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※暴力描写注意 思いたくても下町の人間が市民街をのこのこ歩いている、それだけで聞こえよがしに嫌味を振り まく者までいるのが現実だ。もちろん腹は立つ。立つが、怒りよりも失望のほうがはるかに勝る。 ほんの数ヶ月前ではあったけれど、騎士団に身を置いていた頃と比べれば堪忍袋の緒も随分と 鍛えられたらしい。それでもどうにも我慢ならないときはある。あるいはやむを得ない場合。結局 力に訴えるしかない食傷気味のパターンがちくりと胸に突き刺さろうと、原因を根元から断つ術は いまだ見当たらない。しかし実のところ、もどかしさに歯噛みする一方で真剣勝負を楽しんでいる 面もあるのだ。魔物だろうと人間だろうと、戦いのさなか命の価値は誰しも等しく、どんなに難しい 理屈も頭から消え去る。強者に挑むときは特にそうだ。強い危機感を覚えるほど不思議な高揚に 胸が躍る。その点について、皆が皆持っている真っ当な感覚でないことは自身でも認めていた。 かといって、誤解は本意ではない。このためにわざわざ喧嘩の押し買いに励んでいるわけでない ことだけはしっかり主張しておきたい。もっとも、半ば呆れ気味の周囲に対して今更効果があるか どうかといえば答えは否だろう。大体からして、回数が多すぎた。 筋を違えたか神経を痛めたかして力の入らないだらりぶら下がった腕やら、変な方向に捩れて 動かない足やら、紫に変色した腹やらをひとつずつ順に治癒しながら、君はあと何回こんな目に 遭えば懲りるのかとうんざりしたようにため息を吐く幼馴染の顔には、心配の二文字がありありと 浮かんでいる。これらは例によって例のごとく理不尽を強いる貴族や騎士と揉めた挙句、容赦の ない私刑によって負ったものだ。帝国法は私刑や拷問を禁じてはいるが、法の守り手に守る気が ないのでまったく意味を成していない。下町の住人も法に則って保護すべき対象だという意識が 彼らに欠けているせいだ。現状に変化が生まれない限り、何度だって繰り返すだろうことはユーリ とて重々承知している。承知しているからこそ、率先して理不尽の矢面に立たなければならない。 故にいくら口を酸っぱくしても無駄だと彼の性格を熟知するフレンは内心説得を諦めている。とは いえ、幼馴染としてはどうしても気がかりでならないのだ。このままではいつかもっとひどい目に、 口に出すのも憚られる最悪の事態に陥ってしまうのではないかと。仕上げに顔の腫れを治して、 もう何度口にしたかわからない忠告を送る。頼むから無茶な真似はしないでくれ。その願いもそう 遠くないうちに水泡に帰すことを、悲しいかなフレンは薄々予感していた。 こうしてユーリは荒っぽい方法で覚醒を迎える。使い古されたバケツいっぱいの水が気を失った 顔面に降り注ぎ、鼻や口から入り込んだ異物に呼吸器系統が悲鳴を上げた。尋常ではない咳き 込みように体が大きく揺れて両腕を繋ぐ鉄輪と鎖がじゃらじゃらと鳴る。が、それより不快なのは 周囲の笑い声だ。おねんねするにはまだ早いだの、威勢がいい割には他愛もないだの好き放題 言ってくれる。ここまで来るともはや怒りもない。ただただ馬鹿らしく、付き合っていられないと嘆息 するばかりだ。 手足をふん縛った無抵抗の人間を殴って蹴って失神したらしたで無理やり起こしていたぶって 言葉でも嬲る、その繰り返しのどこが面白いのかユーリは理解できないし理解するつもりもない。 嗜好の問題はどうしようもないとしてひとつだけ煩わしく思うのは面子が変わるとそれすら変わる ことが多々あり、暴力の方向が性に傾く。女ならともかく、男を犯して何が楽しいのやら。確かに 屈辱ではあるのだ。媚薬の類を使用されてしまえば平静を保ち続けることは難しい。だがそれは 相手のほうも似たようなものだろう。男に犯されて喘ぐのは惨めだが、男を犯して喜んでいる輩も 同じぐらい惨めに見える。少なくともユーリの中では敗北とは縁遠い行為であり続けた。そうとも 知らず、想像力の逞しい連中は体が勝手に吐き出す女々しい声をネタにやんやと盛り上がって いるものだからいっそう興醒めだ。随分お楽しみじゃないか、下町じゃ女も男も体を売り物にする のが常識なのか?答えてやる義理はない、そう思いたければ思えばいい。実際それで食い扶持 稼ぐ者はいる。光照魔導器に守られた安寧の夜しか知らぬ貴族にはさぞ卑しく浅ましい生き物に 見えるだろう。だけど、忘れていないか?穢れたガルドで固いパンを買い、水のような安酒を啜る その生き物から搾取した税金が高貴な血筋に相応しい高雅な暮らしとやらを支えていることを。 あまつさえ、シモの始末まで男のユーリに強いている。これを笑わずして何を笑おうか。 ついつい笑みを浮かべたのを目敏く指摘されたついでに腹の内をぶちまけた途端、取り囲んだ 騎士は湯が沸いたように怒り出す。お行儀よく順番を待っていた者も我先にと群がって、侮蔑の 色を隠しもしない身の程知らずの下民に正当な罰を下すことしか考えていない目だ。はらわたの 奥底を抉じ開ける律動とは逆に、力の限り喉笛を押しつぶすとぎゅうと締めつける肉輪が素直に 生命線のぎりぎりを訴え、それがまた今までにない悦楽をもたらすので気まぐれな解放と圧迫を 何度も何度も執拗に繰り返す。ユーリが再度意識を手放すとバケツの水に今度は頭ごと沈めて、 さらに暴れる手足を無慈悲に押さえつける。誰かが死んでしまうのではと不安を口にしても、何か 問題でも?とでも言いたげに容易く受け流されてしまった。彼らにとっては貴族でない者の命など 塵芥に等しく、行き過ぎを危ぶんだ者ですら責任を問われることや今後の遊び道具の心配をして いるだけで、誰ひとりその生死を重視していないのだ。 水遊びに飽きた頃、彼らのおもちゃは真っ赤に焼けた鉄の棒に移行する。鼓膜を震わせる叫び 声は肉の焼ける臭いとはっきり残る痕跡を伴って殊更彼らを喜ばせたが、喉が嗄れ、ぐったりして 反応も鈍くなってくるとようやく解放を迎えた。当然彼らが後始末まで請け負うはずもなく、地下の 冷たい石畳に放り出された形だ。這いつくばって移動するどころか指先ひとつままならない。今度 こそ終わりかもしれないと早々に意識を手離したのち、辛うじて息のある状態のユーリを発見した のは噂を聞きつけて探し回っていたフレンだった。 生命を脅かしかねない重い怪我、火傷を癒すのに騎士団で学んだ技術を使う、矛盾した行為が 生む強い憤りはさらなる決意を促した。習得したばかりの初歩的な治癒術では完治まで程遠い。 高熱を出したユーリは何日も箒星の二階で臥せっているそうだ。しっかり者のテッドが張り切って 看護を引き受け、女将さんも頻繁に様子を見に行ってくれていると聞いてひとまずほっとするも、 片時も離れようとしなかったラピードの弱々しい鳴き声を思い出してしまうと締めつけられるような 無力感に苛まれる。己を責めてもユーリを痛めつけた連中を憎んでも何も解決しない。幼き日の 誓いはより強く胸に秘め、今はただ高みを目指す。僕が守りたい笑顔は君だって例外じゃないと、 大切なことはまだ伝えられていないとしても。 |