「 スピリタスから愛を込めて 」



 そういや青年の酔っ払った姿って見たことなかったなあとレイヴンが気づいたのは実に今更な
星喰みを倒しりなんだりしたしばらくあとのことである。常に駆け足状態で世界中を所狭しと駆け
回る旅の只中じゃ酒盛りどころではなかったろうし、たまに二、三日腰を据えて体を休めようという
ことはあっても、いつどこで何が起こるかわからないような急場の連続を経験すると考えるよりも
先に体がアルコールを受けつけなくなる。もし飲んだとしても、ほんのちょっぴり嗜む程度。戦い
慣れた青年は己が適量を重々承知していた。つまり、酔った姿を見る見ない以前の問題だったと
いうこと。となれば俄然見たくなるのが人の性。今や世界の命運は凛々の明星御一行ばかりが
握るわけでなし、特に急ぎの依頼もないときぐらい危険な現場であるほど生き生きと輝く働き者を
ぐでんぐでんに酔わせたって誰も咎めはすまいとそそくさ連れ出したは毎度お馴染み、天を射る
重星だった。
 脳天突き抜けるほど甘い蜜蜜ザッハトルテを肴に、これまた甘ったるいカクテルなぞ合わせて
飲んでいる姿を見ているだけでうぷと吐き気を催すレイヴンだが、当の本人は至って普通。笑い
上戸、泣き上戸、絡み酒、キス魔、大虎。そのどれでもなくいつもと同じ調子で軽口の相手をし、
もしかして青年、相当なうわばみ?と作戦失敗の気配を感じ出した頃、その瞬間は突然訪れた。
操り糸が切れた人形のごとくゴン、と大きな音を立てテーブルに突っ伏したきり動かないユーリを
しばし見守る。反応はない。事前にマスターと打ち合わせをしてアルコール度数きつめにしていた
とはいえ、さすがに心配になる。大丈夫?今結構すっごい音したよ?ユーリ君?とおそるおそる
声をかけると、今度は墓から蘇ったゾンビのごとく勢いよくがばっと起き上がり、らいじょーぶだ、
もんらいない!と多少呂律が怪しいものの元気にお返事したかと思えば、何が可笑しいんだか
ケタケタご機嫌に笑ってらっしゃった。
 日頃のユーリと比べたらとても想像の及ばない、何とも無残なお姿である。あの悪役さながらの
皮肉たっぷりな笑みはどこに行ってしまったのやら、無邪気な笑顔にこれは全然大丈夫じゃない
わね、と成功を確信した。どうやら彼は酔いがまったく表に現れず、限度を超えると一気に崩れる
タイプらしい。とりあえず目的は達したわけだし、何よりこれ以上酔わせたら何か面倒なことになり
そうだ。さっさと連れ帰ろうとするが案の定、まだ飲み足りない俺は酔ってない俺の酒が飲めない
のか等酔っ払いの常套句を並べてテコでも動こうとしない。頭を抱えたレイヴンは、ふと思いつく。
 あっ!今おっさんの焼いたクレープがあっち逃げた!これで釣れるちょろ甘な青年ならどんなに
楽か、と思ったらなんでちゃんと捕まえて置かねーんだ!と酔っ払いは颯爽と駆け抜けていった。
もしや彼にはクレープが足の生えた魔物にでも見えているのだろうか。素面のときに是非聞いて
みたいものだ。ともかく、動かすことに成功したのでこれ幸いと会計は長年の付き合いでひとまず
ツケにしてもらい、大通りに出る。すると逃げるクレープを見失ったらしい青年が両手両膝ついて
ひどく絶望しておられた。お、俺のクレープ…。慟哭がまた切ないではないか。ともすれば今にも
泣き出しかねないいたいけな表情に好奇心をそそられなくもない。が、やっぱり面倒なことになり
そうなのでそれはまた別の機会に。
 帰ってからまた焼いてあげるからねとよしよし慰めつつ、お手手つないで帰途に着く。行き先は
凛々の明星が拠点とする借家だった。泥酔青年を酔いが醒めるまで置いておくのに最適な彼の
寝床もそこにある。帝都の部屋と同じく閑散とした部屋にはベッドと戸棚、剣やら斧やら手入れの
道具やら彼の相棒に纏わる諸々の道具があり、酒臭い帰宅をちらりと見、のっそりと起き上がる
ラピードの姿もあった。
 水持ってくるから青年は任せたと酔っ払いを預けて台所から戻ると、賢いお犬様は好きだぁ〜
結婚しようぜラピードぉ〜としつこくまとわりついてくる妨害を物ともせず、器用に上着とブーツを
脱がせているところだ。はいはい結婚おめでとうね、はい乾杯と適当にあしらいつつコップの水を
飲ませてあとはもう寝てくれとばかりにラピードが端っこくわえた毛布をかける。本当によくできた
お犬様だ、並の人間じゃ太刀打ちできない。しかし泥酔青年も無駄に諦めが悪かった。ラピードも
一緒に寝ようぜ〜と胴にがっちり手を回して離さない。ワフゥとため息に似た鳴き声。微笑ましい
というかなんというか、このまま立ち去るつもりがついつい青年ってほんとわんこが好きなのねと
レイヴンはぽつり零した。結果、思わぬ告白を聞く。
 まあ、ラピードがいなかったら今の俺はなかったもんな。妙に間延びしたおかしな口調はナリを
潜め、普段のユーリを思い出させた。ラピードのとーちゃん殺したの、俺だしな。感傷に浸ることを
良しとしない彼の口から初めて漏れた事実。やむにやまれぬ事情があったことは容易に想像が
つく。騎士団に在籍していた頃の資料、帝国が放棄したあの街を襲った悲劇。そこいらの真相を
"シュヴァーン"は知っている。俺もまだケツの青いガキだったから、ガラにもなく落ち込んだりする
こともたまーにあったんだよ、昔は。そのたんびにラピードが俺の指がじがじ噛かじってさ、そんな
なまっちょろい覚悟で斬ったっていうんならこんな指食いちぎっちまうぞって勢いで、ほんと、容赦
ねえよなあ。でも、だから踏ん張れたんだよ、俺は。
 悲しくも懐かしく、痛みと温もりを伴う思い出に青年は目を伏せる。ユーリが何を言っているのか
理解しているだろうお犬様は、酔っていなければきっと二度と聞けるものではない貴重な青年の
弱音を黙ってじっと聞いていた。凛々しい横顔はいつになく柔らかい。カロル先生はさ、俺のこと
かっこいいとか言うけど、俺にとってはラピードのほうが何百倍もかっこいいんだよ、だからさ。
「ラピードぉ〜なんでだめなんだよ〜俺のこと好きにしていいって言ってんだろ〜」
 と、青い毛並みに顔を埋めて、強く抱き寄せてはものすごい勢いで激しく頬擦りする酔っ払いが
復活したところで、クゥンとラピードが助けを求めてきたような気がしたけれども、レイヴンは誰か
さんと違って犬の言語はわからないし、たとえわかったとしてもとてつもなく面倒そうだったので、
よっご両人!お似合いだよ!それじゃあお幸せにね!と責任のすべてを放棄して退散することを
選んだ。去り際にもドア越しに熱烈な愛の告白が聞こえて大変だなあと思いながらも長年鍛えた
スルースキルで華麗に聞き流してやった。
 翌朝、いまだかつて味わったことのない二日酔いの到来と共に泥酔時の記憶を忘却の彼方に
置いてきたユーリは、それなりに良好だったはずの胡散臭いおっさんに対するラピードの態度
が氷点下まで冷え切っていることに首を傾げた。どうせおっさんが何かしたんだろと放っておく。
それよりもクレープに毛深い中年男の足が生えて逃げ回る悪夢を見たせいか、ガンガンと割れる
ように鳴る頭痛のほうが問題だった。相棒の弱々しい姿にラピードは再びワフゥとため息ついて、
慰めるように鼻の頭をぺろりと舐める。





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