傷ついた体での長旅は正直堪えたが自分はまだいい方だった。許可を受け
訪ねたアルフレッドの家でルートヴィッヒはおざなりに出された薄いコーヒーを
口にしつつ、ここで手当てを受けている、いまだベッドから起き上がれもしないと
いう菊のことを考える。銃創や火傷はひどく、生きているのが不思議なほどだと
アルフレッドから聞いていた。その痛みがまるで己のものかのように胸の内で
暴れまわる。その上、手当てしているのはその傷を負わせた張本人だというこの
現状に神経をすり減らしていないとは思いがたい。すでに瀕死の重傷だった菊に
決定打を加えたあの二発の爆弾、アルフレッドはあれで戦争を終わらせることが
できたと満足しているし、すべては菊を悪の道から救うためだったのだと信じて
疑わない。自分だったらとても耐えられない、とは思うが不思議なことにそんな
アルフレッドのやり方を菊は次第に受け入れつつあるらしい。コーヒーが半分
ほどなくなった頃、ルートヴィッヒと面会するかどうか菊本人に尋ねに行っていた
アルフレッドが戻ってきた。最初こそ合わせる顔がないとかどうとか言っていた
ようだが、どうしても会いたくて傷をおしてやってきた旨を伝えるとやがて静かに
頷いたという。そうして通された寝室で、菊はクッションを支えに上体を起こして
待っていた。レース越しに柔らかな陽射しが入る、明るい清潔感のある部屋
だった。ルートヴィッヒは促されるままに傍らの椅子に座る。
「よくいらっしゃってくださいました。ありがとうございます、ルートヴィッヒさん。
お体はもうよろしいので?」
 着物に隠れていない部分のほとんどを包帯の白に覆い尽くされた菊は生気の
失せた青白さで、それでも嬉しそうに笑みを浮かべるものだからルートヴィッヒの
胸は鋭く痛んだ。
「ああ、まあな。寝てなくていいのか?」
 食も細いと聞いている。細い左手につながるいくつもの点滴は絶えず栄養や
薬液をその体内に送り込んでいた。
「ええ、そろそろリハビリもしなくてはなりませんから。それよりこのような格好で
申し訳ありません」
 よくよく見ればいつもの着物ではなく彼の国では寝巻きらしい別の着物を
まとっていたがそれが失礼にあたるとはこちらの考えにはない。そもそも病床と
知っていながら訪ねたのは自分のほうだ。
「いや、気にしていないから無理はするな」
「お気遣いありがとうございます」
 菊は深々と頭を下げ、また笑った。それが妙に気に障り、理性が衝動に耐え
切れずルートヴィッヒは菊の胸倉を掴み上げ、声を荒げた。
「お前は、どうしてそんなふうに笑えるんだ。あんな仕打ちをされて…憎くはない
のか?」
 長い沈黙があった。そのあいだ菊の視線は一度縋るようにルートヴィッヒの
ほうを向いたきりずっと床に落とされたままだった。
「いいえ、憎いです。許すことなどできない。しかし私もまた同じようにたくさんの
人を傷つけた。私も許されることなどありえない、でも」
 胸倉を解放し「でも?」と鸚鵡返しに聞くと菊は今まで見たことのないような強い
まなざしでルートヴィッヒを射抜いた。その瞳は彼と同盟を組んだときのことを
思い起こさせるような強さだ。
「でも、戦争は終わったのです。これからのことを思えば頭が痛いですが、それ
でも戦争は終わった。だから私は笑えるのですよ」
 菊の内包する強さにルートヴィッヒは圧倒されて沈黙した。すると力を使い
果たしたかのようにふらりと体勢を崩したのでルートヴィッヒは咄嗟に菊を支え、
再びベッドに横にならせた。疲れさせてしまったのだろう、ルートヴィッヒは申し訳
ない気持ちでいっぱいですぐに立ち去ることにした。その背中に菊の声が届く。
あなたに会えて嬉しかった、よろしかったらまた来てくださいね。
「もちろんだ」
 春の陽射しのような微笑みに、ルートヴィッヒは一も二もなく頷いた。今度は
何か甘いものでも持ってくるよと言えば、楽しみにしていますと返事が明るい
返事がかえってきた。彼の好みそうな焼き菓子を探さなければ。帰国したら
真っ先にすることができたルートヴィッヒは足早に床を踏みしめて歩きだす。





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