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それもこれもやむを得ぬ身体的な事情がすべての原因で、協議の末にその日 から準備を開始することで両者の意見は一致を見、周到な準備という名目の 新たなお楽しみを重ねた現在の性生活は至って順調そのものだ。しかしながら 年月の経過によって別の問題が発生し、親子それぞれを悩ませることになった。 進路指導担当教師との三者面談、どこにでもあるごく普通の公立高に現れた 天然ド金髪、見ての通り外国人の父を持つ純日本人の菊を昔はなんやかんや 意地悪く言う者がまれにいたが、高校生ともなれば幼稚な嫌がらせはすっかり 絶えて羨望の目で見られることのほうが圧倒的に多かった。以前は悩みの種で あった事柄も成長と共に乗り切った今、最も大きな問題は進路だった。菊は大学 進学希望と書いた用紙を担任に提出していたが、どの学部どの学科はもちろん、 どの大学に進みたいのかさえ具体的な希望を持っていなかった。菊にとって長い あいだ夢だったのはひとりの人間として愛するフランシスと確かなつながりを持つ ことだった。それは書類上の薄っぺらなものなんかではなく、目に見えなくても いつも肌や心で感じるものでなければならない。だがその夢はもう無事に叶った のだ。親子として今も変わらず生活する合間にほんの少しだけ恋人同士として 濃密な時間が紛れ込む幸せな毎日を送っている。ベッドの上ではそれがさらに 顕著だ。そして新たな夢はこの関係がいつまでも続くこと、これからもずっと二人 一緒に暮らすこと、それだけだった。だから菊にとって進学や就職は二の次で、 進路を決めるにはそろそろタイムリミットが近いと教師に言われてもただ曖昧に 頷くほかなかった。 「で、どーすんの?」 帰宅するなり窮屈なスーツを脱ぎ去り、ラフな格好に着替えながらフランシスは 尋ねる。教師曰く、菊の成績なら進学するとしてもかなりいいところが狙えると いう。これから苦手の英語対策に塾に行くなり何なりすれば東大だって不可能 じゃない。当然就職という道もあるが、養い親であるフランシスとしてはどうせなら 学びたいものはすべて学んでから社会に飛び込んできてほしいのが本音だ。もし 場当たり的な結論を出すつもりなら却下したい。それでも菊の希望が何より大事 だった。一方、菊はフランシスの問いにどう答えるべきか迷っていた。いつまでも このぬるま湯のような生活に甘えたままではいられない事実を突きつけられても なおフランシスのことで頭がいっぱいで、それ以外はどうでもいいほど深く愛して しまっているのだと自身驚くぐらいだ。いまだ白紙の青写真の理由をありのまま ぶちまけてしまっても構わないが、フランシスは手放しで喜ぶどころか叱りつける だろう。普段はへらへら笑って愛に生きる男を自負しながらその実フランシスは 変なところで妙に真面目で、養い親としての責任をきちんと弁えている、そういう 男だ。見慣れない真剣なまなざしで見つめられると浮かれたお花畑な心の中が 見透かされてしまいそうで真正面から向き合うことすら怖くて出来ない。菊は 質問の答えに値する言葉をどうしても見つけられず制服のまま押し黙っている。 本当に、進学も就職もどっちだって、どこだっていいのだ。フランシスさえいれば。 フランシスと一緒にいられるならどうなったって。だっていつかフランシスは故郷に 帰ってしまうだろうから。 「何か希望とか、ないのか?」 フランシスは菊が何かやりたいこと、勉強したいこと、興味のあるもの、何でも いいから将来に向けての展望を語り出すのを急かすこともなく長い時間待って いた。そのあいだに菊が落ち着けるように温かいお茶を淹れて、フランシスが 選んできた質も見た目もいい甘い和菓子を出して、長針が二回りしても辛抱強く 待ち続けた。けれど一向に何も言い出そうとしないので思い切って促してみようと 作戦を変えてみたのだが菊は口を閉ざすばかりで埒が明かない。 「…それは、俺と一緒にいられるならなんだっていいって思ってるから?」 唐突に核心を突かれ、鋭い言葉でなじられたようにびくりと体を揺らすと同時に 正面を向いた顔はフランシスが軽蔑の色を滲ませてやいないかと一瞬で泣き 出す寸前になっていた。高校生といってもやはり子供、浅はかな考えなどとうに フランシスはお見通しだったのだ。いや怒らねえ、怒らねえから、むしろちょっと 嬉しいから、とフランシスは菊の予想に反して不安と緊張を優しく和らげつつ、 どうしたものかなと困ったように後頭部を掻きながらしばし考える。そうして今、 フランシスにも進路の問題が提示されていることを思い出し、卑怯なタイミング だと内心自嘲しながらも切り出した。 「じゃあ、俺と一緒にフランス行く?」 植物が鮮度を失ってしおれるようにうつむいてしまった菊がフランシスの言葉に もう一度顔を上げたとき、その顔は先ほどのような恐怖ではなく驚愕に彩られて いた。それもそうだろう、どれだけ突拍子もないことを言い出したのかフランシス 自身もわかっている。 「とりあえずフランスの適当な大学にでも行って、それからゆっくりやりたいこと とか見つけていけばいいんじゃねーの?」 急な話の展開についていけないようで菊は長らく呆気にとられたままだった。 そこでフランシスは二人で渡仏という思いがけない提案の理由について、己の 身にも迫っている選択肢を話すことになった。菊は揺るがないまっすぐな視線で 見つめ、じっと話に耳を傾ける。フランシスがシェフとして働くフランス料理店の 本店は母国であるフランスにある。フランシスはそこで修行の成果を認められ、 日本に支店をオープンするにあたり料理に関する総責任者として派遣されたの だった。日本語学校に通っていた経歴もあったので現地スタッフともすぐに打ち 解け、日本の生活にも慣れ、ついでに日本女性の魅力にも気づき、やがて菊と 出会った。あとは菊も知るところだが、実はフランシスにはかなり前からそろそろ 自分の店を出さないかという打診があったそうだ。決して悪い話ではなかった。 師匠のほうも全面的にバックアップするつもりで、断るほうが不自然なほどの 良い提案だった。フランシスもまたその話に乗り気で、ただひとつネックは菊の 存在だった。今更日本に置いていくわけにもいかないし、何よりもフランシスが 菊を片時も離したくないのだ。離れ離れの生活を想像するだけで重い鉛の塊を 飲み込んだように胸が鈍く痛む。もしも菊に何かあったとき、フランスからすぐに 駆けつけることは不可能だ。目を覚ましたら最初におはようのキスをしたいのに、 菊は遠い空の下で眠りに就いている。一日が終わりはおやすみのキスをしたい のに、菊は遠い空の下でようやく目を覚ます。距離や時差、いくつもの障害が 重く圧し掛かる。今は会おうと思えばいつでも会える。朝も昼も夜も同じ空の下で 共有出来ることがどれほど幸福なのかを改めて思い知った。だからいっそ、菊を フランスに連れて行けば何もかもが解決するのではないかと思ったのだ。親と しては失格だとわかっていても、一緒にいられるならなんだっていいという菊の 幼い考えはフランシスには僥倖だった。それに、同性婚が認められている他国に 比べて少々制限はあるが、フランスに行けば長い人生におけるパートナーとして 法的な認可を得て菊を迎えることだって出来る。それらすべてを包み隠さず打ち 明け、まるで飢えた犬に餌をちらつかせ反応を見る最低な男だと自覚した上で フランシスはもう一度問いかけた。不安に駆られながらも感情を顔に出さない 術には長けている。菊の淀みない瞳がずっとフランシスを見つめていた。 ―――お前の愛する男はこんなんだけど、そんでもお前は選んでくれる? 「なあ菊、俺と一緒にフランス行かないか?」 |