※スワロウテイルパロ


 何でも屋のアーサーに頼んでいたという本がようやく届いて菊はこの日とても
機嫌がいいみたいだった。窓を開け放ち、掃除も徹底的にやって、たまっていた
シーツも全部洗濯して、本のおまけだという焼き菓子と紅茶を片手に長い時間、
菊は見慣れぬ分厚い本をめくっていた。俺はそのあいだ古いレコードを聞いて
いる。何と歌っているのかはわからないけれど菊を見ているのにちょうどいい
からだ。ふと菊の手がとあるページで止まって、よし、これがいいですね、と
言った。
「フェリシアーノ」
 何のことだか全然わからないけど外国語だ、と俺は思った。俺の母は外国から
お金を稼ぎにやって来たらしいけど俺自身はこの町で生まれ育ったから外国の
ことや外国語はちっともわからない。でも菊はにこにこ笑っている。きっと、とても
素敵な意味を持つ言葉なのだろう。
「それってどういう意味なの?」
「幸せという意味ですよ」
 やっぱり、素敵な意味だった。まるで、母親に名前もつけられないまま人から
人へ、いらない物みたいに次々と渡されて、悲しくても嬉しくても、もうどうだって
いいやって思うようになってた俺を、ようやく幸せな気持ちにさせてくれる人に
たどり着いた今の俺みたいな、そんな。
「それがどうしたの菊?」
「今日から、それがあなたの名前ですよフェリシアーノ」
フェリシアーノ、今からそれが、俺の名前。幸せという意味の。嬉しい、どうして
菊はこんなに俺を幸せにしてくれるの。でもね、名前より欲しいものがあるんだ
けど菊はそれを叶えてくれる?


 何でも屋では名前の通り何でも売っている。あるじのアーサーが趣味で栽培
している薔薇だって欲しいと言えばきれいな花束にして売ってくれる。もっとも、
俺の家にはいつだってタダでやって来るんだけど。菊のことが好きなアーサーが
なんだかんだ言いながら毎回持ってくるから。何でも屋でバイトしてる合間に俺の
描いた絵もぽつぽつ売れている。菊はあなたには才能があるんですよと褒めて
くれる。俺はそのお金でまた画材を買って、もっといい絵を描いて、もっと高い
金で売って、そうやって小遣いを増やしていつかは。今はまだ、言えないけど。
菊は寝具を整えて俺を呼んだ。
「フェリシアーノ、今日は客が来るからお隣に」
 わかった、と俺は頷く。菊は死んだ俺の母と同じ商売をやっている。売り物は
肉体そのもの。安アパートの隣の部屋には何かと面倒を見てくれるルートヴィッヒ
という元軍人が住んでいる。どこをどう流れてこの町に着いたのか聞かないのは
この町の住人の暗黙のルール。だから俺は聞かないし、向こうも聞いてこない。
それに、ルーイはいいやつなんだ。こうして菊が客を取っているあいだ俺の話し
相手になってくれるし。
『…ひ、あッ………あ、アアッ…』
 薄い壁から漏れ出る声に耳を塞ぐ俺のために、黙ってラジオの音量を上げて
くれるんだ。





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