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※初期の習作サルベージ 周りを白ばかりに囲まれ、飽き飽きした頃にその鮮烈な赤は飛び込んできた。 「ほらよ」 ぶっきらぼうな口調で押し付けられた赤い薔薇の花束は見事で、薬品の臭いに 溢れていた病室は一変して世界を塗り替えた。来てくださったんですねロヴィーノ くん、とその名を嬉しそうに呼べばロヴィーノは途端に居心地悪そうに視線を 外し、日本人への見舞いの花なんて何がいいのかわかんなかったから、それで いいだろちくしょーがと言い訳じみた物言いをして菊が受け取るのをしばし待って いたがすみません、手が動かせないんですと申し訳なさそうに告げられたのに 驚いて反射的に菊の手を見た。よく見れば手だけでなく、弟が好きだと言って いたバター色の肌はどこもかしこも包帯に覆われていて、弟が好きだと言って いた黒曜石の瞳も片方は包帯で隠されている。その弟だって自分だって傷は 決して浅くなかったけれどこれほどまでにひどくはなかった。 「花瓶は?」 思わず表情を歪めたロヴィーノは渡すのを諦めて、部屋をぐるりと見渡した。 ベッドの横に飾り気のない台がひとつあるだけで他には何もない。おまけに 嫌なものを見つけてしまった。窓には格子があったのだ。ここに入るときもドア には外から鍵がかかっていて、武装した見張りが立っていた。逃げ出すことは おろか、おそらくは立ち上がることすらできない相手にご苦労なことだった。その 台の下の棚に、と菊に言われて中を見ると確かに花瓶と言えなくもない粗末な ガラス瓶が置いてあった。待ってろ、と言い残してロヴィーノは一旦部屋から 出て、花瓶に水を入れ適当に花を飾るとすぐに戻ってきた。 「これでちったあマシになるぜ」 生け花だのフラワーアートだのそういう心得はなかったが、まずまずの出来に 満足しながらベッド横の台に置いた。菊は目線だけよこしてええ、とてもきれいで いい香りがしますと目を輝かせて笑った。そして優しいんですね、ロヴィーノくんは と以前と変わらずどこか子供を褒めるような言い方で目を細めるものだから、痛む 胸に一瞬で喜びは消え、いたたまれない気持ちになった。 「あいつが、フェリシアーノが、頼むって言うから…」 ロヴィーノは祖国で不自由な身に置かれている弟のことを思い、他のかつて 仲間だった国々を思い浮かべた。彼らはそれぞれ自国で治療を受けながら拘束 されていて、今はまだ国外に一歩出ることも許されない。ロヴィーノがこうして アルフレッドの元にいる菊に会いにこれたのはひとえに己が連合国に寝返った からだった。 「…アンタ、俺を責めないのな」 「責めませんよ。他のみなさんもきっとそうです」 菊は即答するがロヴィーノは到底信じられなくてどうだか、と自嘲めいた笑みを 見せた。他の国にはまだ会ったことがなかった。どうせ裏切り者と詰られるのが オチだろう。弟ともいまだにうまく話せなくて、関係はギクシャクしたままだ。菊の 顔は穏やかで、大丈夫ですよと微笑む姿には聞き及んだあの壮絶な戦いぶりは どこへやら、その気配のかけらさえそこにはない。きっと仲直りできます。菊の 声は妙に自信たっぷりだ。そうだといい。でもそうじゃなかったら。そう思うと胸の 奥で何かがくしゃっと鷲掴みにされたようになる。 「ああ、今この体が自由に動いたら、あなたを抱きしめてあげたいな」 唐突な、想像だにしなかった言葉に、ロヴィーノは再び驚いた。菊という男は とても恥ずかしがり屋で、最初はハグするだけで固まってたと弟に聞いていた からだ。だから弟と菊のような親しい接触は自分たちのあいだにあるはずもない と思っていた。 「だってロヴィーノくん、今泣きそうな顔してましたよ」 そんな顔をしていたのだろうか。自覚のないことへの指摘はやけに素直に耳に 入ってきた。強がる暇もあったもんじゃない。まったくあなたがたは似たもの兄弟 ですね、優しくて甘えん坊で寂しがり屋で。そんなふうに思ったこともなかった。 昔から自分は弟との違いばかりを意識してきたというのに。菊の言うことはどれも にわかには信じがたいことながら、反面、毒のようにあとを引く甘さを持っている。 「さあ早く帰ってあなたの弟を安心させてあげてください。今頃心細くて泣いて いるかもしれませんから。今日はお見舞いありがとうございました」 そうして追い立てられるように帰りを急かされロヴィーノは来たばかりの道を 引き返していった。弟に菊の様子を見に行くよう頼まれ、専門的なことは何一つ わからないから文字通り見てきただけなのだがこれではおつかいに失敗した 子供のようだとロヴィーノは故郷の地を踏むのを躊躇した。しかし出迎えに来た フェリシアーノの泣きべそを見て、ようやく理解した。俺が真に責められるべき だったのはこの弟で、それを何より恐れていたんだ。ごめんな、とそのまっすぐな 目を直視できずに目線を逸らしながら口にすると俺のほうこそごめんねえええと 大袈裟な大泣きが返ってきて、何も謝ることはなかったのに、謝らなければ いけなかったのは俺なのに、そう言うことも難しくて、代わりになんだか幼い頃の ことを思い出してロヴィーノは抱きついてきたその背をゆるく叩いてやった。 半月ほど経って菊はようやく体を起こせるようになった。本も読めるようになって 退屈な日々はいくらかマシになった。国民は生活に困窮しているし、やらなくては ならないことが山積みでそれを思えば頭が痛いが動けるようにならなければ何の 役にも立てない。くちびるを噛んでもろもろの痛みをこらえるとそのとき、来客の 予定はなかったというのにノックの音がしてどうぞと応える。一瞬アルフレッドかと 思ったが、彼ならノックもせずに入ってくるのが常だった。現れたのはいつかの 迷子のような翳った表情ではないロヴィーノで、菊は笑顔で迎える。よお、と手を 上げつつもそっぽを向く照れ屋ぶりは相変わらず微笑ましい。 「弟にアンタの真名聞いてそれ持ってこようと思ったんだけどブツダン?に飾る 花だって怒られちまって、こんなもんしか用意できなかったんだけど、いいか? いいよな?」 その手に握られた愛らしいデイジーの花束を見て、とてもきれいですね。私の ために選んでくださったんですか、ありがとうございますと菊は花がほころぶ ような表情で喜び、ロヴィーノの赤く染まった頬を彼の名誉のために見なかった ことにした。 |