ガラス張りのサンルームには暖かで優しい陽射しが降り注ぎ、まさに小春日和
といった風情の空は淡い水色をしてどこまでも晴れ渡る。一歩外に踏み出せば
芯まで凍みる寒風が本来の季節を嫌でも思い出させるのだろうけれど、こうして
室内でぬくぬくとティータイムを楽しんでいると一足も二足も早くビバルディの春
でも聞きたい気分になる。菊はこの一口を終えたらそんな提案でもしてみようかと
慈愛のまなざしで温かい室内で咲く色とりどりの花を愛でるローデリヒを密かに
見つめていた。そこに雰囲気ぶち壊しのドタドタ騒々しい足音と蝶番を破壊せん
ばかりのドアの開閉音を伴って現れたギルベルトは"あなたにもできる!やさしい
黒魔術"なるどこぞの眉毛が持っていそうな怪しい本を片手にローデリヒを指して
こう言った。
「ふははは!お前が男以外に勃たなくなる呪いをかけてやったぜ!」
 ギルベルトの満足そうな高笑いに対するローデリヒはというと、たった一言。
「それが何か?」
 と、歯牙にもかけぬ様子でそんなことはどうでもいいというかんじでに客人で
ある菊にもうひとつ茶菓子を勧めた。目論見が外れてわなわなと拳を握りしめて
悔しがるギルベルトはタイミングよくどこからか響いてきた金属音に青ざめて途端
震え出し、今日のところはこれで勘弁してやるぜ!と三流悪役さながらの台詞を
吐き捨てて逃走した。魔除けのような働きをした謎の金属音はエリザベータが
フライパンを打ち鳴らす音に似てなくもない。果たしてこの屋敷に彼女がいたのか
どうか、実のところ菊はこの日まだ一度も顔を合わしていないのだがもしかしたら
離れた場所にいても天敵の接近を感知して自動的に撃退する警備システムでも
あるのだろうと半ば真剣に考える。それはともかくとして何故こうもローデリヒは
動揺しないのか不思議に思った。呪いの効き目は疑わしいとしても突然そんな
ことを宣言されたら少しぐらい慌ててもいいものだろうに。菊が疑問を口にすると
ローデリヒはギルベルトに対する答えと同じように冷静な一言。
「どちらにせよ私は心に決めた人以外には無節操に勃起したりしませんので」
 菊なら恥ずかしくてひた隠しにしておきたいような下半身事情もまるで茶菓子の
好みの問題のような気安さでローデリヒは簡単に明かしてみせた。ローデリヒの
口から発せられたとは思えない単語に菊は一瞬耳を疑ったが、よくよく考えて
みれば確かにローデリヒは元々そういった生身の人間であればどうしても切り
離せない厭らしさや生活臭といったようなものが微塵も感じられない上品を絵に
描いたような人物であり、下世話なことを言ってしまえばトイレに行くかどうかすら
菊には怪しく思えるほどだった。決して感情がないというわけでもないが、美しい
顔立ちと何もかも計算づくのような一瞬たりとも素の部分をあらわにしない表情は
どこか作り物めいて見えてとても同じ生き物とは思えない。ローデリヒは音楽を
はじめとする芸術全般をこよなく愛する男だ。けれど菊にとっては彼自身が人の
世の垢とは無縁の芸術作品そのものだった。だから異性だろうと同性だろうと
みだりに欲情することはないと断言されればなるほどローデリヒらしいと充分に
納得出来得る事実だった。要するにアイドルはトイレなんか行かないの原理で
ある。欲望の塊である人物が近場に複数住んでいて何故ローデリヒばかりが
こんなに高貴で上品で優雅に在れるのか、最早アイドルどころか信仰の対象に
近い。菊は憧れと距離感をますます強く感じてため息をつく。しかしローデリヒは
くすくすと笑い出すのだ。
「人をそんな聖人みたいに。私だって欲が皆無というわけではないのですよ?」
 そう言うとローデリヒは柔らかい笑みを崩さないまま、手にしていたカップの
中身を唐突に菊の顔面にぶちまけた。飲み頃に冷めた茶は火傷を負うほどの
熱はないが、予想もしない行動に菊は抗議も忘れて呆然とする。皮膚を伝って
顎から雫がぽたぽたと、寛いでいいと許可を得て上着を脱いでいた白いシャツに
垂れて薄茶の液体が徐々に素肌の色を透けさせていく。胸元、そして下腹部に
濡れたシャツ越しの肌色は続く。べったり張りついたシャツの表面には普段なら
目にすることは難しい体のおうとつがくっきりと現れて何ともいやらしい。
「…あなたの淫らな姿を見たら、こんな私でもきっと無様に勃起しますとも」
 そうしてローデリヒは菊の知っている紳士的な彼に似つかわしくない嗜虐性を
滲ませてくちびるで弧を描く。こんなときでも卑しさを感じさせない余裕は無言の
圧力でどちらが上位かをはっきりと示している。敗北感に伴う不思議な陶酔に、
菊はおそらく誰も見たことがないであろう、その"無様なローデリヒ"が見たくて
仕方がなくなった。自分たちの存在が国であろうと何だろうと所有する肉体は
ただの男であることを容赦なく思い知らされる自然の摂理をこの目で見、この
耳で聞いて、この肌で存分に感じたいと浅ましい願望が止められない。ひょっと
するとギルベルトの呪いはまんまと成功したのかもしれない。そのせいで手近に
ある男性なら別に誰でも構わないのかも知れない。それでも抗えない誘惑に
菊は濡れたシャツのボタンに手をかける。
「私なんかで、本当にいいんですね?」
 菊の問いかけにローデリヒは黙って頷いた。見せつけるようにテーブルに身を
乗り出して眼前で開かれた胸元がまだ紅茶で湿っている。どうせあまり上手では
ないはずの深いくちづけを迎え入れるためにそっとくちびるを開いて待った。さて
心に決めた人はどんな淫らな徒花を咲かせてくれるのだろう。たまには役立つ
厄介な身内の存在に感謝しつつ、ローデリヒはどこから貪ってやろうかとじっくり
獲物を見定める。菊がどんな幻想を持とうと勝手だが、ローデリヒも同様にただの
男であることを忘れてはならない。恋愛感情が伴えばなおさらだ。





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