※その時ハートは盗まれたのおまけ漫画パロ




 私は物心ついた頃から肉親というものを知りませんでした。里親から里親へ
次々にたらい回しにされ、労働と引き換えにようやくその日の食事にありつける
日々をただ無為に送っていました。成長するにしたがって私の発する声の中から
「No,sir」という言葉が消えたのはごく自然なことでした。里親の手を離れてとある
貴族のお屋敷で召使をすることになったときもそうです。私にはそうして生きる
しか術がありませんでしたから。時は流れて私は坊ちゃん付きの召使という
役目を負いました。年頃は同じか、私のほうが少し上でしょうか。思い起こせば
概ね幸せな日々だったと言えます。でもそれも終わってしまいました。坊ちゃんの
お客様にお茶をお出しして、とメイド長さんに言われて向かわされた先が応接間
ではなくゲストルームであるときの足取りの重いこと。ドアを開けると坊ちゃんも
お客様もおりません。おられるのは大抵さらに奥の寝室です。そこは陽射しを
仕切られて昼でも夜のような闇に覆われています。坊ちゃんの顔でさえ、寝室の
中では表情を窺えません。お客様は大抵複数でいらっしゃいます。くすくすと笑い
声と共に上玉じゃないか、本当にいいのか?お前のお手つきなんだろ?などと
聞こえてきます。そんなとき、坊ちゃんはバーカ、召使に手出すなんてそんな
悪趣味な真似はしねーよと吐き捨てるのです。お客様は自嘲気味に笑いあう
ばかりでそれほど痛手は受けておられないようでした。無造作に足を組んで
座ってらっしゃる坊ちゃんはいつも苛々した様子で私に命じます。脱げと簡潔に。
私にNOの言葉はありません。その代わり身動きを取れないでいると無理やり
脱がされるのがいいのか?と呆れたような物言いでおっしゃいます。そうじゃ
ない、そうじゃないんですとは申せません。何度こなしても震える指先がボタンを
外すのを妨げます。それから先は思い出したくもありません。坊ちゃんはいつも
決してこちらを見ようとはしません。けれど同じ部屋ではじめから終わりまでを
椅子に座ったまま無言で聞いておられます。いくら懸命に視線を注いでもその
表情はやはり窺えませんでした。お客様が帰られるとやっと坊ちゃんが口を
開きました。よくそんな真似ができるな。見えない鋭利な刃物を備えた言葉は
私の空洞になりかけた胸を一層抉っていきます。私には坊ちゃんの仕込みが
いいですからと答えるのが精一杯です。お前は俺の命令なら何でも聞くのかと
激しい剣幕で詰め寄られても私は…使用人ですからと答えるしかありません。
使用人ってのは金のためなら体も心も魂も売り渡してしまうのかと坊ちゃんは
怒って部屋を出て行ってしまいました。坊ちゃんのお怒りはもっともです。私は
汚い人間です。生きるためならばそれでも構わないのです。けれど何より、
坊ちゃんが昔、私に与えてくださった優しさを今も未練がましく思っているため
です。自分の名さえ書けなかった私に、そばに物知らずがいると俺が不愉快
なんだよと不器用におっしゃって私の先生になってくださった坊ちゃんのことを、
私は今でも。まもなく私は別のお屋敷に行くことになりました。私の兄だという
人が生まれてすぐ行方知れずになった私を探しに来られたのです。生まれつき
体にあった痣でそれが確認できたそうです。離れていく馬車から坊ちゃんの
部屋を見上げると窓際の人陰が奥に消えていくのが見えました。これからの
生活は何も心配はないあると兄は言いました。必ず我が幸せにしてやるあると。
では私は不幸だったのでしょうか。指先から緩やかに貪られていくような絶望の
日々は確かに終わりました。しかし私のもう片方の指は、腕ごともぎ取られて
しまったような気がしてなりません。どうしたある?もっと喜んでもいいあるよ菊と
名前を呼ばわれて、私は「Yes,sir」と答えました。





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