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料理に関してはまるで才能のかけらも感じられないアーサーではあったが、 園芸となると話は別だ。特に薔薇に関しては彼の庭には特別な雨が降るのかと 夢想してしまうほどに色とりどりのさまざまな種類の薔薇が咲き誇り、それは 見事であった。菊もたびたびその花束を受け取り、さらに株分けしてもらったことも あるけれどここまでうまくは咲かない。お前は自然に任せるままだからいけない、 必要のない芽や蕾は取り除かないとと口酸っぱく言われたものだが、活けるわけ でもないならと結局はそのままだ。それなりに美しくはあるが、やはりアーサーの 薔薇には劣ってしまう。だからまた株分けしてやると言われて菊は少しばかり 後ろめたささえ感じて、どれでも好きなものを選ぶといいとどこか嬉しそうに広い 薔薇園を歩むアーサーの後ろを黙ってついていく。しばらくはその薔薇の性質や 謂れなどの説明を聞き相槌を打っていたが、ふとある薔薇の前で足を止めて 気まぐれに枝に手を伸ばした。血のように真っ赤な薔薇だった。手を出した 途端に鋭く尖った棘が菊の指に傷をつけた。痛っと声をあげて引っ込めた指を 反射的に口元に運ぼうとしたところ、アーサーはバカ!見せてみろと言いながら 真っ先に菊の手を取った。指先に小さな赤い血の粒ができていて、見る見る うちに細い筋となって落ちた。だが傷そのものはたいしたことはない。それを アーサーは口に持っていき舌を出して舐め上げ、屋敷で手当てしようと踵を 返そうとする。一瞬の出来事に呆気に取られ、はっと気づいてその行動を正しく 認識したとき、菊だけでなくアーサーも顔を真っ赤に染めていた。これは特に 意味なんかなくて、あの、つい、なんとなくだと苦しい弁解をするアーサーに わかってます、わかってますからと慌てて返事をしつつ、確かに治療が必要だと 思った。指でなく、何か熱さましのようなものが。そうして品定めはうやむやの うちに終わり、菊は件の真っ赤な薔薇を株分けしてもらうことになった。薔薇は 棘があるから気をつけろよと当たり前のことを重ねて言い置かれて、菊は先ほど 不用意に触れようとした理由を理解した。アーサーから贈られる薔薇はいつも ひとつ残らず棘が落とされていたのだった。ささやかな気遣いが菊にはとても 嬉しかった。しかし、その血のように真っ赤なはずの薔薇はどうしたことか翌年 雪のように真っ白な花をつけたのだ。不思議なこともあるものだとアーサー自身 驚いていた。次に開くのを待つ蕾もどれも真っ白だ。土壌や雨の質で変わる花 でもないだろうに、原因が二人にはまったくわからなかった。アーサーは慰める ようにでもお前んとこの桜も本当は白い花だって言うよなとさまざまな物語で 表される桜は埋められた屍体の養分や血を吸って薄紅に染まっているという 物騒な話を冗談めかして言った。そのまた翌年も白い花が咲いたら改めてあの 赤い薔薇を株分けするということでこの件は一旦落着した。それから季節が 過ぎ、春を迎えたばかりの庭の一角で、葉も落ちた茨の枝が寂しくたたずんで いた。視点を移すと桜は見頃だが、薔薇のシーズンはまだまだ先だ。そのとき 別のことを考えながら料理をしていたせいで慣れている包丁の手元が狂い、 菊は指に傷をつけてしまった。あの時とは違い、赤い線のような傷から筋を作る。 アーサーの言葉を思い出す。本当は白いはずの桜が薄紅に染まるその仕組み。 いつのまにか菊の足は庭に向かっていた。あの白い薔薇の根元に指をかざすと 一雫、二雫と血が滴り落ちる。浅い傷はそれきりふさがってしまい、何を馬鹿な ことをと我に返ってまた調理の続きへと戻っていった。不思議なことは重なる もので、その年に花をつけた薔薇はいつぞやアーサーの庭で見た血のような 真っ赤な色に染まっていたのだ。どんな魔法を使ったんだ?と目を輝かせる アーサーにさて、きっと薔薇も恋をしたんでしょうとあいまいに菊は笑った。 |