「 さあ甘い毒を召し上がれ 」



「…眉間」
 正面から靴音も高らかにつかつかとやってきて突然目の前で足を止めた
ヴァッシュにいきなりそうつぶやかれて菊は戸惑った。その言わんとすることが
まるで意味がわからなかったからだ。するとヴァッシュは言葉どおり菊の眉間を
指差し、皺が寄っていると言った。どうやらひどいしかめっ面をしていたらしい。
しかし菊にはそんなつもりはなく、まったく無意識のことだった。具合でも悪いの
であるかとストレートな物言いと物怖じしないまっすぐな視線でヴァッシュは菊の
体調を推し量ろうとする。菊が慌てていえ大丈夫ですと作り笑いを浮かべれば
すぐさま疑いの目が向けられ、行動でもそれを示してきた。ヴァッシュは右手を
上げると菊の額に手のひらを当て、一瞬判じがたい表情をしたかと思うと手を
引っ込め、今度は己の額をじかに菊の額に当てた。あまりの顔の近さに、菊は
途端に跳ね上がった鼓動を静める術も知らないままただ慌てた。西洋人形の
ように整った面差し、明るい見事な金髪。ここでこんなことを言ってしまったら
烈火のごとく怒られるに違いないブレネリさんをついつい脳裏に思い浮かべて、
いけないいけないと必死に思考をかき消した。やがて熱はないようだと離れた
ヴァッシュにはこれっぽっちも変化がなかったが、菊の顔はすっかり真っ赤に
染まっていた。お前はなかなか本音をあかさないからなと殊更慎重に不調を
疑った理由を述べながら釣られてヴァッシュもやや照れくさそうに頬を染めて
目線を逸らし、腕組みをする。その様子がなんともかわいらしく見えて、思わず
浮かぶ笑みを隠しつつお気遣いありがとうございますと菊は頭を下げた。確かに
具合が悪いというほどではなかったが疲れがたまっているようで会議がはじまる
前から体が重く感じていたのだ。それを目敏く見つけて気にかけてくれていた
のかと思うと素直に嬉しかった。下手に隠すのも悪いと思い、菊は正直にその
旨を伝えるとヴァッシュは急にポケットの中をごそごそと探り出した。そうして
探り当てたものを菊の手を掴んで広げさせ、手のひらに落とした。それは小さな
包みだった。
「疲れているなら、食べるといいのである」
 銀色の包み紙を開けると中には一口サイズの小さなチョコレートが入っていた。
ありがとうございますと礼を言って早速口に含んだそれはミルクの風味も良く、
そしてとても甘かった。おいしいです、と笑えばヴァッシュも口元をゆがめるように
して不器用に笑う。
「なんだ、笑うとかわいいではないか」
 するとヴァッシュは心を丸ごと底から浚うようなそんな一言を残して、足早に
立ち去ってしまった。その後姿をぼんやり見送って、かああと再び顔を赤らめた
菊は欧米の方はみんなお世辞が上手なんでしょうかと手のひらで頬を冷やし
ながら包み紙を捨てることもできず大事に折りたたんでポケットにしまい込む。
後戻りはできない。胸を蝕むあの甘い毒はきっと媚薬だったのだ。





ブラウザバックでおねがいします。