おまけのいち



 ユーリ・ローウェルの窮屈嫌いはもはやアレルギー反応といっても過言ではない域にあるようだ。
胸元をきっちり留めていると次第に呼吸が苦しくなって頭痛・眩暈・その他不快症状が次から次に
襲い、最終的には死の可能性もある。だからしないんだよと当の本人が大真面目に語っているもの
だから、だったらそのぴったりしたインナーはどうなのとリタは常々疑わしく思っていた。誰かさんの
例もある。もしかしたら何か隠しているのでは?なんて考えたこともあったが、長いあいだ魔導器と
ばかり仲良くして生身の人間との関わりをおろそかにして生きてきたリタに核心をつくことは難しい。
厄介な話題をしばらくうやむやにする技術に長けた男をどう切り崩したものか、結局は問い詰める
機会を失したまま世界の根幹すら揺るがす旅は続き、やがて真相を知る。
 ハルルの木が結界魔導器と結びつき有機的な側面を備えたように、生体、特に人間と魔導器の
融合は可能か否かといった議論はアスピオの研究者間でも皆無だったわけではなく、おそらく可能
としながらも倫理的な側面から理論の構築すら完成していないのが実情だった。それが秘密裏に
実用段階まで研究が済み、十年以上前に実際に施術されていたのだ。驚かないはずがない。その
上、仲間だと思っていた男の隠されていた素性までいっぺんに明らかになり、混乱し、憤って、悔しく
さえあった。だけど、あの胡散臭いおっさんは生きていた。ちゃんと帰ってきた。正直、腹が立つほど
ほっとした。そしてリタはいつしか頭の片隅にユーリに対するぼんやりした疑念を置き忘れていたの
だが、精霊を集めたり星喰みを倒したりなんだりと目まぐるしく変化する世界が少しずつ落ち着いて
きた頃になって突然ふと思い出した。そうそう、あいつ何か隠してるんじゃなかったっけ?と。そんな
矢先のことだった。
 ねえねえリタっち、おっさんのついでに青年も診てやってちょうだいよ。はあ?何を?あいつどっか
悪いの?また怪我でもしたの?それならあたしじゃなくてエステルに頼んだほうがいいじゃない。と
言いかけて、オイおっさん!とやかましい声が横槍を入れた。その直後、ちょうどリタのすぐそばで、
それまで一切興味なしとばかりにベッドに寝転がってごろごろ寛いでいたユーリのいかにも怪しげ
だったインナーが、少し前まで騎士団で主席の座にいたレイヴンの見た目以上に強い腕力で見事
ひん剥かれる。その下にあったのは肉体に直接埋め込んであることを除けば、ある種の芸術品にも
見える洗練されたレイヴンのそれよりもなんだかごつごつして歪な、ユーリの白い肌と、だいぶ薄い
とはいえそれなりの胸板にはおよそ似つかわしくない不恰好な心臓魔導器で、己の直感や仮説が
間違っていてほしいと願ったあのときの何とも言えない感情が蘇って、リタはぐっと拳を握り締める
ことで涙を零してしまいそうになるのを懸命に耐えた。
 なんでもっと早く言わないのよ!大声が怒鳴りつけたら不気味なぐらい素直にごめんと謝られて、
リタはますます泣きたい気持ちになった。多少無理が利くから大丈夫だと思って。とか、いい加減な
態度で言い訳されたらもっともっと怒ることもできたのに、これでは何も言えない。いいや、ユーリが
言いたくなかったのならレイヴンがこっそり教えてくれればよかったのだ。ああそうだわ、おっさんが
悪いんじゃない。おっさんはあとで燃やすとしてアンタ大丈夫なの?リタは努めて平静を装いながら
尋ねる。精霊が余分になったマナをこっちに回してくれてるみたいなんだよ、な?おっさん?と横に
目配せするユーリに、そういえば精霊が出現してから楽になったとか言っていたわね、と納得した。
 それはそれとしても、まだ腹が立つ。そういうことだから、たぶん、俺ら元々の寿命分は生きられる
と思うぜ?なんて、腹が立つほどサマになるウインクをして投げてよこすので、リタは泣きたいのを
通り越してますます腹が立ってきた。アンタねえ、アンタ、そんなんだからアンタ、アンタら、バカよ、
アンタら揃いも揃って大バカよ、ほんとバカみたい、バカばっかりよ。悪態を並べて怒っているはず
なのに、どうして視界がぼやけているのかリタにはわからない。ごめん心配したよなリタ、ごめんね
リタっちなんて二人とも素直に謝るせいで、謎の視界不良は余計にひどくなって、回復にはかなりの
時間を要した。
 聞けばユーリの心臓魔導器がやたら粗悪に見えるのはあれが成功した最初の例であるためで、
当時はたびたび不具合を起こしていたらしい。筐体の入れ替えは困難なので術式の改良によって
やっと安定するようになったそうだ。だとしてもまだま改良の余地があるのではないかと現状に満足
しないリタは根っからの研究者だった。今後役に立つこともあるかもしれないし、残ってる資料とか
どっかないの?赤くなった目元を乱暴に拭ったリタはもう普段の調子を取り戻している。だから油断
していたというか。何なら、術式いじったやつに会ってみる?と軽い気持ちで提案したが最後、定期
メンテナンスの場は煉獄と化した。
 ダングレストの隅にひっそり隠れ住む、顔の半分を覆う眼帯と長く伸びた銀髪の男。バカバカしい
理想論だと嘲う声は今も耳にこびりついている。それと同じ声ではっはっはモルディオ嬢は怖いな、
ユーリ?とご機嫌に笑う、ザウデで死んだはずの男。帝国に対する叛逆や、その他諸々の悪行は
リタにとってどうでもいい。許せないのはエステルに対する非道な行為。騎士団に通報して帝国に
裁いてもらったって収まりがつかない。しかもその表情は、ヘラクレスで再会した誰かさんが見せた
ような、死を待つこの世に何の執着も未練も持たない空虚なもの。腹が立った。勝手に自分ひとり
何もかも終わったみたいな顔しちゃって、これから世界は移ろい続けるというのに、自分だけはもう
関係ないみたいに、アンタだって立派に元凶な癖して、無責任すぎるんじゃないの?牢に入ったり
死刑になったりすることだけが償いだと思ったら大間違いなのよ!と説教するや否やにゃーん!の
省略詠唱で召喚された金ぴかの猫は不器用バカ三人を仲良く押し潰して、ぐえっと蛙の断末魔に
似た声が三人分、見事にハモった。そしてこれらの秘密が凛々の明星にとって不義に当たることは
疑いようもなく、後々話を聞きつけたフレンを含む旅の仲間にも順番に罰を受けることになる。





ブラウザバックでおねがいします