「 次男が弟になった日 」


 どういう経緯があったかまでは今更知る由もないが、駆け落ち同然に結婚した
両親と親族のあいだにはまったく交流がなく、二人が揃って事故死したときには
幼心にもこれから何もかもひとりでこなして生きていかねばならないのだとひどく
空しく思ったものだ。まだひらがなしか書けないくせに生意気にも大人になるため
にはきっと必要だと葬儀の段取りをメモするのに忙しかったから涙を流した覚えも
ない。天涯孤独になった私には見送る人などいないのに、その様子を見ていた
人々は哀れな子供だと思っただろうか、それとも愚かな子供だと思っただろうか。
私自身にはそれほど重い悲壮感は欠片もなかった。しかし親切な誰かにはそう
ではなかったらしい。知らせを受けて遠くから駆けつけた伯父夫婦に涙ながらに
抱きしめられて初めて私は心の空洞の正体に気がついた。悲しい寂しい苦しい
痛い怖い辛いどうして両親は私を置いて死んでしまったのかどうして私も連れて
行ってくれなかったのかどうして私だけが生き残ってしまったのかどうして私は
どうして。両親の温もりに似た腕の中でただひたすら涙に暮れた。私はそのまま
伯父夫婦に引き取られることになり、義兄となった耀さんと対面する。そのとき
すでに耀さんは専門学校生で私はまだ五歳だった。これだけ年が離れていると
お兄ちゃんというよりはほとんど見知らぬ大人で、私は元々人見知りだったから
優しい伯父夫婦に懐くのにそう時間はかからなくても耀さんと話をするのは少し
怖かった。今思えば急に出来た弟というものに耀さんも戸惑っていたのだと思う。
当時の私にはそれがわからなくて嫌われてしまったのだと思い込んでしまった。
そのせいで私は余計に距離を置き、私と耀さんは同じ屋根の下にに住みながら
ろくに会話もしないままだった。これではせっかく引き取ってくれた伯父夫婦に
申し訳ないと何とかして会話の糸口を掴もうとしても、なんと呼んでいいかすら
わからない。お兄さん?お兄ちゃん?哥哥?私が迷ってもたもたしているうちに
耀さんはいつもツイと視線を逸らしてどこかに行ってしまう。その頃の耀さんは
中華料理店を営む伯父の跡を継ぐべく修行の最中で忙しく、私に構っている暇
などなかったのだ。朝は誰より早く起き、夜は誰よりも遅くまで鍋を振っていた。
重い中華鍋を持つ右手はいつも赤く腫れて熱を持ち、飛び跳ねた油の火傷の
跡が両腕にたくさんあって見るだけで痛々しい。それでも修行を投げ出さない
耀さんを密かに尊敬し、本当はもっと話をしたいと思っていた。ひとりっ子だった
私はずっと兄弟のいる子が羨ましかった。亡くなった両親は共働きで、ひとりで
帰りを待ちながら兄弟がいたらと何度夢想したことか。せっかく夢が叶ったのに
嫌われているとしたらそれはきっと私が何か悪いことをしたせい。もしくは両親を
亡くしたあの事故、私だけ助かったことを神様や世の中の人は怒っていて伯父
夫婦が実の息子のように優しくしてくれる分、耀さんは私が外の世界に出たら
みんなが私に冷たくすることを先に教えてくれているのだ、だから私と目が合うと
逸らしてしまうし、話もしないし、触れても来ないのだと、やがて私は幼いなりに
結論を出した。そうして一年近く伯父夫婦を心配させながら私たちは兄弟とは
名ばかりの日々を過ごした。何度神様に謝ったか知れない。神様ごめんなさい、
私は悪い子です。そして同時に願い続けた。いつか耀さんが私を許してくれます
ように、世界中の人に嫌われててもいいから耀さんだけは。けれど許される日は
やって来ない。私はまだ贖罪が足りないのだと思い、暇さえあれば神様、神様と
唱え続けた。どこにいるのかどんな姿をしているのかも知らない神様。耀さんに
直接許しを乞えばいいのだとさえ思わない私はとにかく幼かった。誰かを信じて
頼ることも知らない世間知らずの子供だった。早く伯父夫婦に打ち明けていたら
すれ違いの原因が些細な誤解によるものだと気づいただろうに、私はいっそ馬鹿
らしいぐらいに幼かった。"その日"が来たのは私が小学校進学を目前に控えた
幼稚園の帰り道で、毎日迎えに来てくれる伯母が体調を崩したので私はひとり
帰途についた。代わりに耀さんが来ると連絡があったのに私は来てくれるわけが
ないと勝手に決めつけた。どうせ子供の足でも十五分程度と道のりは遠くない。
道だってちゃんと覚えている、大丈夫と言い聞かせて歩いていると人通りのない
細道で中年の男性に声を掛けられた。いわゆる変質者だ。知らない人について
いくのはいけないと理解していても大人の力には敵わない。助けを求めようにも
恐怖で声も出なかった。伯父夫婦や耀さんの顔が浮かんでは消えていき、心の
中で助けて、助けてと叫んでいた。でも誰が私なんかを助けてくれるのだろうか、
神様に、義兄にさえ許してもらえない悪い子の私を誰が助けてくれるというのか、
そんなこと、あり得るはずもないのに。そう思った瞬間、全身から力が抜けて私は
ズルズル引きずられるままになった。すると突然ぼんやりした視界に何かが飛び
込んできて、ものすごい音がした。まるで銅鑼みたいな音だった。何だろうと私は
音がした方向に目を向けた。どうしてそんな物を持っていたのか知らないけれど、
中華鍋を持った耀さんが立っていて「我の小妹に何をするある!この変態!」と
大声で怒鳴ったあと中華鍋でボコボコにして、男性の悲鳴を聞いた近所の人の
通報で警察が来て、変質者は連行された。ほっとしたのと、本当に迎えに来て
くれたのが嬉しくて泣いてばかりの私は耀さんに手を引かれて家に帰った。事の
顛末を聞いて伯父夫婦は耀さんが迎えに来るまで待っていなさいと言いつけを
守らなかったことに対しての叱りと、何より無事でよかったという心からの笑顔を
私に、そして耀さんには変質者を過剰防衛気味に撃退したことに対しての賞賛と
「あのね耀、菊は男の子なんだよ」と今更な説明をした。要するに、いきなり妹が
出来てどうしていいかわからないというのが耀さんの本音だった。耀さんは私が
ずっと兄弟がほしかったのと同じで、ずっと妹がほしかったようだ。ああ、だから
『油が跳ねたら危ねーからあっち行くよろし!』といった厳しい言葉は私が女の子
だと思って、万が一顔に火傷でもさせたら大変だと思って、そうやって危ないもの
から遠ざけてくれていたんだなと納得して、それまで溜め込んでいたものが全部
吹き飛んだらおかしくて笑いが止まらなかった。そんな私を見て「紛らわしい顔と
名前してんじゃねーあるよ!」と耀さんは顔を真っ赤にして厨房に戻っていった。
私が男だと知っても耀さんはなかなか店の厨房に近づけてくれなかったけれど、
兄弟間の見えない壁が消えたどころか、あんな事件があったせいか耀さんは
むしろ過保護になってしまって学校にも迎えに来る始末だった。おめーらうちの
菊をいじめてねーあるかと小学生相手に中華包丁を突きつけてたびたび問題に
なったぐらいだ。そんな風に手に負えないときは"耀さん"ではなく「いい加減に
してください哥哥」と"哥哥"を強調して呼ぶのがコツで、私たちはやっと本物の
兄弟になった。しばらくしてヨンスがうちに来て、香が産まれ、待望の妹である
湾も産まれ、伯父夫婦が亡くなって、弟妹たちも成長して、私たちも年を取って、
店が定休日の前の晩は二人で酒を酌み交わす。私はあのときのことをしっかり
覚えているのだが、どうも耀さんは私を小妹と呼んだことを忘れたことにしたい
らしい。クダを巻き始めたら思い出話をしてやると「知らねー知らねーそんなの
全然知らねーあるよ!」と逃げるように寝室に引っ込むので手っ取り早く酒宴を
終わらせたいときに効果的だ。そのうち弟妹たちが絡み酒に付き合わされる年に
なったら教えてやろう。酔った哥哥の説教は長くうざったい上に、聞けば聞くほど
愛情に満ちてとても恥ずかしいだろうから。私だってそう長くは聞いていられない
ぐらいに。





ブラウザバックでおねがいします