「 長女の悩める反抗期 」



 母様が私より二つ年上の香を身ごもったとき、母様は四十をとうに越えていて
リスクが大きいとお医者さんからの警告もあって周囲はみんな反対したらしい。
実際丸一日陣痛に苦しんでの難産で、いてもたってもいられずに海の向こうから
激励に来た親族が相次いで、無事香が産まれたときにはみんなもう涙を流して
天を仰いだり奇跡だ奇跡だと大騒ぎしたり病院なのに爆竹を鳴らしまくったりして
ちょっとした春節みたいで大変だったと聞いた。そして私を身ごもったら今度は
父様を含めて誰もがみんな反対どころじゃなく猛反対したそうだ。奇跡はそうそう
起こらない、次こそは本当に危ない、神様はそんなに目こぼししてくれないと。
でも母様は反対の声を頑固に押し切った。やっぱり香のとき以上の難産ですごく
すごく苦しんでようやく私が産声をあげて、看護師さんにお母様そっくりだから
将来はきっと美人になるとお墨付きをもらった私をその腕に抱くこともなく母様は
亡くなって、病院に集まった親族はそのまま母様のお葬式に出ることになったと
いう。父様もその一年後には病気で亡くなってしまったので私と香はクソじじーと
菊さんに育ててもらったようなものだ。何もわからない幼い頃はそれで良かった。
兄が四人もいるおかげで寂しさを感じる暇もなかったし、うちにはどうして父様と
母様がいないの?なんて考えたこともなかった。幼稚園小学校と年齢を重ねて
いくにつれて徐々に疑問が生まれ、やがて何度目かの法事ですべてを知った。
『覚悟の上だったんだから湾ちゃんが気にすることは何もないんだからね』『命と
引き換えでも湾ちゃんを産みたかったんだよ』ひょっとしたらそれは慰めの言葉
だったのかもしれない。でも真実は幼かった私には重すぎた。私が私の母様を、
クソじじーの母様を、香の母様を死なせてしまった。私の性格がひねくれて、口が
悪くなったのはたぶんそれからだ。今思えば早い反抗期みたいなで恥ずかしい
けれど『母様に似て可愛い』は私にとって最大の禁句になり、それを言った相手
には誰であろうと暴言を吐いた。毎日毎日ガミガミ叱るクソじじーをいつのまにか
大哥と呼ばなくなって、菊さんもそんな言葉遣いはいけませんと私を叱ったけど
母様のことは口にしなかった。だから菊さんだけが特別だった。『湾ちゃんには
湾ちゃんの可愛らしさがあるじゃないですか』私を私だと認めてくれるその言葉が
とても嬉しかったのだ。それにクソじじーはみんな華やかにめかしこんだお母さん
ばかりの授業参観に平気で来たりするし、しかも十分程度で帰ってしまう。きっと
店が忙しいから最後まで見てくれないんだって、私なんかより店のほうが大事
なんだって、私が大哥の母様を殺してしまったから嫌われてるんだって、ずっと
そう思っていた。『違いますよ、耀さんはヨンス君と香君と湾ちゃんの授業を全部
見るためにそれしかいられなかったんですよ』と菊さんが教えてくれなかったら
今でも誤解したままだっただろう。菊さんが大学生になってからは分担することに
なって随分楽になったって二人で笑っていて、何か悔しくてあんのクソじじー!と
思ったものだ。それから家のご飯が必ず中華っていうのも嫌だった。クソじじーは
父様が亡くなってすぐ店を継いだから『二代目になって味が落ちたと言われない
よう、あなたがたのお父様の名声を守ろうと必死に店を守っているんですから』と
菊さんに諭されても私はよそのお母さんが作るみたいなハンバーグとかオムレツ
みたいのが食べたかったし、クソじじーは洋食かぶれなんて散々バカにするし、
余りものにしては作りたてで具材も多かったりするのも気づかなかった。だから
クソじじーはクソじじーから変わることなんてなくて、菊さんが夕食を作るように
なってざまあみろって思ったけど、悔しいことにクソじじーの作る料理は確かに
おいしいから私たち兄妹は今でも他で中華を食べようとも思わないのだ。さらに
年を重ね、父様が亡くなった脳卒中の原因のひとつにストレスが挙げられると
耳にして、もしかして私の存在がそうだったのでは?と疑心も生まれてからの
私はもっともっと荒れていった。私が私の父様を、私が大哥の父様を、私がバカ
ヨンスの父様を、私が香の父様を死なせてしまった。そんなとき菊さんが初めて
私に手をあげた。そんなに強い力ではなかったけどずっと特別でずっと大好きで
ずっと味方だと思っていた菊さんに叩かれた頬は痛くて、涙が出るぐらいショック
だった。『あなたのお母様があなたを身ごもったとき、耀さんだけがあなたを産む
ことに賛成したんですよ』と菊さんはそれまで見たこともない本当に怒った顔で
告げた。クソじじーは何にも言わないから私は知らなかった。でも私のせいで
母様が亡くなったのは事実だ。恨まないわけがない。『いいえ、あなたの哥哥は
赤ん坊のあなたを抱いて嬉しそうに言ってましたよ。ほら、見るある、我の、我の
可愛い小妹あるよ!って』もし時間を遡っておなかの中から母様に私の意思を
伝えることが出来たなら、私なんて生まれなくてもいいよってお願いしたかった。
でも心の底では母様を犠牲にしてでも生きたいと浅ましく思っていたから母様を
死なせてしまったのか。父様も死なせて、兄たちを苦しめて、私はどう償えばいい
のか、私は、私はどうしたらって、ずっとずっと。けれどそれを聞いて、私の中に
巣食っていたそんな重くてどろどろした悩みは一瞬で消えてなくなった。私を長い
あいだ苦しめていたのは他ならぬ私自身だった。兄たちは誰も私を責めてなんか
いなかったのに、私が耳を貸そうとしなかったのだ。私を許せなかったのは、私。
私がありのままの私でいられる場所が私の居場所だとすれば、私の居場所は
私の家族の中に、生まれたその瞬間からちゃんとあった。見つけたからにはもう
見失わない。今もくだらない兄妹ケンカはしょっちゅうだけど我が家は世界で一番
落ち着く場所。私がもっと大人になったらクソじじーをまた大哥と呼んであげても
構わない。菊さんも喜んでくれると思う。幼い頃に夢見ていた菊さんとの結婚が
叶わないのはちょっぴり残念だけど、家族だからこそ誰より近くでずっと一緒に
いられる私はきっと幸せだ。





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