「 首領、思春期と遭遇する 」



 いいかい少年よい、この世に女性の心ほど解読不能な謎はないのだよと胡散臭い訳知り顔で
世の理とやらを説く酔っ払いの言葉を思い出し、次に吐いた息が頬に触れるほどの距離で最近
とみに気になる寝顔をまじまじと観察する。結果、そうとも限らないじゃん、と少しの驚きを持って
現時点における答えを導き出したカロルは別に、女心の何たるかをすべて理解したわけでなく、
まるで違う星から来た生き物のごとく深遠なる彼女たちの主張する数多の事柄について、たった
ひとつ同調し得る点を見出した、ただそれだけのことである。
 幼馴染や仲間など、特に親しい女性数人の言動をさらりと振り返れば生い立ちや特技、特定の
物事に対する好悪やら、そんなものとは無関係にいつも何か隔たりがあるような気がしていた。
それが性差によるものというのならレイヴンの言ったことはやはり正しい。しかし今は否定する他
ない。再度見下ろした寝顔。伏せられた両目、目元に落ちる影。お年頃の女性曰く、まつげは長く
ばさばさしているのが可愛い、らしい。

 そんな話を耳にしたのは数日前、帝都での出来事だ。今でこそ足しげく通う帝都も以前は貴族
以外の人間に対し排他的な雰囲気を強く感じる街で、しかも依頼人に指定を受けた待ち合わせ
場所が貴族街に近い高級感の漂うカフェだったものだから、なんとなく居心地が悪い。依頼人が
約束の時間に遅れているから尚更だ。
 落ち着かない心模様そのままにきょろきょろと視線を踊らせていると、視界の端に色とりどりの
果物を散りばめたおいしそうな焼き菓子をつつく、貴族と思しき着飾った若い女性客三人。女が
三人いれば"姦しい"とはよく言ったもので、特別聞き耳立てずとも会話の内容が聞こえてきた。
その多くはカロルの理解の及ばないファッションや恋愛談義であり、右耳から左耳に抜けていくの
だが、目についたのは武器など持ったこともないような銀のフォークを握る華奢な手だ。それから
数席分の距離を隔ててなお鼻を刺激してくる人工的な香り。そういう女性が苦手、というわけでは
なくて、ただ慣れない。原因には心当たりがある。
 寝食を共にすることが当たり前、という意味では家族にも近しいジュディスはあまり化粧っ気の
ない女性だ。かといって別に化粧をしない主義信条があるわけではなく、曰くお化粧したいとき、
必要なときならするわ、でも普段は必要性を感じないもの。だからほとんどの場合、素顔で得物を
振るう。もちろん戦闘に影響はない。そんなものかと思いきや、ユーリが言うにはそれだけが理由
ではないそうだ。曰くああいうのはな化粧なんかしなくても十分っていうんだ。確かにジュディスは
化粧をしなくたって綺麗だと同意すると、ありがとう素直に嬉しいわと笑みを浮かべた。
 こうしてみると彼女の虜になる男の気持ちがカロルにもわかる。天を射る重星には今でもたまに
手伝いに出ることのあるジュディスの予定を聞こうとする熱心なファンが絶えないとか。まつげの
問題に関してもこれらに関係しているようにカロルは思う。
 要するに、まつげの長さがジュディスの魅力をどうこうするはずがない。まつげとは男女の区別
なく目の上下に勝手に生えているものであり、それ以外の価値基準をカロルは知らない。強いて
いうなら長くばさばさしていたら目に入ったとき痛いんじゃないかな、とデメリットは想像の範囲内
だとしても、メリットが思い浮かばない。何か特別な思い入れやこだわりもない、その程度。故に、
間違っても可愛い可愛くないの対象になることはない、はずだったのだ。まだ、そのときは。

 きっちり報酬を受け取ってダングレストのアジトに戻ってみると、先に帰っていたらしいユーリが
ソファで横になっていた。今回は三人とも別々の依頼をそれぞれ請け負っていて、昼も夜もなく
強行軍で移動する商隊の護衛が彼とラピードの仕事だった。睡眠不足と疲労のせいだろうことは
考慮しても、こんな風にユーリが眠る姿を見られるようになるとは、数年前なら考えられなかった
ことだ。
 数年、正しくは五年。十二の年では並んで立つとほぼ真上を見上げるようだった顔は見る見る
うちに近づき、成長期が終わっていないことから、じき追い越されるだろうとユーリ自身も認める
背丈はまだまだ成長途中だ。とっくに追い抜かしたレイヴンなど、もう十分じゃなぁい?と苦々しく
忠告を寄越すぐらいだ。とはいえそれは軽口の類で、なんだかんだ言っても彼ら全員がカロルの
成長を家族同然に見守っていると知っているから、わざわざ縮んでやる義理なぞない。よく食べ、
よく動き、よく眠り、あとは成長ホルモンの赴くままだ。そうこうするあいだに腕力は真っ先に追い
ついた。もうちょい先だと思ってたのになと腕相撲のあと悔しそうにしていたのをよく覚えている。
ちょうどそのあたりからだったはずだ、寝顔を見る機会が増えたのは。
 旅の始まりは女子供ばかりだったからそうなるのは仕方なかったのかもしれない。野営の夜は
ユーリがいつも不寝番を買って出た。交代の約束をしても守られないことが多く、そうでなければ
約束の時間を大幅に過ぎた夜明け近くで、結局見張り役はごく短時間で終わってしまっていた。
宿に泊まっても必ず隅っこのベッドを選び、こちらに背を向けて眠るのが癖のようで寝顔なぞ見た
ためしがない。エステル救出のため帝都に向かうその途中、クオイの森がこの忌々しいばかりの
法則を打ち壊した記念すべき場所となる。もっとも、そのときは誰もが寝顔どころではなかった。
カロルだってろくに覚えちゃいない。
 変化はそれから少しずつ、少しずつだった。信頼が足りないわけじゃなく、ユーリ・ローウェルと
いう男は他人に頼ることが致命的に下手くそなのだ。そうと悟ってしまえば解決への道筋は実に
容易い。フレンが言うには野良猫のほうがマシだという、ユーリが持つある種の頑なさには正直
手を焼いたけれど、習うより慣れろとばかりにカロルはしばしばベッドへの潜入を試みたものだ。
 なのに、最近はどうもおかしい。もう作戦を練らなくてもユーリはこうして弱みを晒してくれるの
だから悩むことなんてないのに、カロルの心の内には"仲間なんだから頼ってくれないと困る"と
思いの丈をぶつけたときに似た危機感がある。その正体がまったく掴めない。息が詰まるような
何か、重たいものを飲み込んだような何か。漠然とした、得体の知れないものだ。
 明確にそれが肥大していると感じたのは肘掛を枕に寝息をたてるユーリにこんなところで寝たら
風邪ひいちゃうよ、部屋で寝たら?と声を掛けようとして、不意にその伏せられた目蓋から伸びる
まつげが思いのほか長いと気づいた瞬間だった。何故か見てはいけないものを見たような気が
して素早く視線を逸らしたものの、帝都で聞きかじった話とそれに同意してしまった事実が頭から
離れない。
 いや別に、二十代半ばにもなる男相手に可愛いと思ったっていいじゃない、ユーリはどっちかと
いうと女顔だってみんなこっそり思ってることだし、下町の人だって間違えたりしてたし、いや、そう
じゃなくて、仕草だとか表情だとかそういうのは性別関係なく犬だって猫だって可愛いって思ったり
するんだし、ね!と言い訳すればするほど自分が何に対して言い訳しているのかわからなくなり、
とうとう着地点を見失った。
 本当のことを言えば、まつげや寝顔だけじゃなくて黒髪のさらりと流れる音や、そこから覗く首の
細さなんかにドキッっとしたことは何度かある。昔はもっとずっと広かったはずの背中に違和感を
覚えたことだって。
 ふと見遣ればソファのすぐそばに横たわるラピードが両耳をピンと立て、何か感じ取ったように
頭を上げていた。そして、視線。彼もまた睡眠不足と疲労から熟睡していると思っていたのだが、
じっとカロルを見つめるまなざしはカロルの抱える悩みなんかとっくにお見通しだと言わんばかり
ではないか。もはや不恰好に守りを固めることさえ馬鹿馬鹿しくなる。だからカロルは深々とため
息を吐き、いまだきちんとした覚悟を持てないままその感情につけるべき名前ごと何も知らないで
眠るユーリを起こしてしまわぬよう、ごくごく小さな声で「僕もうだめかもしんない」と彼の相棒には
密かに降参宣言しておいた。





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