「 どうしようもないおとこ 」



 まーたはじまった。
 もういちいち口に出すのも面倒臭い、おっさんの奇行に眉間に皺が寄る。ユーリ・ローウェルという
男は中年男のひとりやふたり素面でとち狂った行動を取ろうと、なんだそれぐらいと受け止められる
度量の持ち主である。おっさんの奇行は今にはじまったことではない。というより、初っ端から怪しい
言動しか知らない。そもそもまともな人間は地下牢になんぞ世話になることはないし、見張りの騎士
相手に胡散臭い話を面白おかしく提供してみせたりすることもないのだ。胡散臭くて調子だけはいい
どうしようもないおっさん。ユーリの中で、レイヴンの位置づけはそういうところに落ち着いた。しかし
稀に、本当にごく稀に、風に煽られた火が揺らめくような、瞬きのあいだに見逃してしまうほど小さな
サインを送ってくることがあった。もっと上手に騙しきることだって本当は出来てしまうのに、見逃すな
忘れるなと、すっかり心を預けてしまいそうになるその手前で、タイミングを見計らったように。
 それが何を意味しているのか、ユーリはいまだ把握しかねている。でも、どうせたいしたことなんて
ないのだ。人間誰しも見たままの人間ではないし、隠したい、あるいは現在進行形で隠している側面
など、ほじくればほじくるほど出てくるもの。大体、明らかにしたいなら自分から明かせばいいのだ。
匂わすだけ匂わせて自ら言い出せないことを他人に察してほしいだなんて虫が良すぎる話である。
そういう甘えきった態度が気に入らない。だからおっさんはどうしようもないおっさんなんだとユーリは
送られた合図をことごとく突っぱねている。
 が、現状においてユーリが接せられている奇行はそれらとはまったく違う類のものだ。思いのほか
早く宿に着き、夕食までかなりの時間があった。カロルは買い出しに、ラピードはカロルと同行、女子
部屋のことは知らない。この隙に誰に遠慮するでもなくベッドの真ん中で大の字になって眠っている
あいだに、おっさん。道理でラピードにしては重いと思ったわけである。胸元付近に側頭部を乗せて
目を閉じていた。同じく昼寝組を決め込むならガラ空きのベッドがいくつもあるのでそちらにオネガイ
シマスと睡眠を妨げられてやや苛立ちながら見た顔はひどく安らいではいたものの、眠っているわけ
ではないようだ。上体を起こすことで生まれた斜度がずり落ちて邪魔くさいようで、不満そうな視線が
向けられる。ユーリが元通り横たわると満足そうに頷いてまた目蓋を閉じる。何をしたいのか見当も
つかないが、せめて何か言え。
「おっさんさあ、青年のここ好きなのよお」
 胸倉掴みあげて白状させると、この供述。ここ、とは肌色の露出した三角地帯のことだろうか。裸の
男の胸が好きというのなら身の危険を感じる趣味である。しかし、他人の趣味をどうこう言うつもりは
ないし、どうこうされるつもりもないので旅のあいだ支障にならなければ別にどうでも。それよりも早く
退いてくれ、今後同じようなことがあったら強制的に排除するからよろしく、といったやぶ睨みで応戦
する。
「あっ、あのね、違うの!違うのよお!ここね、心臓の音するじゃない?とくんとくんってさあ」
 大袈裟な身振り手振りでレイヴンは否定するが、信憑性は限りなく薄い。心音ならユーリに限らず
とも誰だってとくんとくんぐらい言うのではないだろうか。ジュディスの豊満な胸の上におっさんが頭を
乗せたら大惨事になること間違いないのでユーリにしておく、という選択肢ならあながち間違いでは
ないけれども、もっと無難な選択が他にもある気がしてならない。ラピードとか、ラピードとか。何しろ
ラピードの胸は心地いいもふもふだ。心臓まで元気いっぱい跳ねていそうなカロルもいる。それでも
やっぱりユーリのようなそこそこ筋肉の弾力がある若い男の裸の胸がいいというなら、それはそれで
厄介な趣味をお持ちだなと改めて思う。これからは距離を置きたい。けれど、それらの辛辣な言葉が
おっさんの純粋な信頼と友情とやらを傷つけたと乙女の泣き真似で訴えている最中でさえ、ふとした
一瞬、見慣れない横顔を見つけてしまうからユーリ・ローウェルという男はレイヴンとは違った意味で
どうしようもない。
 何の根拠もない単なる勘ながら、こうした瞬間が存在することについておそらくレイヴンには自覚が
ない。これは道を見失い、途方に暮れた迷子の表情に似ている。突き放す言葉を向けつつも現実は
乱暴に蹴り飛ばされることもないままに、レイヴンの意思によって離れるべきか否か決断することを
迫っている。選択はこの男にとって余程難題なのだろう。心臓の音を聞くのが好きだ、それがたとえ
真実だろうと偽りだろうと。どうしてもそうしたいというならば心臓でも何でも勝手に持っていけばいい
のだ。持っていかれたら困ると抵抗されたら力づくでも捻じ伏せてみろ。腹が立つのはこうして何かを
求めておいて手を伸ばすにも引っ込めるにも相手の助けを待つその甘ったれた態度だ。
 だからアンタはどうしようもないおっさんなんだ。距離を図り間違えている自分自身に気づきながら
見て見ぬふりをして繰り返し罵倒する、どうしようもない二人に間もなく避けられない嵐が訪れる。





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