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ダイフクという日本のお菓子を食べたことがある。表面は白くすべすべして かぶりつけばもっちりと柔らかくとても甘い、それをギルベルトは菊の頬で思い 出している。むにーと左右に引っ張ると眉根をいっぱいに寄せてむっつりした 顔からいひゃいえふー!と抗議らしい声があがるが口を無理やり広げられている せいで発音がはっきりしない。あ?なんだって?何言ってんのか全然わからねえ なーと白々しい演技で意地悪を続けると菊はうー!と動物のように唸った。その 様子がますます面白くてギルベルトは調子に乗る。菊が実力行使に出ても所詮 幼児、短い手足ではどうにもならなかった。悔しさに目を潤ませながらも必死に はにゃひへおー!と叫んでいると救い主はギルベルトの背後より音もなく現れ、 高々と得物を構えたかと思うと空を切る鋭い音と共にゴアーン!と大きな金属音 を立ててフライパンはギルベルトの脳天に直撃した。 「アンタまた菊ちゃんをいじめてんのね!」 ギルベルトは頭を抱えたままもんどりうって床を転がり、謂れのないほっぺた むにーの刑からようやく解放された菊をエリザベータは屈んで同じ目線の高さに なってその心を慰めるようにぎゅっと抱きしめる。可哀想なことに頬はすっかり 赤くなっていた。痛いの痛いの飛んでけーとさすってあげると助けてくださって ありがとうございますと菊は照れたように少しはにかんでお礼を口にした。すると どういたしましてと大人の優しさとかわいらしさを合わせ持つ憧れの微笑みが 返ってきてギルベルトに引っ張られたせいだけではない赤みを頬に乗せた。 エリザベータは低い位置の菊の頭をひと撫でするとまた仕事に戻っていく。 ギルベルトが痛恨の一撃のダメージから回復したのはそのしばらくあとだった。 お前のせいでまた殴られただろうが!と自分がしたことも棚に上げて怒鳴る ギルベルトの頭には真新しい大きなたんこぶのほかにもいくつかおうとつが できている。その半分はローデリヒ絡みで、残りは菊絡みだがいずれにしても 殴られた原因はほとんどギルベルトの自業自得なのである。懲りない人だなあと 菊は呆れ気味に寝転んだ悪い大人を見下ろす。若干の哀れみをその視線に 感じ取って、なんだよとふて腐れて聞けば菊はそばに腰を下ろしてギルベルトの 頭に小さな手を伸ばし、さっきエリザベータにされたようによしよしをして、痛いの 痛いの飛んでけー…とやってくれると思いきや伸ばされた手が行き着いたのは 頭ではなく両頬だった。 「仕返しですー!」 むにーの刑再び。目には目を、歯には歯を、むにーにはむにーを。しかし子供 とは言え手加減のない力で左右に引っ張られた頬は子供と違って弾力性がない ため正直洒落にならないぐらい痛い。いへへへへ!ひゃめろ、ひゃにゃへ!と 喚いてもさっきの菊のように発音のはっきりしない文句ではいまいち迫力が 足りない。何言ってるかわかりませんねーとそっくりそのままやり返している 菊に反省と我慢の足りない大人であるギルベルトは早々にキレて、腕力を以って 自由を奪い返すと途端脱兎のごとく逃げ出した子供にも大股ダッシュですぐさま 追いつき、襟首を猫の子のように掴んでぶら下げて半べそで離してくださいー やだー離してー!と手足をばたつかせる哀れな姿をしげしげと眺めておとなげ ない優越感に浸った。さてこの獲物どう料理してくれよう、エリザベータは仕事に 戻っていないし、何かむにーに替わる別の意地悪をしてやらねば。何かこう、 思いっきり泣いて許しを乞うようなやつを。思案に暮れるギルベルトに次なる 菊の救い主が背後に迫る。ぱし、ぱし、ぱし、と何やら規則的に刻まれる正体 不明の音がして振り返ったそこにローデリヒは鞭をぱし、ぱしと手のひらに弱く 打ちつけながら悠然と立っている。妖しく光を反射する眼鏡の下、その表情は 恐ろしいまでの笑顔だった。 |