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自ら名を授けた望想の地を発って間もなく、舳先で大空を裂いて往く船上、ごおごおと唸る強風の 只中にあってなお凛と澄む声に、エステリーゼは何のことです?と聞き返さずにはいられなかった。 声の主であるジュディスは「あら、独り言のつもりだったのだけれど」といつもの微笑で意味深長な 前置きをしながらも他人に聞かれたくない類のものではなかったらしく、ユーリのお友達のことよと すぐにその真意を明かしてくれる。 置いてけぼりなんて、私ならとてもじゃないけど我慢できないわ、ギガントモンスターと遊んでいる ほうがずっとマシ。勇ましいクリティアの槍の使い手は大それたことをさらりと言ってのける。彼女が 伊達や酔狂で際どい発言をするわけでないことはすでに承知の上だった。なんともジュディスらしい 表現と感心する一方、命を賭した戦いにも進んで身を置こうとする姿勢は世界中に散らばる謎より 難解な部分を持つユーリにも通じるところがあり、己が持ち得ぬ感覚が少しだけ羨ましい…なんて、 うっかりリタに聞かれでもしたらアンタはそんなもの死ぬまで持たなくていいのよ!と叱られそうだと いう自覚はあったのであえて口にすることはなかったが、あるいはフレンならと考える。例えるなら 水と油、白と黒、光と影。絶対に混じりあうことのないまるで正反対の性質の者同士の奇妙な友情 と思いきや、本質的なところでは過ぎるほどに似通うあの二人、ユーリがそうならフレンだって同じと 確信するに足る証拠がつい先日あったばかりだ。 楽しそうに戦う二人を遠目で眺めつつ男の友情ってやつだねえと腕組みをして何やら感慨深げに うんうん頷いているレイヴンに、男のひとって皆さんそうなんです?と問えば苦い顔をしたカロルが 男がみんなああだと思わないでほしいな…と溜息共々口を挟み、拳で語るっていうのはまあアリだ としても真剣交えて語るのは勘弁してほしいわぁと結んだ。要するに彼らは同性から見ても極めて 稀な例なのだと言いたいようだ。もっと有り体に言い換えるならあんなのと一緒にしないでくれ、と。 ジュディスの言葉とカロルやレイヴンの意見、時折ユーリの口から語られる数年ものあいだ親交の あったエステリーゼさえまったく知らなかった彼の親友像、旅のあいだ垣間見たその真偽。それらを 総合して推測するに、未知の脅威に挑まんとする親友を地上で見守ることはフレンにとって苦渋の 決断だったはずだ。フレンにはフレンにしかできない大切な役割があるとはいえ、天をも貫く巨大な 古代の遺産は地上から見てあまりにも高く遠い。 もし私に戦う力が足りなくて足手まといになるだけだったらバウルと一緒にみんなの帰りを待って いるわ、でも、ぎりぎりまでそばに寄り添っていたい。だけどそれはみんなを信じていないからでは ないの、なんて言えばいいのかしらね?このじっとしていられないかんじ。 ぴったり当てはまる言葉の破片が自分の中にどうしても見当たらず、ジュディスは助け舟を求める ようにエステリーゼを見た。期待のこもった視線を受け、「ええ」と共感を持って相槌を打つ。よく似た 思いはエステリーゼにもあった。これまでの旅路で何度も何度も。しかし今回は規模が違う。この先 何が起こるか見当もつかない。万事順調に運ぶ保証はない。もしかしたら命を落とすかもしれない。 最悪の場合、世界を丸ごと巻き添えにする可能性だってある。可能性を頭の片隅に置き、それでも 構わない、もしそうなったとしても最後の最後まで一緒にいられるなら幸せだなんて悲劇のヒロイン めいた陶酔や悲壮感は欠片もない。そもそも失敗する予感は不思議とないのだ。絶対にうまくいく、 もしうまくいかなくてもみんなで何とかする、できる、大丈夫、何も恐れることはない。そんな根拠の ない確信の上で、不安からでも恐怖からでもなくただそばに在りたいと願う理由は何だろうと考えた とき、ふと脳裏をよぎったのは仲間たちの笑顔だった。世界中の誰よりも先に喜びをわかちあえる、 それは共に戦う仲間だけの特権だ。その瞬間ならさしもの天の邪鬼もきっと無邪気な子供のように 飾らない笑顔を見せてくれるのではないか。想像するだけで笑みが零れてしまうなんとも言えない 優越感が湧いてくる、フレンが可哀想に思えるほどだ。 じっと耳を傾けていたジュディスが唐突にふふ、と笑い声を漏らして「私、あなたやみんなと仲間に なれて本当によかった」としみじみそんなことを言うので、ともすれば彼女の手で殺されていたかも しれない危うい時期があったことを遠い昔の出来事のように懐かしく思い出した。 やがて船はイリキア大陸上空に差し掛かり、青空は徐々に強い赤みを帯びて不気味な様相を 呈しはじめる。舳先の遥か彼方には中空に停止する古の技術の結晶たる塔の都市。ノール港に 向かう手筈のフレンはまだ海上だろうかと広い内海を見遣る。彼が親友の成し遂げる偉業を称える ことができるのはどれぐらいあとになるのか、"損な役回り"の意味を正しく理解してエステリーゼは 緩む口元を慌てて隠し、ジュディスと二人、ささやかな秘密を共有しあった。 |