?と聞けば彼は
何か言いたげにするものの何も言わない。はっきりしないやつは苛々する。いい
加減面倒になって気をつけろよとだけ言って別れてすぐ、知り合いの連中に声を
かけられた。
「ようアーサー、なんだ、退院してたのか」
「まあな」
 アーサーは最小限の会話で済ませ、一層足早に立ち去る。
「あれ?あいつ入院なんかしてたの?」
「海で溺れて砂浜に打ち上げられてたんだとさ」
「へえ、でもなんでまた?」
「事故だってことになってるけど、本当は自殺じゃないかって、噂」
 真実だからこそ聞きたくない言葉に耳を塞ぐようにアーサーはその場から逃げ
出した。


続くのかもしれない





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