※鋼的なキメラ設定はクラレットレッドのコウサさんからふんどし借りました




 要するに裏をかいたつもりが逆に裏の裏をかかれたというわけだ。防衛ラインの
拠点の町は廃墟同然で住民はすでに避難したか死んだかして今は俺ら末端の
兵隊しか残っていない。その兵隊の大部分を隠密裏に敵本隊の横っ腹を狙える
位置に移動して奇襲するという作戦は見事に破綻した。敵本隊は最初からここ
狙いで、あっちは囮だったのだ。本隊が戻るまで持ちこたえるにも圧倒的に分が
悪い。数がどうこうの前にまず戦う態勢が出来てないのだ。武器弾薬はあらかた
本隊が持って行ってしまった。崩れかけた小さな教会の塔の上から狙撃していた 俺も弾が尽きる。残るは弾数が少ない短銃とサーベルぐらいだ。それでも作戦
本部まで退却して来れたのは運が良い。本部にいた弟は無事だった。だからと
いって何の解決にもならないのはわかっているが、どうせ死ぬんなら弟の前で
少しはかっこつけたいじゃねえか。それも無駄な足掻きだ。砲撃が世界の終わり
みたいに建物をガンガン揺らす。上出来だ、最後の一発まで撃ちきったら一瞬で
終わらせてくれ。最期を悟って笑う弟と目があった次の瞬間、頭が破裂しそうな
砲撃音で世界が終わった。…と思ったらまだ続きがあった。そこは天国でも病院
でもなく、正しく地獄だった。俺と同じように棺桶に片足突っ込んだ兵隊が何人も
何人も手当てされるわけでもなしに反吐が出そうな人体実験に使われていった。
ちらりと耳にしたのは人間と動物の遺伝子を掛け合わせた生物兵器を作り出す
研究だとか何とか。少し前から死体の数と死亡者の報告が合わないという噂は
あったがまさか軍がそんなことをやってたとは。肝心の結果は散々たるもので
普通に死ねるならまだマシだ。ぶよぶよの肉の塊になって生きてるやつを見た
ときはひたすら神に祈ったものだ。俺の大事な弟は天国にまっすぐ行ってます
ように。そのあとのことは思い出したくもない。こんな世界なんかさっさと終われば
いい。俺の視界は再び閉じられた。

 そして二度目に目を覚ますとそこは天国でも地獄でもなかったが、病院という
より小さな診療所のようなチャチな建物だった。錆びついたパイプベッドは身を
起こすだけでいやに軋むが、一応スプリングの利いたベッドだ。鉄格子の中で
床に転がってたことを思えば天国と言っていい。きちんと手当てもしてある。まだ
体中がバラバラになりそうに痛むけれどその痛みが俺が生きていること、これが
夢じゃないことを教えてくれる。「…ここはどこだ?」とつぶやくと知らない声が
「ああワンちゃんのほうも気がつきましたね」と応えた。同時にシャッとベッドが
二つ並んだ部屋の入り口にかかるカーテンが開かれる。現れたのはあの悪夢の
ような研究所にいた連中と同じ、白衣を着た小柄な男だ。だが連中との違いは
目を見ればわかる。ギラギラした化け物じみた目とこの男の目はまるで違う。
姿かたちはまともな人間でも連中の中身のほうがよっぽど恐ろしかった。「先日
散歩してたら偶然あなたがたを拾いまして、一時はだめかと思ったんですけど
見上げた生命力ですね」白衣の男の言葉にあなたがた?と首を傾げると、男の
後ろから包帯だらけで松葉杖をついたガタイのいい男が現れた。「…ルッツ?」
死んだと思ってた弟の名を呼ぶと「どうやら俺たちは運が良かったみたいだな、
兄さん」と間違いようのない苦笑が返ってきた。本当に俺たちは運がいい。俺は
ただただ神に感謝した。俺がワンちゃんと呼ばれた理由を知るまでは。

 詳しく話を聞いてみれば菊と名乗った医者はたいした神経の持ち主らしい。よく
俺らみたいなのを拾おうと思ったものだ。重傷を負った俺とルッツは別々に回収
されて研究所に運ばれ、実験によって俺は狼と、ルッツはライオンと合成された
姿のままほとんど死んでいるも同然だったそうだ。いくら命を助けるのが医者の
仕事とはいえ酔狂にもほどがある。俺より先に意識を取り戻したルッツはネコ
ちゃんと呼ばれて何とも言えない複雑な気分を味わったと眉根を寄せた。俺が
ルッツより遅く目覚めたのは実験の影響ではなく元々の怪我のせいだと男は
説明した。「私は人間の治療の仕方しか知りません。今や普通の人間ではない
お二人に適切な治療を施せたか保証は出来ませんから何か異常を感じたらすぐ
言ってくださいね」そう言って男は食事の支度をしてくると俺の頭の上にちょこんと
乗っかってる髪と同じ色の毛の生えた三角の耳をにこにこ嬉しそうに触ってから
部屋を出て行った。そのときになってやっとルッツだけが完全に元の人間の姿を
しているのに気づいてどうやったのか尋ねると、どの程度変化させるかは自分の
意思で操れるらしく、ちょっと集中すると俺の耳も引っ込んだ。おお!と喜んでは
みたものの、状況は決して楽観出来るものではない。おそらく廃棄された時点で
俺ら兄弟は死んだことにされてるだろう。故郷には帰れない、生きていると軍に
バレたら大変なことになるに違いない。それと得体の知れない菊という男。悪い
やつじゃないのは確かだが、野性の勘と言うべきかただの医者ではないような
気がする。「…あいつ、硝煙の臭いがしたな」そこいらの人間より鼻が利くように
なった今の俺には隠せないものだ。「まあ、害意がないどころか俺のたてがみに
顔を埋めて『すごいもふもふですね!』とか言ってたようなやつだから大丈夫だと
思うが」と何事にも慎重だったはずのルッツが安易に答えるので反論しようとした
直後、盆に食事を乗せてきた男が「あああああ!ルートヴィッヒさんったらどうして
ワンちゃんの耳の隠し方を教えちゃうんですか!せっかくのもふもふが!」と軍で
培った俺の経験を台無しにしたことでだから言っただろうとでも言いたげな呆れた
表情のルッツのリラックスぶりにも納得がいったわけだが、ひとつだけ訂正して
おきたい。「俺はワンちゃんじゃねえ!狼だっつの!」




おまけ
ライオンの発情期はすごいらしい!

 霧雨を浴びたようにしっとりと濡れた体ががくんと揺れ、上半身が大きくしなる。
白い喉元が喉仏の輪郭も美しく晒され、緩やかに全身の痙攣は治まっていった。
ハ、と詰めていた息を解放して急激な弛緩でぐったりした小柄な体を見下ろす。
菊は気を失っているようだった。ふと先ほど目を奪われた首筋に複数の歯型を
見つけた。これは日常の挨拶と称してやたら噛みついては怒られている兄の
仕業だろう。一度服で隠れない位置についた跡をよりによって診療所を訪れた
小さな女の子に指摘されるということがあった。あのときの去勢を迫る恐ろしい
形相はまさに修羅だった。それでも懲りようとしない兄も兄だがそれが兄の性格
なので仕方がない。その歯形の中にひとつ、真新しい犬歯の色濃い跡がある。
犬歯というよりむしろ牙と言うほうが正しい。加減はしてあるようだが、ともすれば
柔らかい皮膚を貫きかねない鋭さだ。これほど牙が剥き出しになるのは意図的に
そうしているか、人間としての自我より野性の本能が先立つほど脳髄をある種の
興奮が占めているかのどちらかで、おそらく後者によるものと察する。兄はどの
タイミングでこの細首に牙を突き立てたのだろうか。先ほどの反り返った喉を思い
出す。その瞬間を狙い澄まして思うまま貪りつけたらどれほど己の内にある獣の
部分が満たされるかわからない。想像するだけでずくんと体の奥に灼熱が宿る
のを感じる。問題はどれぐらい理性を保っていられるかで、衝動に任せて獲物に
喰らいつけばそこから鮮血が溢れ出すのは間違いない。甘い鉄錆の味がする
柔肌を舐めねぶる誘惑は確かに魅力的だが、取り返しのつかない事態になって
しまう。ならば軽く痛みが走るぐらい、菊が痛みに顔を歪めるぐらいの…いやいや
しかし…でも少しなら…ほんの少しだ少し、でもやはり…
「おいルッツ、ルッツってば。お楽しみのところアレだけど、お前時計見てっか?
あのな、お前おっぱじめてからもう24時間経ってんだけど。噛みつかなくても菊
死ぬからマジで。発情すんのもいいけどよ、お前もそろそろ去勢してやるううう!
とか言われるから。ていうか目が覚めたら言うと思う絶対」
「…それは困るな」





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