※プロイセンは今頃のんびり引退生活と思ってたころの話です


 戦いで国を興した俺がただ座ってるだけなんていうのはどうも性に合わない。
退屈な会議を抜け出して町をぶらついていると通りの向こうに東洋人が歩いて
いるのを目敏く見つけた。意識しすぎた見間違いかと一瞬思ったが目を凝らして
みれば間違いなく本人だ。おーい菊!と呼びかけてみた。その声にこちらを見た
顔が驚愕から笑顔に変わり、プロイセンさんと呼んだ。馬車が通り過ぎるのを
待ってから通りを渡って駆け寄って話を聞くと、最果てとも言える極東くんだり
からわざわざこっちにやってきたのは上司の付き添いのためだという。来るなら
来ると、便りのひとつでもすりゃよかったのにと言えばご迷惑かと思いまして、と
相変わらず距離を置いた対応をする。俺への呼びかけもそうだ。名前で呼べと
いくら言っても聞きゃしない。俺たちはとうに、ただならぬ関係にあるというのに。
それは酔いがきっかけとはいえごく自然な流れだった。好きだと思ったからそう
したし、菊もそうであると信じたかった。もしかして浮かれてたのは俺だけで
遊びだったのかと嫌な予感に襲われて止められずに追求するとそんなわけない
じゃないですかと憤りを見せて即座に否定する。それなら名前で呼んでくれよと
駄々をこねると一応は努力をしたようだがこの程度で照れているらしい赤面が
諦めてあなたはプロイセンという素晴らしい国なんですからそれでいいじゃない
ですかと逃げを打った。菊らしい着地点に苦笑して、俺はそれでいいかと思う
ことにした。その夜も、菊が俺の名前を呼ぶことはついになかった。時は流れて、
プロイセンという国はなくなった。地域に残していた名も、もうない。それでも俺は
消えないし、変わらずプロイセンと呼ぶ者もいる。あまり大きな変化はないように
思えた。しかし暇に飽かせて押しかけた菊の家で、お疲れ様でしたギルベルト
さんと微笑みと共に目の前に茶の入った湯飲みを置かれたとき、初めてそれを
感じたのだ。何かの終わり。喪失。いつのまにか頬を伝っていたものを菊は
指で拭った。あなたは自由です、もう誰の手をとってもいいのですよと微笑む。
そうだ、もう嫌なやつと手を組むこともない。つないだ手を離さなくてもいいのだ。
それなら、お前だ。そう言って俺は菊の手を両手でしっかり握った。他にもっと
いい人がいるのではないかと諭され手も首を振る。お前がいい、もうあんな
思いはするものか。子供のように縋る手にもう片方の手を重ねて菊は笑った。
困った人、でも私はそんなあなたが―――。





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