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昨日のことだった。素人の出来栄えにはとても見えないと思っていると彼は若く 見えて立派に一城の主であるらしくエドァルドも名を聞いたことがある近隣では 有名な中華料理店を営んでいるという。一度は食べてみたかった味だ、大学が 休みに入ったばかりなのでぼんやりネットをやりながら間食がてら早速小籠包を つまんでいるとエドァルドは予想もしない事態に見舞われた。ベランダに見知らぬ 子供がいるのだ。一階ならそういうことがあり得るとしても、ここは五階だ。先日 見たホラー映画を思い出して一瞬背筋に冷たいものが走るが、こちらの視線に 気づいた子供は特に悪意を持って襲い掛かってくるでもなく窓に顔をくっつけて じっとエドァルドを見つめている。もしや普通にこの世に存在する人間の子供 なのではないかと思い、小さく手を振ると子供はにこっと笑って手を振り返して きた。なんだ、人懐っこい子供ではないかとひとまず安心する。問題はどこから 侵入してきたかということになるが。そばに寄って窓を開け、やあと挨拶をすると あの、ごめんなさいと子供は頭を下げた。不法侵入の自覚はあるようだ。君は どこから来たの?と尋ねれば昨日隣人が入居したばかりの部屋のベランダを 指す。万が一のことがあるまで遮られた板はそのままであるので、危なっかしい ことに子供は柵を伝ってやって来たようだった。ニンジャ!と思いつつも、もう 危ないからそんなことしちゃだめだよと少しばかり厳しい口調で注意すると すみませんと眉尻を下げてすっかりしょげ返ってしまった。このまま同じ方法で 帰すわけにもいかないし、ということでエドァルドは足の裏を真っ黒にした子供を とりあえずバスルームまで抱き上げて運び、そこで足を洗ってからやっと家に 上げた。タオルで拭きはしたが完全には乾いていない素足がぺったぺったと フローリングを歩き回る。隣も同じ間取りのはずだが置いてあるもので随分 印象が違うのだろう、いかにも好奇心でいっぱいという顔で物珍しげにうろちょろ する様子は存外にかわいらしい。そのうち食べかけの小籠包を見つけて、これ 哥哥の!と子供は指差した。どうやらこの子は隣人の弟であるようだ。三時も 近いことだし、おなか空いてない?という質問に彼に代わりおなかの虫が応えた ので頂き物の小籠包ではなく買い置きのクッキーと牛乳を与えると嬉しそうに 笑ってありがとうございますときちんとお礼を述べてから正座をして手をつけた。 躾けも行き届いていてエドァルドは感心する。しかしあんな危ない真似を見逃して いるのはいただけない。念のためお兄さんは家にいないの?と確認すると 子供は頷く。小さな弟を置いて店に出なければいけないのはさぞ不安だろう、 今日のようなことがあれば余計に。どうしたものかな、とエドァルドは腕を組んで しばし考えた。そして思いついて両膝をつき目線を合わせると僕でよければ いつでも遊びに来るといいよと笑ってみせた。子供はにぱっと笑い、ほんとに? と聞き返す。うん、いいよただし玄関からおいで、靴を履いてね。子供は素直に 大きく頷いた。 「で、僕は君をなんて呼べばいいのかな?」 「菊!」 右手を挙げ、元気いっぱいの自己紹介にエドァルドは菊ちゃんはいい子だねと 頭を撫でる。自分がこんなに子供好きだとは思わなかった、と内心意外に思い ながらもそれが全然嫌ではなかった。こうしてエドァルドは彼の兄が迎えに来る までの子守りを引き受けることになり、ネット中、時折椅子をよじ登りエドァルドの 膝の上に座ってネットサーフィンを妨げたりと頻発するいたずらのほかは目下 良好な関係を築いている。菊ちゃん前が見えないよという苦情に本人曰く邪魔 してるんですー。伊達だから構わないが眼鏡を奪ったり、あとはベッドの下の おおっぴらには言えない本の数々を探り当てたり、家主を困らせるその真意が もっと遊んでもらいたいのだと理解してもらえるのはもう少し先のようだ。 |