5th Stage




 いつからそうだったのかなんてことはわからない。でも最初からではなかった
ことだけは確かだ。あのときはほかに寄る辺がなかった。しかしフランシスは赤の
他人。これ以上迷惑をかけるわけにはいかない。施設でも構わなかったのに
それでもフランシスは菊を引き取り、うわべだけではない愛情を注いでくれた。
それがどれだけ嬉しかったことか。物心ついたときには実の母親との生活の
終わりを間近に感じていた。菊の母は息子にさほど関心を持たない、興味がある
のはもっぱら男遊びやブランド品、そういう女性だった。菓子パンひとつ買う金を
置いて三日四日帰らないということもあった。初めてひとりで買い物をしたのは
そのときだ。母からは何も教えられない代わり、見よう見真似で金銭を支払う
ことを覚えた。見かねた近所の老夫婦が菊の面倒を見ていると知るや、ひと月も
ふた月も放っておかれたこともある。彼らは親切なようでいて、菊が望まれて
生まれた命ではなかったことを教えた張本人でもあった。菊の知る大人はみな
絶望ばかりを教えてきた。だから菊にとってフランシスという男の行動は不可解
でしかなかった。赤の他人である自分に無償で向けられるその優しさの正体は
一体何なのか?それを必死に探ろうとするうちにフランシスと共にある日々が
幸せなものだと感じるようになった。疑問は疑問のままであるのに、いつしかこの
不可解な男を好きになってしまった。ある意味自然な流れだったように菊は思う。
彼のことばかり考えて五年、過ごしてきたのだから。そのフランシスが自分の
ことで悩んでいる、自分のせいで苦しんでいる、それに気づいたのも好きなれば
こそ。それに、今回フランシスがこうして倒れなくてもいつかは彼から離れる
必要があった。フランシスの幸せのために。今まで言い出せなかったのは勇気が
足りなかっただけなのだ、でも今がそのときだ、今しかない、と菊は己の内なる
諸々の感情に必死で区切りをつけた。なのに一生告げないつもりの思いをつい
口にしてしまったことに自身ひどく驚いて慌てて口元を押さえるも、遅い。言葉の
弾丸はすでに放たれてフランシスの耳に届いてしまった。父親として好きだという
意味ではないことは明らかだ。そうならばこんな風に泣く必要はないし、告げた
ことを後悔する必要もない。そういうところで菊はまだまだ上手にごまかすこと
さえできない子供だった。大切に大切に包んで腕の中にしまっておくべき、愛しい 子供だった。親と子という関係に変わりはないのに、向ける感情が変わって
しまったのはお互い様だったというわけだ。一方フランシスの心など知らぬ菊は
後悔の念に駆られ打ちひしがれている。きっと、こんな自分を気持ち悪いと軽蔑
するだろうと思う。だが、そうはならない。
「…お前さ、どうして俺もそうだと気づかないかなあ」
 フランシスはこの状況であえて日頃の話し方を用いた。真剣に真実を明らかに
するにはこの年になってもあまりに恥ずかしい。菊は己の甘さや未熟さにただ
失望し、歯を食いしばり、拳を震わせ、非難の言葉を覚悟を持って待っていたと
いうのに予想外の反応に素直に顔を上げてしまった。
「それって、どうい…うわぁ!」
 真意を問おうとした途端に菊はと大人の広い腕の中に閉じ込められた。二人の
あいだの空間はすぐに狭くなりお互いの体がぴたりと密着するほどにきつく抱き
竦められ、フランシスの、あの菊に安心感をもたらすいいにおいに包まれる。これ
では激しく脈打つ心臓の音さえ聞こえてしまうではないかと慌てるがフランシス
の鼓動もまた同じような早いピッチで刻まれていることが菊にも伝わる。
「こんな気持ちは相応しくないとずっと悩んでた、だけど、言う。言わなきゃお前を
逃がすことになるんなら、言ったほうがマシだ。俺も、お前のことが」
 最後は言葉にならずくちびるが物語った。五年間、その行為が意味する感情を
教えるところから始まり、いつしか二人の習慣となり、いずれの場合も互いに
頬や額にしかしたことがなく胸の内でそうしたいと願っていても諦めようとして
いた、とうに諦めていた、くちびるへの恋情のキスはこの日初めて叶えられた。





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