菊の家は古いと話には聞いていたが、初めてそこを訪れてアーサーは驚いた。
噂どおりすべては木や紙や草で出来ていてロンドンの邸宅に比べて粗末すぎる
とは思ったがよく磨かれ黒光りする柱などは趣があってこれはこれでいいもの
だと感慨深く触れてみたりした。純和風の庭は季節の花が咲いて、西洋の草花
とはまた違った印象が新鮮でもっと長い時間眺めていたかったほどだ。今日から
数日間、親睦を深めるという名目ながら居心地よく過ごせそうだと思う。ただ、
座敷に通され早速茶などをいただいているときに強く風が吹くと障子はうるさい
ぐらいにガタガタと揺れるのがいまいち頼りなかった。幽霊でも出そうな家だな、
と思わずつぶやくとこちらを向いた菊にこれは失言だと焦ったが菊は嫌な顔を
するどころかくすりと笑い、幽霊はいませんが妖怪はいましたよと言うのだ。
妖怪?と聞き返すと、ええ、そちらでいう精霊や妖精みたいなものでしょうかと
優しい表情をする。座敷童といういたずら好きのかわいい女の子の妖怪が我が
家には住んでいたのですけれど、とそれが愛しい者だと雰囲気からしてわかる
菊はやがて沈んだ顔になっていった。私にはもう、その姿が見えないんです、
私が変わってしまったからでしょうか。変わってしまった私に愛想をつかして出て
行ってしまったのでしょうか。菊は悲しげに茶をすすった。アーサーは己の家や
庭から馴染み深い妖精たちが消えてしまうのを想像した。それはとても寂しい
ものだった。きっとこの茶よりも苦い感情が菊の胸を占めているのだろう。うまい
慰めも思いつきはしなかった。本当に彼らは菊を見捨ててしまったんだろうかと
重苦しい気分に襲われ、会話はあまり進まなかった。その後、アーサーは幼い
女の子の騒がしい声に悩ませられる。風呂には異形の生き物さえいて、贈り物
まで受け取った。異形の生き物はこの地を去っていくという。昔は日本さんとも
しゃべれたんですが、という言葉が深くアーサーを突き刺した。ああ彼らこそが
その妖怪なる者たちで、妖怪たちはずっと菊のそばにいたのに菊にはそれが
わからなくなってしまったのだ。彼らの寂しさはいかばかりか、アーサーには
推量もできない。ひとつだけ安心したのは座敷童はそれでも菊のそばにいて、
離れることは考えていないようだということだ。菊の話によれば、座敷童のいなく
なった家は衰えるという。しかしそれ以上に、彼女が菊のことを好きでいてくれる
のがアーサーには妙に嬉しかったのだ。なんだか、心強い仲間のような気が
して。いつの日か、菊がまた彼らの存在に気づく日がくればいいと思う。そう
したら、菊はあんな悲しい顔をしなくて済むはずだ。その日を願って眠りに就こう
としたが、目下の問題はアーサーにしか見えない、聞こえない座敷童が走り回る
音やら騒ぐ声やら、夜中枕を引っくり返されるわ布団を引き剥がされるわ、どうも
自分への対応がひどいことだ。いたずら好きどころの騒ぎじゃない。彼女曰く
アンタみたいのが日本さんと手をつなごうなんて百万年早いわよ!だそうだ。
子供でも妖怪でも、やはり女は女だ。どうやら彼女はアーサーの恋敵ということに
なるらしかった。なんとも前途多難である。





ブラウザバックでおねがいします。