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休暇なんだよ!と口を揃えて双子のようによく似た面差しの二人が予告もなく 大荷物を抱えて現れたとき、菊は内心本当かどうか疑ったものだ。現に、帰りの 搭乗時間を気にするでもなく漫画やアニメやゲームに夢中になるアルフレッドは いつも通りとして、上手に嘘はつけないタイプだろうマシューときたらすみません それ嘘なんです!と言外で訴えるかのごとく何か物を言うたび声は裏返り、終始 落ち着きのない様子であたりをきょろきょろ見回しては電話や来客があるたび 過剰にビクビクしていたのだから信じろというのが無理な話だ。そもそも一ヶ月と いう長期滞在など許してもらえるはずがない。おそらくこんな無茶を言い出した のはアルフレッドのほうで、たとえマシューにもどこかでそういう願望があったと してもまんまと片棒を担がされたと考えるのが妥当なところだろう。どういう手段を 用いたのか菊には知る由もないが、穏やかでない方面の方々が二人の居所を 血眼で探し回ってようやく迎えに来るまで約十日。彼らがほぼ半泣きであった ことから、よっぽど用意周到な工作をして来たのは想像に難くない。それでもなお 俺は帰らないよ!絶対に帰らないんだぞ!と駄々っ子のように柱にしがみつく アルフレッドはテコでも動きそうにない。では滞在を続ける代わりにここで仕事を するというのは、と妥協点を菊が提案したのはアルフレッドのわがままに殊更 弱かったことも理由のひとつではあるが、この十日間で休暇どころか逆に神経を すり減らしたマシューのためでもあった。かくして正式に許可を得て延長された 休暇は小学生の夏休みの宿題のように午前中は仕事、午後からは自由行動、 日曜は完全な休み、サボったら食事抜きの罰則付きでスケジュールを組んだ。 仕事がはかどって大変助かりますと嬉し涙を流すのは毎日書類を受け取りに 来る穏やかでない方々で、普段どれだけ苦労をかけているのかと他国のこと ながら何だか同情してしまう。苦笑いもそこそこにとにもかくにも当初の望みで あった丸ひと月の休暇が平穏無事に終わろうという頃になったある日、純和風の 朝食の席で両者共に同じタイミングでため息をついたのを菊は見逃さなかった。 洋食もそれなりに多く取り入れていたつもりだが、いくら海外で美味しい料理に 巡り会えたとしてもそのうちご飯と味噌汁が恋しくなってしまう気持ちは菊もよく わかる。よし、と菊は朝食の片付けが終わるとその足で近所のパン屋に向かい、 特別分厚く切ったパンを求めると早々に翌朝のための仕込みをしておく。きっちり 分量を量った卵と牛乳と砂糖を混ぜ合わせた卵液にバニラエッセンスを落とす レシピは世界一と評されたこともあるホテル直伝だ。丸一日卵液に浸したパンを 焼くにしてさらにひと手間かける。バターを溶かしたフライパンで焼き目をつけた あとはオーブンでじっくり火を通すのだ。皿に盛り付けてバターが溶け出したら マシューが手土産に持参したメイプルシロップをたっぷりかければ特製のフレンチ トーストは完成だ。フレンチと名がついているがこのスタイルを日本に伝えたのは フレンチトーストをこよなく愛するというアメリカ人だと言うし、メイプルシロップは カナダ産の最高級のものだし、味見した結果も失敗はなかったようなのに二人は 食べる前からため息をついていた。召し上がらないんですか?と首を傾げる菊の 声にふらふらと緩慢な動作で一口食べるとぱあっと明るい表情に転じたものの、 次の瞬間には再び翳りが戻って深々とため息が再び。具合でも悪いんでしょうか と菊の心配など二人は知る由もなく、おかわりだけはきっちりした。 「もう帰んなきゃいけないんだね…」 「僕、居心地良くてすっかり馴染んじゃったよ…」 「こんなおいしいフレンチトースト食べたら余計帰りたくないよ…」 「まったく同感だよ…」 「夏休みは三ヶ月ぐらいあるべきだよね…」 「うん…」 二人がまだ言い出せない帰りの航空券の日付はあと数日後。 |